第19話 ようこそ、魔法学校へ(4)


     4.


「鳩原さんとサイダーさんは仲が悪いんですか?」

「うーん……」

 そう言われると返答に困る。

 どうしてもオリオン・サイダーというあの人物を敵視してしまうのはあるけれど、それは鳩原が気に入らないと思っているからである。


 そういうのを『仲が悪い』というのかもしれない。


「そんなことより――どうしてダンウィッチはオリオンさんと一緒だったんだ?」

「迷子になっていたら声をかけてくれたんですよ。それに私の探していた本まで用意してくれたんです。親切な方でしたよ」

 さっきまでオリオンが座っていた場所に鳩原は座った。


 机の上には本が並んでいる。

 分厚くして立派な装丁そうていの大きな本と、図鑑やら辞書やらが数冊置かれている。

 ダンウィッチが開いているのは、装丁の立派な本で――世界の歴史の変遷へんせんが書かれている。


 今開いているページには十五世紀の出来事が書かれている。

 クリストファー・コロンブスによる新大陸の発見だ。


「そっちの世界と歴史は似ているのか?」

「違う箇所は当然ありますけど、基本的には同じですね。発見した人や起こした出来事、時代は微妙に違いますけど、私の世界と大体同じ歴史をこちらの世界でも歩んできています」

 人間は変わらず、偉業いぎょうを成し遂げています――と言った。


「偉業ねえ。猿にタイプライターを叩かせ続ければ、いつかはあの名作が出来上がるなんて言うし、どっちの世界でも起きているようなことは、偉業ではなくただの必然なんじゃないか?」

「その必然は誰がやっても同じかもしれませんけど、それがなければ今の文明は成立していません。ならば、歴史にとって必要なことなんですよ。だから偉業で間違いないです」


「……並行世界ってやつだよな、異世界っていうよりも」

「? ああ、私の世界のことですか」

 前後の脈略もなく、思っていたことを口にした。

 ダンウィッチは本から顔を上げた。


「並行世界って言葉……、ダンウィッチのほうにもこの言葉があるのか」

「ありますよ。無限に存在する『もしもの世界』。私の世界では、ある程度の学問として成立している分野です」

「それはすごいな。学問になっているのか」

「私は詳しくないですよ。そういうのに詳しい人たちがいて、作戦に関わってくれていたというだけのことです」

 並行世界なんて漫画で描かれるくらいのものでしかない。


「ああ、なるほど。別の世界に移動して『鍵』を取りに行くなんて作戦が立てられたのは、それくらいに並行世界というのが身近なものだからか」

「身近じゃないですよ。私がこっちの世界に来たのなんて片道切符なんですから」

「え、だったらどうやって帰るの?」


 ここで、少し気まずそうにダンウィッチは目を泳がせて、うつむいた。


 昨日――廃村から鳩原を見送ったあとに感じた気持ちが込み上げてきた。

 自分が隠していることを言うべきかどうするべきか。

 このときの、ダンウィッチの葛藤かっとうに鳩原は気づかない。


「――『門』に到達できれば可能です」

「それは本当なのか?」

 これには怪訝な表情を浮かべる鳩原。


「船と水。私たちの世界は海に浮かぶ一隻の船みたいなものです。私の世界の船と、鳩原さんの世界の船は別の船で、本来隣り合っているものではありません。私がやろうとしていることは、。そのための『門』があって、その『門』を開くための『鍵』があります」


「…………その海を泳いで帰るってことか?」

「そうです。私の世界には船底に穴が空いている状態ですので、そこから帰ることができます」

「できる……って」


 そんなの、できるとは言わない。

 不可能だ。

 これが海に浮かぶ船であったとしても不可能だ。


 それの規模が大きい、船というのはこの世界のことだ。

 この海と大地のことも、どこまでも続くあの空で輝く星々も、それらのすべてを含めての『世界』という意味だ。


『世界』の『門』から外側に出て、『世界』を見つけて『門』から帰る。

 そんなこと、とてもじゃないができるとは思えない。


「鳩原さん、こちらの世界ではどういう扱いなんですか? 並行世界って」

「……ん、ああ。……並行世界ね」

 ちゃんと聞けていなかった。


「ええっと……かなり昔から考えられているけど、観測もできないし干渉もできない。妄想の域を脱しない概念だよ。僕としては、どうすればこの概念が学問として成立するのかが不思議で仕方ないけど」


「学問としての歴史は浅いですよ。それでも、私の世界に起きた異変が大きいですね。それのせいで並行世界の存在も認めざるを得ないことになったんです。こちらの世界では魔法が当たり前に存在していますけど、私の世界では魔法というものは随分と昔に力を失った存在なんですよ」


「そっちの世界にも魔法は存在していたのか」

 てっきりそういうもの自体がない世界なのだと思っていた。


「いえいえ、違いますよ。こっちの魔法使いの方々みたいに使えるわけではありません。そういうふうに呼ばれている言葉があって、信じられていたというだけですよ」

 ぱらぱら……と、結構読み進めていく。

 ペースが速い。

 いや、細かく読んでいるというより、必要な箇所を照合しょうごうしているという感じである。

 ダンウィッチはページを捲る。


「大体は同じように進んできている歴史ですけど、そこが大きな違いですね。私の世界では魔法は発展せず、科学が発展した」

 ダンウィッチの世界の科学技術はどんなものかわからないが、似たようなものだと言っていた。ならば、それはこちらの世界にも言えることだ。


(そんなふうになるのだろうか)

 鳩原は思い出した。

『魔法の仕事を科学が奪ってしまう』という言葉を。


 実際に社会の様子を見ていると、尚更そう思ってしまう。

 才能がなければ使えない魔法と、才能のあるなしに関わらず使える科学。


 ダンウィッチの世界のように、魔法が淘汰とうたされて科学が跋扈ばっこする世界が、いずれやってくるのだろうか。


「あれ? ダンウィッチはどうして僕の言葉がわかるんだ?」

 今になって鳩原はもっともらしい疑問が浮かんだ。


 鳩原は日本語を話していて、ダンウィッチは英語を喋っている。

 いろんな言語が飛び交っている光景は珍しくないが、それが成立しているのは魔法使いの多くが翻訳魔法を使っているからである。

 それが当たり前だから、今の今まで疑問に思わなかったけど、ダンウィッチは魔法が使えるわけではないのだから、この当たり前が当てはまらない。


「それは私が日本語を知っているからですよ、鳩原さんと同じです。私はいろんな国の言葉を知っていますけれど、別に喋れるわけじゃないんですよ」

 と説明された。

 まあ、こうして会話をしていて不都合にならないから問題はないのか。


「その、『門』っていうのは何なんだ?」

 話題を変えた。

 ダンウィッチの世界にだけあるというなら、それはテクノロジーによって作り出されたものだと納得したけど、それがこちらの世界にもあるのだとすれば、話が違う。


「わかりません」

「わからない?」

 思わず聞き返した。


「ヒュペルボレイオスって知っていますか? 氷河期以前の時代にあった大陸の名前です」

「知ってるけど……、あまり詳しくないな」

「北極海と北大西洋の辺りに、二十万年前に存在していた大陸です。そこでは文明が栄えていました。その『鍵』はそこで作られたんです」


 氷河期以前なんて、まず学ばない分野である。

 先史文明、紀元前。神話を学ぶ際に触れられるくらいである。

「こちらにもあるんですね、ヒュペルボレイオス」

 安心したように笑うダンウィッチ。


「だったら、こちらの世界にも『鍵』はあるはずです」

 私のこの感覚が気のせいとかだったら笑い話にさえできませんからね、と真剣を面持おももちで言った。


「じゃあ、鳩原さんはミスカトニックって知っていますか?」

「ミスカトニック? 西暦以前の『遺物』を研究している大学なら合衆国にあるけど……あ」

 そうか。

 ヒュペルボレイオスで、『門』を開く『鍵』が作られたのであれば、そちらに蒐集しゅうしゅうされている可能性もある。


「こちらの世界にもあるんですね、ミスカトニック大学」

 ダンウィッチは嬉しそうに笑った。

 まるで不気味に笑う邪悪な魔女のように。




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