◆7-3
翌日、時間通りに野々村店長は連れを伴ってやってきた。
今日は定休日なのにわざわざ悪いなぁ。
「コタツくん、お久しぶりね」
名前で呼ばないでってずっと言ってるのに!
「お、お久しぶりです。お元気そうで何よりです。
野々村
隣にいる大きな人は旦那さんの忠さんだ。黒縁眼鏡に口髭、身長は百八十八センチ。まあ、でかい。趣味は筋トレ。
でも、穏やかで優しい。在宅でグラフィックデザイナーをしていて、手が空くと時々カフェを手伝ってくれる。
「犬丸くん、食事はちゃんと取っているかい? 節約なんて考えて適当なものばかり食べていると、体を壊すよ。一人で店を切り盛りするなら体は大事にしないとね」
「はい、気をつけます。ありがとうございます」
……最近野菜をあんまり食べてなかったかもしれない。気をつけよう。
「あら、猫ちゃんたちがいる。もうここに入れてるのね」
キャットタワーから皆が野々村店長と忠さんを観察している。忠さんの背は高いから、てっぺんにいるトラさんがようやく見下ろせるくらいの高さなんだけど。
「はい。アパートじゃ狭くて可哀想だったんで」
「血統書つきの子もいるみたいだけど、皆、保護猫なのかしら?」
「ええ、そうですね。動物病院の貼り紙を見て引き取りに行ったり、そんな感じで集まりました」
すると、野々村店長は僕に向けるよりも何倍も優しい顔を皆に向けていた。
「皆いい子ねぇ。コタツくんと相性がよさそうだわ」
「そうなんです。皆可愛いでしょう?」
と、僕も飼い主馬鹿になって言った。トラさんがあくびしてる。
――ずっと気になっていたんだけど、野々村店長と忠さん、どちらもひとつずつキャリーケースを持っているんだ。
もしかして、店の猫を連れてきたのかな? それなりの期間、一緒に働いた猫たちだから、僕も久しぶりに会えるのは嬉しいかも。でも、あそこには二十一匹もいるんだ。そのうちの二匹って誰だろう?
「あの、そのキャリーケースは?」
僕は野々村店長が切り出すよりも先に訊ねた。
その時、野々村店長が珍しく目をそらす。なんだなんだ?
かと思うと、野々村店長のさまよった視線が戻ってきた。
「コタツくん、今って猫は全部で何匹?」
「え? 五匹ですよ」
「まだ増やす?」
「はい。もう少しいてもいいと思ってます」
僕がそう答えると、野々村店長と忠さんは顔を見合わせ、二人ほぼ同時にキャリーケースを床に置いた。
「じゃあ、この子たちのことよろしく」
「へ?」
「ここに置いてあげてくれない?」
そう言って、野々村店長はキャリーケースの扉を開けた。忠さんもだ。
でも、中の猫は見知らぬ場所に怯えているのか出てこない。僕のことを知ってる猫ばっかりのはずだから、僕が顔を出せばいいのか。
ただ、野々村店長が飼い猫を手放すなんておかしいなと思った。キャリーケースを覗き込んでみて、理由がわかった。
「野々村店長、この子、どこの子ですか?」
中にいたのはシャム猫だった。青い双眸が警戒心剥き出しで僕を見据えている。
うん、知らない猫だ。初対面だ。この子は野々村店長のところの猫じゃない。
忠さんの持ってきたキャリーケースの中も覗いてみたら、やっぱり知らない子だ。
ソマリって種類の猫。毛色は『健康的な赤』って意味合いのルディ。
この子も警戒してる。まあ、普通の反応だろうけど。
どっちもメスだね。綺麗な猫たちだ。
野々村店長は苦笑しながら言う。
「あのね、これからオープンしようかっていうコタツくんには言いづらいんだけど、廃業した猫カフェの経営者が引き取ってほしいってうちに頼みにきたのよ。でも、うちはすでに大所帯だから難しいのよねぇ」
廃業……。
いきなり聞きたくないワードがきた。
で、でも、猫たちに罪はない。行く当てのない猫に縁起が悪いなんて思ってないよ。
「わかりました。僕は大歓迎です」
それを聞くなり、野々村店長は心底ほっとしたようだった。奥さんのその表情を見て、忠さんも続いて安堵している。
ちょっとだけ気になったことを訊ねてみる。
「どっちも血統書つきですよね。もしかして、雑種は置かない高級猫カフェとか、そういうコンセプトだったんでしょうか?」
「当たり。さすがコタツくん」
雑種も血統書つきも、どんな猫だって等しく可愛いのに、そんな分け隔ては要らない。僕はそういうの好きじゃない。野々村店長もそこは僕と同じ考えだった。
「だから、この子たちは猫カフェって環境に慣れているの。でもね、なんだか心配で。だからコタツくんに託したくて。勝手なことを言うけど、コタツくんならなんとかしてくれるんじゃないかなって」
心配ってなんだろう?
たまに劣悪な環境の店があるっていうけど、そういうこと?
うーん、見た限り、栄養状態はよさそうだけど。
野々村店長はそれ以上詳しいことを言わなかった。何がどう心配なのか、それを上手く言えないから言わないのかもしれない。
「うちに迎える以上、この子たちは僕の大事な家族です。だから、精一杯の気持ちを込めて世話をしますよ」
僕にできることってそれしかない。
でも、それが何より大事だって思ってる。ここへ来てくれてありがとう、大好きだよって、その気持ちを伝えて一緒に過ごすことが何よりだから。
僕の答えを聞いて、野々村店長なりに及第点を出してくれたのかな。
「うん。シャムの方がサラ。ソマリがルチアよ。よろしくね」
と言って、忠さんと笑顔で手を振りながら帰っていった。空っぽのキャリーケースを手に。
「――さてと」
僕は二人を見送って中に戻る。戸をパタンと閉めた瞬間に、サラとルチアがビクリと尻尾を震わせた。
お互い、顔見知りがいることがせめてもの救いなのか、二匹はぴったりと寄り添っていた。
とても緊張している。それが手に取るようにわかった。
まあ、自分たちがいた猫カフェが廃業して、仲間たちは別々のところへ引き取られていったんだ。自分たちを取り巻く環境が目まぐるしく変わって、不安はあるだろう。
僕はその緊張を和らげてあげたくて、目線を下げるために床に胡坐を掻いた。
「ようこそ、二匹ともよく来てくれたね。僕はこれからオープンするこの猫カフェの店長だよ。よろしくね」
すると、二匹はますます体を強張らせた。
にゃ、にゃぁ……。
て、店長……と、消え入りそうな声を漏らす。
僕はうなずいてみせた。
「そうだよ。サラ、ルチア、うちのスタッフを紹介するよ」
皆に集まってと呼びかけるまでもなく、皆は近づいてきた。ただ、追いかけっこをして遊んでいたマサオとチキとモカは勢い有り余って僕に追突したけど。
モカなんかは体重が軽いからぶつかった拍子に僕の膝に跳ね飛んできた。僕はモカがさらに転がるのを抱きとめる。
「こら、遊ぶのはいいけど怪我をしないように気をつけるんだよ」
にゃっ。
テンチョ、ごめんなさい。と、チキは素直だ。
にゃ~。
悪い悪い、とマサオは軽い。
にゃあ。
テンチョも遊ぼって、モカに誘われた。はいはい。
そんな落ち着かない中、トラさんとハチさんは落ち着いて歩いてくる。
にゃあ。
ほら、新入りがびっくりしてるだろ。
にゃあ。
騒がしくしてすまんな、とハチさんは渋く二匹に語りかける。
サラとルチアはどう答えていいのか困っているふうだった。なんとなく、ハラハラしているようにも見える。その視線は、僕の膝の上のモカに向いていた。
僕は皆の紹介をしてみる。そうして最後に言った。
「あのさ、僕は君たち猫の言葉がわかるんだ。だから、言いたいことがあれば言ってほしい。どうせ伝わらないからって我慢しないで。僕が改善できることならなるべくしようと思うし」
すると、サラが青い目を見開いてつぶやいた。
にゃあ?
猫の言葉がわかる? そんなことが……って、まあ、信じがたいのは仕方がないよね。
でも、ルチアはうつむきながらにゃあと言った。
あなたが新しい店長でしたら、店長を煩わせるようなことは何もありません。私たち、慣れていますから。
そう、ルチアは答えたんだ。
なんだろう、すごい壁を感じる。
大抵の猫は僕が猫の言葉を理解できると知ると、打ち解けて話してくれた。なんでだか、この二匹はそれでも僕を警戒している。なんで?
膝の上にいたモカも何かを感じたのか、僕の膝から下りてサラとルチアの方にヨチヨチと歩いて行った。
にゃあ?
テンチョ、怖くないよ? って。
あ、モカも二匹が僕に怯えているのがわかったんだ。フォローしてくれてる。ありがと。
それに対し、ルチアがボソボソ、と僕に聞こえないような声で小さく鳴いた。
う~ん、これは急いじゃいけないのかもしれない。ゆっくりと二匹が馴染むまで様子を見るべきかな。それがオープンに間に合うのかはわからない。
でも、だからといってオープンが近いんだからって、こっちの事情を二匹に押しつけるのもどうなんだ。
この、二匹が作り上げた壁を野々村店長も感じたんだろう。だからあんなに歯切れが悪かったんだ。
これを僕ならなんとかできるって信じて託してくれた。
焦っちゃいけない。誠意をもって、じっくり二匹と向き合っていかなくちゃ。
僕がそう決意した中、マサオがにゃあと言った。
走ったら腹減ったよって、あ、うん、君はマイペースでいいね……。
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