第41話 鍵を目指せ
3.
図書館跡にして『遺物管理区域』跡。
現場に案内されたときは、圧倒させられた。もっと球体の半分だけみたいな削り取られ方をしているのかと思っていたら違っていた。
前にニュースで見たことがある。
地盤沈下による道路の陥没。ここに図書館の残骸と地面が崩れ落ちていて、『
かなりの悪臭。
強烈に生臭い。じめじめとしている感じが沼みたいだ。
「こんなに深かったんですね」
地下、これはどれくらいだろうか。
数十メートルはある。
クレーターの周辺には生徒会の魔法使いたちが光る球体を展開している。真夜中の工事現場みたいだ。ただ、底のほうは見えない。
完全に日は暮れていて暗い。
『
炎はこの暗闇を、より一層に恐怖を増幅させる。
「さあ、行きましょう」
鳩原の隣に立っている人物が言った。
オリオン・サイダーだった。
こんな
なので、付き添いが必要となる。
そんな中で実力と
オリオン・サイダーは箒に跨った。
その後ろに鳩原が乗る。
ふわりと浮遊して、周囲に浮かぶ光る球体と共にクレーターの中に降下していく。
慌てず、ゆっくりと、だ。
ぐらり、と、気分が変わる感覚があった。
鳩原には魔法が使えないから魔力が体内に溜まり続けていく。それが故に獲得している副産物的な
実力者揃いの生徒会が立ち入れないと判断した場所である。
「『遺物管理区域』であれだけ動き回ったのは普通じゃありません。あなたも、あのダンウィッチというあの子は常軌を逸していますわね」
「おい、僕のことはいいけど、ダンウィッチのことをあまり悪く言わないでくださいよ」
「褒めているんですよ。いえ、皮肉でしょうか」
そこらへんで物音が聞こえる。
柱と思われる物体が横倒しになって、近くの岸壁に突き刺さった。地面は強引に削り取られたわけだから、かなり不安定な状態だ。
いつ土砂崩れみたいになってもおかしくない。
かつて床だったようなものや、建物を支えていた鉄骨のようなものなどが突き出している。
「……あの『門』の閉じ方はわかっているのですか?」
「わかっていないです」
「何か聞いていないんですか?」
「僕は何も聞いていないですよ」
そういう意味じゃ、話し合いは足りていなかったと言える。
ダンウィッチとのコミュニケーション。
きっと彼女はこれくらいのこと、想像できていたはずだ。それを喋ってもらえるほどに仲良くなれていなかった。
「いえ、言えなかったのではないですか」
「言えなかった?」
「協力してくれるという鳩原さんを失いたくなかったんでしょう。こちらの世界にも危険が及ぶかもしれないと言えば、協力してもらえないかもしれないと」
「そんなことは……」
「そんなことはなかった、と。本当に言えますか?」
…………。
…………わからない。
「そういうことですよ」
と、オリオンは言った。
しばらくの無言。
「……『閉じる』なんて言われたけど、部屋の鍵を閉じるのとはわけが違うはずですし、どうすればいいかなんてわからない」
「では、少し考えてみましょうか」
オリオンは言う。
「そもそも、あの『鍵』とあの『円』はどう関係しているのでしょうか」
「それは、あまり考えないほうがいいんじゃないですか。たぶん、僕が考えても辿り着けないかもしれませんけど、オリオンさんは気づくかもしれないでしょ」
「そうですわね……」
フレデリック・ピッキンギルやニューボンド・カイロはそうして意識を失ったのだから。
鳩原もここで『鍵』に関して知っていることを述べなかったのは適切だった。
もしも、ここで『ミスカトニック大学』と『ヒュペルボレイオス文明』のふたつを口にしていたら、オリオン・サイダーは気づいてしまっていた。
フレデリックが専門としている『先史文明の魔法』という分野と、紀元前の遺物を研究している『ミスカトニック大学』、そして二十万年前の文明である『ヒュペルボレイオス文明』に関することが揃えば――それらが関係しているという点と点が線でつながれば、オリオンならば気づける。
かなり危ない。
いつ気づいてもおかしくない。
「わたくしの視点から考察を――いえ、考えてはいけませんので、わかっている事実を理路整然と述べますと、あの『鍵』によって『門』が開いた――その『門』があの『円』なのでしょうけれど、『開いた』というのは少し違うように感じます」
「と言いますと?」
「あのとき、わたくしたちの眼前で『鍵』が反応したとき、閉じていたものを開いたという感じではなかったかのように思います。そうですね、強いて言えば、あの『鍵』があの状態を維持しているというべきでしょうか――」
オリオンが少しふらついた。
それに伴って箒の降下も不安定になり、近くに少し拓けた場所があったので着地した。
岩盤と一緒に崩れ落ちてきたと思われる廊下っぽい床の上に。
オリオンは
「それ以上はやめておきましょうよ……。どうせ、僕に言ってもわかることはないんですから。それにわかっちゃいけないんですから」
「ですわね……。ですが、考えることをやめられないのが人間というものでしょう? 掘り下げるのをやめましょう。そうですわね……わたくしはあの『鍵』そのものが『円』としてこちらと空間をつなげていると考えています」
オリオンには果てしない頭痛と気が狂うような痛みが押し寄せてきていたことだろう。
顔を上げたときの表情が光る球体に照らされた。
目の焦点は合っていなくて、滝のように汗が流れていた。表情は引き
屈み込んで、顔を伏せた。
「……『門』はまだ開き切っていないってことですか?」
「そう考えることができます。提案なんですけど、鳩原さんには『鍵』を解読してみてほしいんですよ」
「解読……? そんなことをすれば」
「いえ、大丈夫なはずですわ」
断言するオリオン。
「『鍵』を構成しているのは、あくまで先史文明の魔法……。『遺物』なのですから、あの『鍵』の構造さえ理解できればいいんです。それを作った先史文明人の思想を理解する必要はありません。ただ構造さえ理解できれば、破壊できるはずです」
「閉じるのではなく、壊せってことですか?」
組み上げられた術式は編み上げられた糸のようなもので、魔法として成立させている『結び目』に対して魔力を放つ。魔力を循環させようとするが、その回路が上手く作動しなくなる。
鳩原ができる数少ない手段。
「別に僕にそんな見せ場を用意してくれなくたっていいですよ。僕にできることはオリオンさんにもできるんですから。それにオリオンさんなら、いち早く構造を理解して、もっと手際よく破壊できるはずです」
「それをするときはわたくしも壊れてしまっているでしょうね」
顔を少しだけ上げた。
苦しそうにオリオンは言う。
「きっと解析しようとするとき、作り手の意図を考えてしまう。わたくしはもうここまで気づいてしまっているんです。あとほんの少し、何かの拍子に間違いなく踏み外します」
「…………」
『鍵』を解読するにはそれに触れないにしても、それくらいに近づかなければならない。
『円』の目の前に立って、それをしろというのか。
「お待たせしました。ひと休みはこの辺りで」
オリオンは立ち上がって箒に跨った。
その後ろに鳩原は乗る。
まったく休めているというふうではない。
『円』のことを考えているせいなのか、はたまた
あるいはその両方か。
クレーターの最深部にも近づいてきた。
遠目に見えていた白い点みたいなものが、『円』であると認識できる距離になってきた。
この辺りになると、『遺物管理区域』だった頃の形跡が多く残っている。
地面は図書館ごと泡に
『
真っ黒な粘液がこびりついていて、その周囲が崩れている。
「――――っと」
ふたりは、廊下がそのまま崩れ落ちた足場に着地した。
一緒の降下してきている光る球体を待つためである。いくつもの光る球体が落ちてきて、クレーターの底に落ちて、『円』の輝きしか見えなかった地面が見えるようになる。
オリオンは箒を握ったまま、地面に片膝をついた。
「大丈夫ですか?」
大丈夫なわけがないと思いつつ聞いた。
「やっぱり考え過ぎたから……」
「いえ、それもあるけど、この
びちゃびちゃびちゃびちゃ――と、オリオンは嘔吐した。
鳩原は咄嗟に目を逸らした。
今いる場所から、底のほうを見下ろす。
鳩原は小学生の頃に初めて屋上に上がって運動場を見たときの景色を思い出した。
丁度、その運動場の真ん中に『円』が浮かんでいるような距離感だ。
そんなときだった。
地響きのようなものがあった。
続けて、高く見上げなければ見えないほどのクレーターの外から爆発音が聞こえた。
足元が揺れて、周囲の建物の残骸が地滑りのようにクレーターの底に崩れ落ちる。
ふたりが見上げていると、しばらくして周囲に真っ黒な雨が降ってきた。
それが樹液のように粘りついた生臭い雨だった。
『
ならば、あとはあの『鍵』だけだ。
「――あとはわたくしたちだけですわね」
『オリオンさん! 応答してください!』
まさにそのとき、オリオンの懐から声が聞こえた。
それは大きな金切り声だった。絶叫だった
『こちらクアンタムです! オリオンさん! 応答してください!』
「どうしたの?」
オリオンが胸ポケットから取り出したのは一枚のトランプだった。
鳩原は知る由もないが、クアンタム・タングルが作った魔法は『遠距離の通信を可能とする魔法』である。五十二枚のトランプでの通信が可能で、その一枚をオリオンが持っている。
トランプが通信手段になっていることくらいは、傍にいる鳩原にもわかった。
『大変です! 「
「し――失敗?」
鳩原とオリオンは目を見開いて顔を見合わせた。
ならば、この降ってきている黒い雨はなんだ?
『「
クアンタムという女の子はパニックになっている。
言うべきことがまとまっていない。
それでも、今伝えられることを少しでも伝えようとしている。
『魔女が――出てきました!』
そのひと言。
その言葉に、凍りつく。
頭の中が真っ白になった鳩原は茫然としていた。
「――――すぐに行くわ」
と、トランプを胸ポケットに仕舞って、箒に跨った。
さっきまでの
「鳩原さん――あとはご自身で」
次の瞬間にはオリオンの姿は目の前からなくなっていた。
見上げると、既に高く飛び上がっていて、クレーターから飛び去って行った。
呆気に取られていながらも、鳩原は頭を切り替える。
たったひとり――取り残されて、今できること。
それは、あの『円』に辿り着くことだ。
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