第08話 極彩色の泡(2)


     5.


 魔法による暴力行為。これらに関しての特別な項目がある。

 それは自身の命を脅かすほどの緊急事態の場合に限り、魔法を『身を守る手段』として使用することが認められている。

 もちろん、これがどのくらいの『緊急事態』で『身を守るため』なのかは明確な基準がない。それこそ、正当防衛みたいなもので成立しない場合がある。

 ハウス・スチュワードの現状を見た場合、これをどう判断されるか実際のところはわからないが、少なくとも危険な状態にあるとは言えるのは確かである。

 だが、彼女はこの状況でも魔法による『防衛行為』を行わなかった。

 それは――『人に魔法を向けるなんてとんでもない』という彼女の価値観があるからである。

 ここで彼女が取った行動は『防犯用魔法を作動させる』というものだった。

 アラディア魔法学校に備わっている防犯設備は『アミュレット』という代物である。

 いわゆる『お守り』みたいな意味合いのもので、鉱石こうせきがネックレスようになっているものや、鉱石そのものを壁に埋め込んでいるものもある。

『アミュレット』は日付や時間帯、その人物の行動や脈拍や心拍数など、あらかじめ決めた情報と比較して、それに該当しない場合に防犯用の魔法が発動するという仕組みになっている。

 防犯委員会が学校中に仕掛けてある感知魔法はほとんど同じ仕組みであるが、感知魔法との違いは、『周囲に爆音と閃光を発生させて緊急事態を報せる』というところである。

 中には対象者を攻撃するような代物もあるが、アラディア魔法学校に仕掛けられているのは非致死性魔法である。

 防犯魔法の『アミュレット』を発動させれば、打ち上げ花火が地上で爆発したような閃光と爆音を放つ――これを発動させれば、学校にいる職員が飛んでくる。

 ハウスはそちらに意識を切り替えていた。

 今いる別館には、二ヶ所の出入り口の外側に施されている。

 どちらを目指すにしても、一度この屋根の上から降りなければならない。

「う、うう」

 がらがら、と屋根が不安定にふらついた。屋根に手をついて踏ん張る。四階建ての建物の屋上である。箒で普段飛んでいる高さだが、今は魔法で飛んでいるのではなく、自分の足で立っているのだから状況が違う。怖いものは怖い。

 すると、後ろのほうで、がちん、と後ろのほうで足音が聞こえた。

 振り向くと、『侵入者』がよじ登ってきていた。

 方法はわからないが、さっき空中で跳躍した手段を使ったのかもしれない。さっきの泡を自由自在に出現させられるのであれば……。

(あの極彩色の泡はただの泡ではなく、質量を持っていた)

 ならば、可能なのかもしれない。

 一歩一歩と迫ってくる『侵入者』に臆している場合ではない。

 たんっ――と、ハウスは飛び降りた。

 そのまま地面に落下せず、ふわり、と風船みたいにゆっくりと地面に着地した。

 普段は箒を操ることで飛んでいる。

 魔法を使うとき、杖などを用いるのは頭の中での切り替えが目的である。杖を使っているときは魔法を使うときであるとすることで、日常的に誤爆するのを防ぐためである。

 それがなくても、魔法は使えるには使える。翻訳魔法なんてそうだ、日常的に聴覚に織り交ぜて自動で発動させているのだから。

 一方で、それを追いかけてくる『侵入者』は一切の躊躇ためらいを感じさせない動きだった。走ったまま跳躍ちょうやくした。

 追いかけてくる『侵入者』の動向を見守っているような真似はせず、ハウスは既に走り出していた――防犯用魔法『アミュレット』がぶら下げられている出入り口に。

『侵入者』はそのまま地面に着地して転がって受け身を取った。

 ぐるりと一回転して――立ち上がる。

 ほんの数歩で間合いを一気に詰められた。

 ハウスが振り向くと、すぐそこに『侵入者』の顔があった。

 心臓が一瞬止まったかのように感じた。

『侵入者』は――右手の人差し指を立てていて、それはハウスに向けられていた。

 これが何を意味しているのかわからないが、よくないと感じた。

 ああ――ああああああああ、ああああああああああああああ――っっ! とみっともなく叫んだかのように感じた。

 かちん――と、光がハウスの周りに散り、半透明のエネルギー体を放出された。

 身の危険を感じての『防衛行為』だった。

 だけど、ハウスはそれを――この期に及んでも人に攻撃を向けることができなかった。

 あくまで魔力を地面に向けて放出した。

 このときに生じた衝撃でハウスと『侵入者』の身体は吹っ飛ばされて、地面に叩きつけられて転がった。

「はあ……、はあ――っ」

 ハウスは――『アミュレット』を掴んだ。

 吹っ飛ばされて、地面を転がって、辿り着いた。

 別館の出入り口のひとつ。扉の傍らにぶら下がっている『アミュレット』に。

 この魔力の放出であの『侵入者』を殺してしまったかもしれない。そう考えると冷や汗が止まらない。そうだとしたら、救助を呼ばなければならない。

 どちらにしても『助け』を、いち早く呼ばなければならない。

 救助が来るのが早ければ、さっきの『侵入者』に万が一のことがあったとしても助かるかもしれない。

 防犯用魔法が作動した際の実験には何度か立ち会ったことがある。

 その威力は知っている。

 閃光は眩しくて周りが見えなくなる。目を開けているのか閉じているのかわからなくなるくらいに。音だってそうだ。キィィ――と小さな音みたいなものだけが聞こえて、それ以外は何もわからなくなる。

 それを至近距離で受けることになるのはハウスだが、間違いなく助けを呼ぶことができる。

「…………え。な、な……」

 なんで、発動しない?

 まるで反応がなかった。

 古い代物だから故障?

 いや、過去には整備不良でそういうことは何度かあったが、生徒会がそれらのチェックと備品の交換を行うようになってからは防がれていることだ。防犯委員会なんてそれが目的で設立された委員会といっても過言ではない。

(だから――違う)

 焦る気持ちがすっと落ちる。

 落ち着く。

(偶然なんかじゃない。不良品なんかじゃない)

 こんな都合の悪いことばかりが起きるわけがない。

 適当な仕事をしていないという彼女の自信が、その混乱を落ち着かせる。

 これは整備不良や故障や不良品なんかじゃなくて、


 これには偶然ではなく、必然である――そう確信した。


 ひとつに気づけば、次第に視野が広くなる。自分が握り締めている『アミュレット』のすぐ傍にある扉が、ちゃんと閉まっていないことに気づいた。

「あなた」

 たっぷりと考えたつもりだったが、それはほんの一秒くらいだった。

 ハウスはその扉の先にいると確信している人物に向けて言った。

鳩原はとはら那覇なはね」

「……どうしてわかったんですか?」

 扉の向こうから、そう返答があった。

「考えたからよ」

 ハウスは短く答えた。




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