◆5-5

「ただいま~」


 ガチャガチャ、と音を立ててアパートの鍵を開ける。片手にはキャリーケース。

 中で三匹の猫が待ち構えているのがなんとなくわかった。

 戸を開けると、お行儀よく鎮座した三匹が僕を迎えてくれた。僕をというか、子猫をだろうか。まあいいや。


 にゃあ。にゃっ。にゃあ!

 おかえり、と皆口々に言い、僕の手にしたキャリーケースに意識を集中している。僕は戸を閉めると、部屋の真ん中にキャリーケースを置き、その扉をそっと開けた。


 でも、モカはすぐには出てこなかった。警戒しているんだろうな。

 チキが待ちきれず、そうっと中を覗き込むと――。


 にゃあぁっ!

 何よあんた! って怒られた。

 

 にゃっ。

 ごめんなさい、ごめんなさいって、体の大きさが何倍もあるチキの方が尻尾を下げて謝った。


 あはは、やっぱりモカは気が強いな。

 僕はそんなチキを膝に載せ、皆に言った。


「この子の名前はモカだよ。とりあえず一週間様子を見ることになったから、皆仲良くしてほしいんだ」


 にゃあ?

 トラさんが首を傾げた。

 とりあえずということは、まだ採用じゃあないのかと。


「僕は採用でいいと思うけど、モカはまだ帰るところもあるから、本人、いや本猫がどうしても嫌だっていうなら無理強いはしないつもりだ。そういう意味でとりあえず、だね」


 ほぅ、とハチさんが渋くうなずいた。

 モカはというと、それでも頑としてそこから出てこようとしなかった。無理やり引っ張り出すと嫌がるだろうから、とりあえずは放っておく。僕だってやることはたくさんあるんだ。


 カフェメニューは決めたつもりだったけど、なんとなくカフェモカも追加したくなった。台所に立って試作する。まあ、これくらいならすぐに作れるし、増やしても負担にはならないだろう。


 背の高いグラスにカフェモカを注ぎ、簡易ホイップとチョコソースでデコレーションする。カフェモカが出来上がっても、モカは出てこなかった。キャリーケースの周りをチキがウロウロしている。トラさんは出窓で寝ちゃったし、ハチさんも毛づくろいしている。大人猫二匹は我関せず。


 う~ん、大丈夫かな。

 僕は座卓の上に出来立てのカフェモカを置くと、そのそばに座ってモカに声をかけた。


「おーい、モカ。そろそろ出ておいでよ。皆のことを紹介するからさ」


 すると、中からにゃあ、と声がした。

 でっかいのばっかりじゃないのって?

 あ、もしかして怖かった?


「大丈夫だよ。皆優しいからね」


 モカは渋々といった様子でキャリーケースの入り口まで出てきた。僕は苦笑して皆を呼ぶ。


「はい、皆集合。トラさんも来てよ」


 トラさん、もう起きてるよね。耳がピクピクしてたし。

 皆、僕の横に集まってくれた。僕は一匹ずつ紹介する。


「僕は猫カフェの店長になるから、店長って呼んでよ。それで、こっちがトラさん。うちの猫スタッフのリーダーだよ。こっちはハチさん、サブリーダーだ。で、こっちがチキ。今のところこの三匹だけなんだけど、これから増えていく予定だから。モカにもいずれ一緒に働いてほしいんだけど」


 にゃっ。

 よろしく、とチキが一番フレンドリーに声をかける。モカは警戒していたけれど、フサフサと揺れるチキの尻尾には興味津々だった。


 モカは腰が引けつつも、にゃあと言った。

 猫カフェってなんなのよって?


「猫カフェってのは、人間のお客さんがお茶を飲んだり猫と触れ合いに来るところだよ。皆にはそんなお客さんに愛想を振り撒いてほしいんだ」


 すると、モカは少し間を置いてから言った。


 にゃあ?

 なんであんた、そんなに猫の言葉がわかるのよって。


「いや、そこは僕の特技なんだ。なんでかは僕も知らないけど。でも、言いたいことがわかる店長がいたら、君たちも働きやすいんじゃないかな?」


 にゃあ。

 嫌よって。あっさり断られてしまった。ちょっとショック。


 そうしたら、トラさんがふぅとひとつ息をついてから言った。


 にゃあ。

 じゃあ、あんたはどうしたいんだい? って。

 家に帰りたいのならそう言えばいいって。


 すると、モカは小さな声で唸った。

 帰ったらまたどこかへやられるもん、とのこと。


 ハチさんもにゃあと言った。

 人間は、ひとつの家でたくさんの猫を飼うことは少ない。それも仕方がないことだろうって。


 でも、モカにはそんな事情はまだ難しかったのかもしれない。

 にゃあ! と怒った。

 あたしはママといたいの! って。


 ――それを言われちゃうとね。

 まだ小さいから、母猫が恋しいのは仕方ない。

 なんて僕が考えても、トラさんはモカを甘やかさなかった。


 にゃあ。

 あんたの兄妹だって寂しい思いをしながら別れていったんだ。あんただけ特別ってわけにはいかないだろうよ、なんて言う。


 ここにいる皆は、それぞれに別れを経験してここにいる。でも、そんなことをモカが知るわけもない。

 キャリーケースから飛び出してきたかと思うと、僕の座布団に爪を立てて荒れ狂った。


 にゃあにゃあにゃあっ!

 何さ何さ何さぁっ! って駄々をこねている。


 ざ、座布団の危機。

 けれど、そんな座布団を救ったのはハチさんだった。モカの首根っこを咥え、暴れるモカをぶら下げている。


 にゃあにゃあ!

 放してよぅ! 何すんのよっ! って叫んでいるけど、ハチさんは全然動じていない。さすが。


 チキは一番おろおろしていたけど。

 モカの爪はくうを切るばかりで、そのうちに疲れて大人しくなった。そうしたらハチさんはモカを下した。


 僕が手を伸ばしかけると、トラさんがにゃあと言った。

 これは店長の手を煩わせることじゃあないね。あたしら猫同士でどうにかすることだって。


 つまりは、口を出さずに黙って見ていろと?

 ――大丈夫かなぁ。


 いや、僕は皆のことを信じているし、トラさんには他の猫スタッフの面倒を見てほしいって最初に頼んだんだ。ここは任せよう。


「わかったよ。よろしくお願いします」


 にゃっ。

 チキが力強く鳴いた。任せてって。


 疲れたモカのそばへ行くと、チキはモカの顔をペロリと舐めた。モカはびっくりしたみたいだったけど、怒らなかった。

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