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 掘り出してみたら、幸い新川は気絶しているだけで無傷だった。この脆弱な男が大量の本の下敷きになって圧死していなかったというのはまことに僥倖と言うしかない。

「いやはや。助かりました。実に良いタイミングでお越しになりましたね鵜坂くん」

 いつもの格好いつもの顔で――つまり、黒い和服と、常に微笑んでいるように見える顔で、新川は言う。この男は常に糸目で、口角がわずかに持ち上げられており、そしてその表情が喜怒哀楽いかなる感情にも動かされない。鉄壁の微笑を常に保っている。

 昔、「ちょっとは表情変えないのか」と訊いたら、「私の表情筋にそんなパワーはないです」と返ってきた。表情を変えられないなら表情筋を名乗れないと思う。

「いつから埋まってたんだおまえ」

 散らばった本を適当に端に寄せて、坐る場所を作りながら訊く俺に、新川はしれっと

「昨日の晩から」

 と答えた。一晩生き埋めになっていた割には泰然自若としている。

「さて、このところとんとお見限りだったようですが、今日はどういう風の吹きまわしですか、会長?」

「――」

 新川の肩書は、学生兼占い師である。大学では占術クラブという胡散臭いサークルで総務担当を務めている。そして何の因果か、その胡散臭い占術クラブの長はほかでもない、この俺なのである。

 念のため言うけど、俺は別に占い師ではない。理学部物理学科に学籍を有するラララ科学の徒である。占いを盲信できるはずがない。しかしそれを言うと新川も物理学科生であり、この男はどうやって理学部生と占い師の肩書を一個の人格の中に同居させているのだろう。

 去年の夏に、占術クラブの一期生たちが一斉に休学して、みんな旅に出てしまった。残されたのは二期生、つまり新川と俺の二人だ。当然新川が会長になるんだろうと思っていたら、いつの間にか俺がトップの座についていた。なぜそうなったのか、未だに分からない。代表になるのを面倒くさがった新川が変な術でも使ったのかもしれない。

 不本意かつ遺憾。正気なら絶対に引き受けない筈なんだけど、代表就任の書類には俺の署名と拇印が間違いなく残されており、どういうことなのか意味が分からない。

「――新川よ」

「なんです?」

「会長じゃない、会長代行だ」

 意味が分からなくっても代表になってしまった以上は仕方ない、代表を務めよう。だが会長にはならない。あくまで会長代行だ。先代会長、いや、そもそもあの人は退会したわけでも辞意を表明したわけでもなく、未だに会長である筈だ。会長が旅から帰れば、ただちに代表の席を返上する所存である。

「まあ、貴方はそもそもオカルト関係の諸々をあまり信じてない節がありますしね」

「現代人で、しかも物理学科の学生だからな」

「同期の名簿でも先頭に載ってますからね、貴方の名前は」

「いや、それは別に五十音順なだけだから関係ないが……」

「かれこれ十年強、変なコトに巻き込まれたり変なモノを見たりしてきてるんですから、そろそろ諦めて受け入れたらいいのに」

 易者なんて因果な稼業をやってる友人の傍にいると、変な目に遭う機会が多い。

「いや、別に『オカルトはありえない』って主張してるわけじゃないんだ。そういうのに対処する特殊能力もないのに、『会長です』って顔をするわけにはいかないだろ」

「特殊能力なんて私にもありませんが……現状、貴方がやってるのは会長の仕事なんですから、会長職についてしまっても実質的には何も変わらない気がしますけど」

「それはそれ、これはこれだ。って言うかだな、新川が会長に就けば八方まるく収まるだろ」

「そんな体力はありません」

「体力仕事じゃないだろ占術クラブの会長職。対外的にクラブを代表するだけで……そうだ、それで思い出した」

「何をです?」

「今日来た要件だ。サークルポストに学生委員会から何か届いてたぞ」

 俺がそう言った途端に、新川はそれはそれは嫌そうな顔をした。表情としては相変わらず微笑なのだが、「ぐへぁ!」とでも言いたげなオーラを顔から、というか全身から放っている。

 サークルポストというのは、学生会館に設置されている公認サークル用の郵便受けのようなものだ。大学からのお知らせや他のサークルから通信なんかが投函される。怪しげで胡散臭く胡乱気な我が占術クラブも一応大学公認サークルなので、サークルポストを一つ占有している。大学は何を考えてこんなサークルを公認したのだろう。

 今回封書を投函してきた学生委員会というのは、中学校や高校で言えば生徒会みたいなものである。本学学生自治の中心なんだそうだ。実際に何をしているのか詳しくは知らないが、大学生協や学食を運営したり、サークルの管理をしたり、学内のトラブルの解決にあたったりしているようだ。

 昨日大学に足を向けたついでにサークルポストを覗いたら学生委員会発の封書が入っていたので、今日こうして新川の部屋にやってきたのだ。

「そんなに嫌そうな顔しなくてもいいだろ」

「だって、絶対面倒な話ですよ」

「まあ面倒そうな話だった」

「ほら~」

「なんかな、最近学内で変なモノが目撃されるんだそうだ」

「またその手の話ですか? 年末にネズミ退治に駆り出されたばっかりだと言うのに」

「あれは大変だったな……」

 話すと長くなるから詳細は割愛し概略を述べるが、去年の十二月頃、学内で妙なネズミの目撃情報が相次いだ。被害を受けたのは主に図書館の蔵書である。大学当局が駆除を試みたがイマイチ功を奏さなかった。

 その後、群れの中にネズミにしては大き過ぎるのがいるとか、そいつは人の顔をしていたとか、壁の中でネズミがおしゃべりしてる声を聞いたとか、どうも普通のネズミじゃなく化けネズミのようだ、という噂が学内ではまことしやかに囁かれた。

「新川どう思う?」

「猫を投入したらいいんじゃないですか?」

 なんて会話をしていたら、やはり学生委員会から占術クラブに、調査と対処の依頼が送られてきた。当初は断るつもりだったのだが再三再四の要請を拒みきれずに新川と二人、出動する羽目になったのである。

 ところで大学では十二月の下旬に、後期の中間テストがある。当然学生としてはテストを乗り越えるのが最優先になるわけで、さすがの新川だってテストは受けに出てくるくらいだ。受けなければ落第確定だからな。

 それでネズミ問題解決に乗り出したのはテスト終了後で、世間ではちょうどクリスマス真っただ中だった。

 クリスマスに、胡散臭い男と二人、ネズミ退治に繰り出す大学生活。俺が高校時代に漠然と思い描いていたキャンパスライフとは乖離している事おびただしい。

 結局その化けネズミは、ネズミとり的なトラップを作ることにより捕獲した。俺が見る分にはただネズミとりを大きくしただけのシロモノに見えたが、新川が十重に二十重にオカルティックな何かしらを施したトラップである。俺は大学構内を右往左往して、件のネズミを罠に追い込む勢子の役目をやらされた。クリスマスを挟んで一週間ほど駆けずり回る羽目になり、割ときつかった。

 捕獲されたネズミを見ると、成程体は随分大きいし、人の顔をしているように見えなくもない。

「なんだこれ? ヌートリアとかってやつか?」

「ヌートリアはこんなに大きくはないです。ん~、鉄鼠……? ですかねぇ……?」

 何かそういう妖怪らしいが、新川の歯切れが悪い。よくよく聞いてみれば、どうも伝承されているその妖怪の特徴に一致しないらしい。

「鉄鼠は壁の中に入っておしゃべりしたりはしませんが……まあ、ネズミには違いないので対処法は決まっています」

 そのネズミは大学の裏山で放してやった。年明け後、新川の報告書を受け取った学生委員会によって、学内のあちこちに猫の置物が設置された。

「本式には猫を祀る祠を建てるんですが、学内に祠建てるのもどうかと思いますからね。まあ、置物でも位置さえ正しければ充分効果があるでしょう。あとは量でカバーします」というのが新川の弁である。ネズミに猫というのはいくらなんでも単純すぎやしないかと思わないでもないが、その後ネズミの害はパタリと止んだので、実際に効果があったらしい。

 それで、それからひと月程が経った現在、再び学内でのよく分からない現象への対処を求められている占術クラブである。学生委員会からの文書には「先の件での対処の迅速的確さを見込み、再びお願いする次第です」としたためられていた。

「占い師はゴーストバスターじゃないんですよ」

「俺に言われてもな……まあ、オカルト絡みなら易者の専門分野だろ」

「易者の本分じゃないですよ妖怪退治。それにそもそも、我が大学にオカルト系のサークルがいくつあると思ってるんです? 公認非公認あわせて百内外ですよ?」

「何度考えても多すぎるな……新興宗教の出先団体じゃないのか」

「ん~……宗教ではないですが、出先機関という面は否定しにくいですね」

「どういうことだ?」

「こう、国内各地にはオカルト系の団体とか、魔術呪術の類を家業にしている家とかがあるわけです」

「おまえんちもそうだよな」

 新川家は地元では、古くから続く易者の家としてそこそこ知られている。

「そういう家なり団体なりが子女をこの大学に学生として送り込んでいて、彼ら彼女らがサークルを作っている形ですね」

「なんだってまた」

 別に特殊な何かがある大学だとは思えない。

「龍脈って聞いた事あります?」

「あ~……なんか土地のエネルギーの流れる道みたいなやつか? 詳しい事はよく知らないが」

「まあ、その認識で充分です。で、この国には三本の主要な大龍脈がありまして、その内の二本が本州を通っています」

「ふぅん?」

「で、その二本の龍脈の始点が、この近くにあるんですよ。この大学の立地は丁度、その龍たちの首根っこを押さえるのに丁度いい位置に当たっているんです。厳密には龍穴の中心は大学の裏山に当たりますね」

「よく分からないけど、それはなんかすごくないか?」

「すごいので、全国各地の占術やら呪術やら魔術やらの家・団体が人員を送り込んできて、サークルを作り、龍脈を監視したり利用したりしようとしているわけですね」

「じゃあおまえや玲さんも、新川家から送り込まれてるのか」

 玲さんというのは新川のイトコで、占術クラブの発起人であり、今は旅に出ている初代会長である。

「あいや、私やイトコ殿がここに進学したのはただの偶然です」

「なんだそうなのか?」

「当家はただ古いだけですからね。列島規模の龍を制するような大望は持っていません」

「ふぅん」

「まあとにかくそういうわけですから、我が大学にはオカルト系サークルは多いので、何もわざわざこんな弱小零細サークルに依頼しなくたっていいのです」

「成程なぁ。でも、じゃあなんで学生委員会は他所じゃなくてウチに依頼持ち込んでるんだ?」

「他のサークルに借りを作ると高くつくからですかね?」

「学外からの影響受けるわけだもんな」

「安く見られてるのは癪ですねぇ」

「それじゃあ断るか?」

「う~ん……かと言って学生委員会との関係が冷え込むのは避けたいんですよねぇ」

「なんだ優柔不断だな」

「まあいいや、報酬に色つけてもらうことにしましょう」

 前回のネズミの一件で、新川は学生委員会に結構な額の報酬を要求した。おかげで俺の懐もだいぶ潤った。駆けずり回った甲斐があったというものである。そして今回も高額な報酬を請求するつもりであるらしい。お金はいくらあっても邪魔にはならないので、俺に異存はない。

「鵜坂くんはもう、この依頼書は読んだんですよね? じゃあちょっと掻い摘んで説明を――ああ、その前にお茶でも淹れましょう」

「え? なんだ、おまえが自発的にお茶出してくれるなんて珍しいな。槍でも降るのか」

「なんせ十五時間くらい埋まってて飲まず食わずですからね。さすがに喉が渇いたんですよ」

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