マインドブレスレット ~ティアーズオブザデッド~ 記憶をなくした主人公がと幼い少女がゾンビだらけの世界を突き進むことに!? 失われた記憶を取り戻し、ゾンビを全て還すために2人は戦い続ける!!

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第1話 記憶を失った男

 轟轟と流れる水音が鼓膜を大きく揺らし……冷たく固い感触が肌に触れる。

全身を容赦なく突き刺す風が夢見心地な感覚から抜けきれない男の意識を強引に現実へと引き戻す。


「(体がやたらと重いな……)」


 鉛のように重い体を手で支え……足で懸命に踏ん張ることでどうにか立ち上がることができた。


「ここ……どこだ?……」


 男の周囲は木々が包囲網を張るように並び立ち……そこら中には大小の石がカーペットのように敷き詰められている。

先ほどからうるさい水音を立てている川は男のそばで濁流のように激しく流れて行っている。

民家もなければ人影もない……ここは完全に自然が支配するエリアだった。


「(さっ寒い……)」


 男はあまりの寒さに両方の二の腕を掴んで本能的に暖を取るが、それは意味を成さない。

そもそも男がいる場所は真冬並みの低温……後ろを流れる川から飛んでくる水しぶきが男の体温をさらに奪う。

そして何よりも……男は全裸。

すらりとした体形ゆえ、熱を保つための脂肪も少ない。

もはや凍死も時間の問題である。


「とっとにかくせめて川から離れよう……」


 男が川から離れようと1歩前に踏み出したその時……近くの茂みがもぞもぞと動いた。


「そこで何をしているの?」


 茂みの中から現れたのは茶髪の少女。

つややかで長い髪の毛を後頭部でまとめ(いわゆるポニーテール)、手にはなぜかライフルが握られ、男の方に向けられている。

服装は年頃の娘としては若干華やかさに欠けるが、この低温空間でも十分体温を保っていられるほどの装備は整っている。


「何って……なんだろう……」


「質問を質問で返さないでくれない?」


「えっと……よくわからないんだ。 気が付いたらここにいて……寒いからとりあえずここから離れようと思って……」


「……あなた、名前は?」


「名前……」


 記憶の中を必死に探るも……生を受けた誰もが持ってるはずの名前が出てこない。

誕生日……出身地……年齢……家族構成……自分に関する情報が何1つ浮かび上がってこない。


「……ごめん、わからない」


「……」


 少女の脳裏に1つの可能性が浮かび上がった。

そしてふと、足音に転がっている石を蹴る。


「ねぇ……今私が蹴ったこれが何かわかる?」


「え? 何って……ただ石に見えるけど……」


「そう……じゃあここがどこかわかる?」


「わからない……」


「じゃあ私が持っているこれは?」


「らっライフルだと思う……だからあまりこっちに向けないでもらえるかな?」


「(ライフルが危ないものだという記憶はあるようね……)」


「じゃああなたの年齢は?」


「……わからない」


 このような問答を何度か繰り返していき……。


「ある程度の記憶はあるみたいだけど……どうやら記憶喪失みたいね」


「そう……なのかな?」


「多少異様ではあるけど、害はないと認識しておきましょう。

ひとまず近くに小さな町があるからそちらに移動しましょう……ここで死なれても迷惑になるだけだし……」


「あっありがとう……えっと……」


「私はフィナよ。 それと寒いのは道場するけど……いい加減その粗末なものを私の視界から遠ざけてくれない?」


「あ……」


 溜息をつくフィナの視線で男はようやく気付いた。

下半身にぶら下がっている確固たる男の証を子供相手とはいえ、女性に見せ続けていたという失態を犯していたことを……。


-----------------------------------------


 男はフィナの後に続き、木の間をすり抜けていく。

木の枝や小石など裸足で歩くには危険ではあるが……一刻の猶予もない男の現状を考えれば、リスクより移動速度を取らざる負えない。


「ここは家……だよな」


 木々を抜けた2人の前にそびえ立つ古びた木造の家。

家主の持ち物らしき農具があちこちに散乱し、壁にはツルや葉が這っている……ハタから見ればお化け屋敷と相違ない。

家の裏口は開きっぱなしで都合良く周囲に人はいない。

家主の不用心か……はたまた得体の知れない何かが2人を家の中に招いているのか……男は入ることを躊躇してしまう


「入るわよ……」


 男とは対照的にフィナは躊躇することなく裏口から土足で家の中に入る。

きちんと玄関がある構造からして土足で上がることは認められていない一般的な家。


「ねぇ……ここは君の家かい?」


「いいえ。 まったく面識のない赤の他人の家よ」


 悪びれる様子も見せずに淡々と答えるフィナの態度にさらなる寒気が男の背中をなでる。


「え!? それはまずいんじゃないかな?」


「ドアを開けっぱなしにして留守にしている家主が悪いわ」


「いやいや……不法侵入している君の方が悪いよ!」


「あら? 記憶喪失のわりに難しい言葉を知ってるわね」


「こんな罪悪感に絡まれるくらいなら自分の記憶と一緒になくしたかったよ……」


「嫌なら残っていてもいいけど、死んだって知らないわよ?」


「うぐっ!!……」


 フィナの非常識な行動を否定的にとらえるものの、背に腹は代えられぬ状況に陥っている男は彼女の共犯者にならざる負えなかった。


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 2人がまず入った部屋は、家主の部屋と思われる一室。

使い込まれたベッドや机に椅子……衣装タンスも設置されている。


「……」


「あっ!」


 男が止める間もなく、フィナは衣装タンスを物色し始めた……中には男性用の下着や衣服が収納されているだけで特にめぼしいものはない。


「適当なものを選んで着なさい。 私は家の中を軽く見て回るから、戻ってくるまでこの部屋でじっとしていなさい」


「いや着なさいって……人の服を勝手に……」


「ならそのままでいる? 私は別に構わないけど……人の趣味をどうこう言うつもりはないし……」


「(しゅっ趣味だと思われているのか? この格好……)」


 羞恥心と寒さ……そして小さな少女から受けた屈辱に耐え兼ね、男は正義を一時封印することにした。


※※※


 10分後……男は適当に選んだ白いシャツとベージュのズボンを着こみ、シャツの上から青いジャケットを軽く羽織るというシンプルなデザインとファッションを選んだ。

シンプル故に、顔とスタイルが整った男が着こむと美に飢えた人間達の目を独占するやもしれない。


「やはりというか当然というか……裸とは全く違うな」


 衣服のありがたみを身に染みて実感していると……。


ガコンッ!!


 部屋の外から何かが倒れる音が男の耳に届いた。


「フィナかい?」


 ドア越しにそう問い掛けるも……返事はない。


「気になるな……でも出るなと言われたし……」


 少し悩んだものの……好奇心に押し負けた男はフィナの言いつけを破ってドアを開き、部屋の外へ出てしまった。


 グチャ……グチャ……。


 先ほどとは違った音が静かなる家に反響する。

音の例を挙げるとマナーの悪いそしゃく音が近いかもしれない。

音を頼りに通路を進んでいくと……男は台所に来ていた。

様々な料理が生まれる台所とは思えぬほどの悪臭が大気を汚しており、男は思わず鼻を腕で軽く抑える。

周囲は虫がぶんぶんと飛びまわっており、食欲など到底沸かないこんな場所でボロボロの服を着た頭の貧しい男性が床で肉を獣のように食い散らかしていた。


「(もしかして……家主の人かな?)」


 家主か家主の家族であれば男にもはや逃げ道はない……男と同じ立場であれば相手が過剰な人間でない限りまだ男に望みはある。


『あぁぁぁぁ……』


「!!!」


 男が試行錯誤していると……家主?がうめき声のような声を漏らしながら振り返った。

その顔を見た瞬間……男は言葉を失った。


「(なっなんだ?あの顔……人間なのか?)」


 家主?の顔は灰色に染まって所々が腐敗しており……皮膚の下の骨まで見えている。

目には黒い瞳がなく、歯は牙のように鋭くなってべっとりと口元に血が付いている。

首や腕など肌が出ている部分も顔同様に変貌している。

一言で言ってしまえば……ゾンビである。


「あっあの勝手に入ってしまってすみません……」


『あぁぁぁ……』


 男の声など耳に届いておらず、立ち上がって男にゆっくりと近づいていく家主?の男。

物欲しそうに両手を前に出し……大きく開いた口からダラリと唾液が垂れている。

その様子から、男を捕食対象と見ていることに疑う余地はない。


「……うわっ!」


 ザクッ!!


 男の生存本能が逃げろと命じ、後ずさりする途中で床が抜けるというアクシデントが起きてしまった。

古びた民家故にありえない話ではないが、現状で言えば最悪のトラップだった。

抜けた床に足を奪われたことで男はバランスを崩してしりもちをついてしまった。

被害は足首までなので力めばものの数分で脱することができるが、家主?が男に接近するには十分な時間を与えてしまった。


「あぁぁぁ……」


 バンッ!!


「!!!」


 家主?が男に触れる1歩前まで来た瞬間、銃声と共に家主?の頭は大量の血と共に肉片へと変わった。

首を失った体は糸が切れたようにその場で崩れ落ち……微動だにしなくなった。


「ふぃっフィナ……」


 男が振り返ると、そこにはライフルを構えたフィナが立っていた。

銃口からかすかに立つ煙と床に落ちている空の薬きょうが先ほど家主?の頭を撃ち抜いた証を示していた。


「あなたねぇ……部屋から出るなと言っておいたでしょう?

運よく私が戻ってきたからよかったものの……そうでなかったらあなた、今頃それの餌よ?」


「ごっごめん……」


 怒り……というよりも呆れた口調で男にくぎを刺すフィナ。

ひとまず床から足を引き抜いた男を連れて、フィナは先ほどの部屋に戻った。


「さっきは助けてあげたけど……2度目はないと思いなさい」


「本当にごめん……次から気を付けるよ」


「そう願いたいものだわ……」


 念を押しつつ……フィナは家から調達してきた食料や水を大きなリュックに詰め始めた。

それでもライフルをいつでも取れる位置に置いておくフィナの様子から、現状が異常であることを理解した男は彼女から改めて質問を投げる。


「……あれは一体なんだったんだ? 人……ではなさそうだったけど……」


「”屍(しかばね)”よ……」


「しっ屍?」


「要約すると……動く死体ってところね。

感情は一切なく、ただ生きた人間や動物を襲うことしか頭にない怪物よ」


「おっ襲うって……殺すってこと?」


「殺す……というより食すって言った方が正解ね」


「しっ食すって……食べるってこと?」


「そうよ? 生きたまま肉や内臓を食われるから……結果的に死ぬことになるわね。

そして死ねば……めでたく屍の仲間入り。

もちろん死人である屍に話し合いや交渉なんて不可能……出会ってしまったら奴らを倒すか奴らに殺されるかのどちらかに転がるしかないわ」


「……」


 死して屍に堕ちた者はリミッターが外れることで常人以上の筋力と再生力を持つようになる……だが常時極度の飢餓状態となり……生きた肉を欲して永遠にさまよい続けることになる。

一部例外的に、食よりも性に飢え……異性をさらって行為に勤しむ屍もいる。


「食にしろ性にしろ……人を襲うことに違いはないわ」


「もしかして……さっきの奴以外にも屍はいるの?」


「そんなのそこら中にいるわよ? ここまでたどり着くのに1匹も出会わなかった方がむしろ奇跡ね」


「うっ!」


 もしもここに来る道中で屍に囲まれていたら……最初に会ったのがフィナではなく屍だったら……ありえたかもしれないバッドなIFストーリーが次々と脳内に展開されていくことに身震いした男は必死に頭を振り払って脳をリセットする。


「屍は元々死んでいるから殺すことはできないし、手足を切り落としてもトカゲみたいに再生する。 でも頭を再生させることはできないから、さっきみたいに頭を吹っ飛ばすか首を落とす以外に奴らを退ける手段はないわ」


「……」


 この話を聞いても、男は割と平静を保つことができていた。

恐怖心がないわけではなく、単に実感が湧かないのだ。

先ほど襲われたばかりではあるが、それもすぐフィナが倒したことで屍の恐ろしさを認識しきれていない。

そのため、屍への恐怖心よりも記憶がない現状への不安が勝っているのだ。


「ところであなた……これからどうする気?」


「どうすると言っても当てがあるわけでもないし……さっきの化け物がそこら中にいるのなら、1人でいるのはつらいと思う」


「それで?」


「君が良ければ……このまま同行してもいいかな?」


「……」


 男の提案に対し、フィナは一瞬沈黙したものの……すぐに返答を返した。


「それは別に構わないけど……私は基本的に自分の命を優先するタイプだから、場合によってはあなたを見捨てることも辞さないわ。 それでもいい?」


「あぁ……それで構わないよ。 君と一緒に行けるなら」


 フィナに身の安全を保障してもらおうなどとは考えていない。

だが、記憶もアテもない男が1人で化け物だらけの世界で生き残れる可能性は極めて低い。

頼れる人間が彼女しかいない以上、男の意地や大人のプライドなど二の次。


「同行はともかく……やはり名前がないというのは不便ね」


「それは……そうだね。 うーん……記憶が戻るまで何か仮の名前でもないかな……」


※※※


 男が名前をあれこれと考えている間に、フィナは荷造りを進める。 

人の名前を考えるというのは想像以上に難しい……それが自分自身の名前であればなおさらである。

まして記憶喪失の人間では常人以上に難易度が高い。


「………」


 見かねたフィナも荷造りしながら頭の隅で名前を考え始めた。

あくまで仮の名前故、深い意味は必要ないが……きっかけでもなければ人の名前などそう簡単には出てこない。


「………??」


 荷造りの片手間に何気なく周囲を見渡すフィナ……そしてふと、壁に掛けられた1枚の絵に目を奪われた

それは美しい桜が描かれた絵画……吹き荒れる風に流されていく花びらが幻想的な世界を表現している。

物色中にフィナが絵筆やキャンパスなどを発見しているため、この家の家主が描いた絵と思われる。

だが彼女が目を奪われたのは”桜の絵”ではなく、”桜そのもの”である。

物心つく頃から花見好きな両親の影響で、桜を目にする機会が多かったフィナ。

次第に桜が大好きになり……生まれて初めて口にした言葉が”桜”なほど、彼女にとって思い出深い花なのだ。


「さくら……」


「え?」


 自然と唇から漏れた単語に、男が反射的に聞き返した。


「サクラ……とかどう?」


「サクラ?……なんだか女の子みたいな名前だな……」


「嫌なら別に構わないわ」


「いっいや……別に嫌ってわけじゃないよ」


 とっさに肯定的な発言をした男だが、若干名前に羞恥心はあった。

”サクラ”は女性を連想する古き良き名。

男性に付ける名前としては賛否両論あるやもしれないが……考えあぐねている男を気遣ってフィナが考えた名……それを羞恥心から却下するというのも如何せん申し訳なさが残る。

何よりも……候補がこれ以外にない男に四の五の言うのもいたたまれないものがある。


「わかった……その名前、ありがたく使わせてもらう」


「そう……だったらサクラ、これ持って」


「え!? ちょっちょっと!ブグ!!」


 否応なくフィナがサクラに投げつけたのは大きめのリュックサック。

先ほどまで物色して手に入れた食料や水などを大量に詰め込んでいたため、それなりの重量がある。

反応が2、3歩遅かったサクラは成すすべなくリュックを顔で受け止める形となり、結果的に頭を壁に打ち付ける理不尽なペナルティを喰らうことになってしまった。


「何を呑気に寝ているの? 時間は限られているのだから、それを背負ってついてきなさい」


「……」


 数十分前に言ったフィナについていくと言う自身の言葉を早くも撤回したくなったサクラ。

とはいえ……不平を言えるような立場にない彼にできることは、重いリュックを背負ってフィナの後を追いかけることだけだった。


「まっ待ってくれ!」


 記憶のない男サクラと謎の少女フィナ……2人の戦いが始まった。

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