◆6-6

 寒い中、闇雲にウロウロしているというのは得策じゃない。

 マサオはそれに気づいてとりあえず落ち着ける場所を定めることにした。


 その場所は『公園』という。大体の町にある公園は、広いのから狭いのまで色々だ。

 猫にとって雨風を凌げる場所が多いから、いざとなったら公園で休むことも多かった。

 公園という場所には、人間の中でも子供が多く来る。


 子供は、小さすぎると食べ物をあんまり持っていない。よって、小さな子供がたくさんいても、正直うるさいだけだって?

 公園にはご飯が乏しい。休むところはあっても、食べるものがない。だから公園に住み着くって考えはマサオにはなかったそうだ。


 にゃ~。

 正直に言おう。オレは狩りが苦手だと。

 ――マサオ、本当によく野良で生きてこれたよね。ハチさんの目が遠いよ……。


 で、寒い日にはそんな子供たちですら公園には長くいなかった。すぐに帰ってしまう。うるさい子供たちが去った後は、風の音だけがヒューヒューと鳴り響いていたって。


 子供たちがよく潜って遊んでいる筒の中にマサオはすっぽりと収まってみた。子供たちよりも小さいから、結構余裕があったそうだ。


 今晩はここかなって思って丸くなっていると、大きな荷物を持った人間の男がやってきた。自転車の前にも後ろにも大荷物だ。でも、なんであんなに荷物がいっぱいなんだろう。あの荷物は何を詰め込んでああなったんだろう。


 マサオは寒いながらに好奇心を刺激されて男に近づいた。すると、なんとも言えない臭いがした。シロさんみたいに美味しそうな匂いをさせていない。どちらかといえば臭いくらいだ。


 でも、人間だから。人間の大人はマサオによくご飯をくれる。だからこの男がご飯をくれないとも限らなかった。マサオはとりあえず愛想を振り撒いておくことにした。


 にゃ~。

 ひと声鳴いて主張すると、浅黒い肌をして顔の下半分が毛で覆われた男はにっこりと笑った。ダブダブヨレヨレの服を着ていたけど、怖くはなさそうだった。


「おお、どうした? 食いもんよこせってのか?」


 にゃっ。

 まあねって、そこは否定しなかったらしい。


 男は、大きな荷物の中から丸っこいパンを取り出した。それをちぎってマサオの方に投げる。

 マサオは、パンが嫌いだった。だって、モソモソするし、とのこと。

 しかも、そのパンは乾いてパッサパサだった。


 ……たまにいるんだよね。猫だからって残飯を寄越す人間が。猫だってマズイものはマズイんだってのにさ、と贅沢者のマサオは言う。


 ただ、この男はマサオにパンを放り投げた後、ベンチに腰かけて自分もそのパンを齧り出した。

 自分でも食べるってことは、残飯だと思ってマサオにくれたわけじゃない。この男はこのパンを美味しいと思って食べているみたいだった。


 仕方ないなぁ、とマサオはパサパサのパンを食べたんだそうだ。この時は結構お腹が空いていたから。シロさんのところでご飯をもらっていたような時なら絶対に食べなかったって。


 にゃっ。

 まあ、美味しくはなかったよ、とか言う。


 それでも、腹は膨れた。ベンチに座った男をよく見ると、男はマサオに放り投げたのと同じ量のパンしか食べていなかった。人間は大きいんだから、あんな程度でお腹がいっぱいになるはずがない。

 そこで気づいた。パンは最初からふたつしかなかったんだってことに。


 マサオは大変なものをもらってしまったような気がして、ちょっと焦ったって。仕方がないから、男に感謝を述べながら体を擦り寄せる。

 男は特に怒った様子もなく、そうかそうかって言って笑った。わかってくれたのかなと思ったけど、多分適当な返事だった。


 ヒュー、と相変わらず風が冷たいから、マサオはその男の膝に載り、お互いにあたため合ったのだそうだ。


「あったかいなぁ。お前さん、恩返しのつもりかい?」


 にゃ~。

 もちろんだよ。別に、オレが寒いからじゃないからね。うん。



 その男、おじさんは、いつものんびりしていた。

 道を行くヒトたちはシャカシャカ歩くのに、そのおじさんは急がない。いつでも自分のペースだった。

 ちょっといなくなったかと思えば、


「ほら、猫缶買ってきたぞ」


 なんて言ってご飯をくれたそうだ。

 でもさ、猫にご飯をあげるより、自分が食べた方がいいんじゃないのって思うほどにはそのおじさんは痩せていたんだって。

 しかも、マサオにだけじゃなくて、他にも野良猫がいて、その猫たちにもご飯をあげていた。マサオを入れて四匹いた。


 にゃあ。

 兄ちゃん、見ない顔じゃねぇかって、黒猫に言われた。


 にゃ~。

 旅をしてきてここへ行き着いたんだ。なあ、このおじさんっていつもこうなのか? 猫にばっかり食べさせてるけど、自分はいいの?

 すると、黒猫は猫缶を食べ終え、フッと息をついた。


 にゃあ。

 さあな。俺たちは餌がもらえるならそれでいいんだ。それ以上考えても仕方ねぇからな、との答えだった。


 まあ、そうなんだけど。いいのかなって気にもなったそうだ。

 マサオはぼんやりしているおじさんを眺める。柔らかい表情だった。

 なんだろうな、少なくとも嫌々やっていることではないみたいには見えた。それならいいんだけどさ。


 それでも、次から次へとここへ来る猫が増えてしまったら、おじさんも自分が食べられなくなるだろうに。あんまり長居はできないかなってマサオは思ったそうだ。


 にゃ~。

 おじさん、ありがとな。元気でな。


 マサオはおじさんに別れを告げて歩き出した。マサオはおじさんが身を削ってくれるご飯を食べ続けるより、今までみたいになんとなく流れていけばいいって思ったそうだ。それが苦手な猫がおじさんを頼るのは仕方がないかもしれないけど。

 自分だってお腹いっぱいじゃないくせにご飯をくれた。おじさんの優しさは忘れないよ。



 にゃ、にゃ~。

 マサオは再び旅をする。

 でも――。


 とうとうこの季節がやってきた。空を見上げると、白い雪がハラハラと降りてくる。

 あれは油断するとマサオの頭を越えるほど積もってしまう。そうじゃなくても踏んだだけで冷たくて、足の芯から冷える。


 最悪だ。寒いし冷たいし。

 マサオはそれでも、あの手この手で雪に埋もれず、寒さにも負けず、猫好きの人間にご飯をもらっては冬を越えた。


 やっとのことで春を迎える。しかしだ。

 またしばらくすると暑い夏が終わって寒くなる。大嫌いな冬が来る。

 その時、マサオは再びあの寒さに耐えなくちゃいけない。

 寒いの嫌だなぁ、と思ったそうだ。


 この自由な暮らしは素晴らしい。マサオは心底そう思っている。でも、寒い冬だけは別だった。

 次の冬が来る前にどこかに落ち着くというのもひとつの手かなって、マサオなりに考えるようになったんだそうだ。


 遠くから旅をしてきて、十分楽しかった。だから、それなりに満足はしている。あとは、寒くないところで眠れて、空腹に耐えなくてもよくて、そこそこに退屈しない日常があればいいんだけど。


 そんなことを考えながらマサオは歩き続けていた。

 そうして、ここで僕たちと出会った、と。そういうことなんだね?



     ◆



 にゃ~。

 まあねってマサオは毛づくろいをしながら答えた。


「退屈しない日常か。猫カフェのスタッフになったら、毎日いろんな人間が来て、その相手をしなくちゃいけない。だから、ある意味の刺激はあると思うよ。もちろん、食べ物と住まいの心配はしなくていい。君たちが自分で稼ぐようなものなんだから」


 にゃ~。

 いいな、それ。食わしてもらうんじゃない、自分で稼ぐってのが面白いや。

 なんてことをマサオは言った。


 ウキウキと乗り気になっているのが目の輝きからわかる。マサオは人懐っこいし、いろんな人と接してきている。猫スタッフに向いているだろう。


 でもね――。

 僕はどうしても言わなくちゃいけないことがあると思った。


「ねえ、マサオ」


 にゃ?


「もし君がうちのスタッフとして働いてみようと思ってくれているのなら、ひとつだけ約束してくれるかな?」


 にゃん?

 改まってなんだい? ってマサオは首を傾げる。そんなマサオに僕は言った。


「マサオは気ままだけど、ふと急に飽きたから旅に出るっていうのはナシだよ」


 にゃ?

 なんで? ってやっぱり返してきた。


「やっぱり自分には合わないと思って辞めたくなったら、それは仕方ないと思う。そういう時は僕も無理にとは言えないよ。でもね、ここでは皆が仲間だから、仲間の一匹が急にいなくなってしまったら、皆が寂しい思いをする。だから、急にいなくなるのはナシだ。旅に出たくなったら、ちゃんと相談すること」


 すると、マサオは大きな目で何度か瞬いた。

 にゃ~。

 仲間かぁ。不思議そうにつぶやいている。


「そうだよ。仲間だ。マサオが飽きずにずっといてくれることを願いたいんだけどね。それもまずはやってみなくちゃわからないだろう?」


 うんうん、とマサオはうなずいた。

 にゃ。

 じゃあ、ちょっくら世話になろうかなって。


「いいよ。じゃあ、君のことを採用するよ。これからよろしく」


 にゃ~。

 よろしくって言って、マサオは尻尾をユラユラさせた。猫スタッフたちがそれぞれ自己紹介を始める。


 最初はトラさんとハチさん辺りが難色を示していたように見えたけど、マサオは世渡り上手だ。愛嬌ですぐに溶け込む。

 なかなか頼もしいじゃないか。

 

 ええと、名前はマサオ。

 サバトラのオス。

 好奇心旺盛。マイペース。ちゃっかり者。放浪癖あり――と。


 マサオで五匹目の猫スタッフだ。

 あとひと息、かな。



  *To be continued*

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