◆2-2
チキはやっぱりペットショップで買われた子だった。
透明な壁越しにあの家族が自分を見ていた日のことを覚えてるって。
「ママ、この子可愛い!」
そう言ってはしゃいでいたのは、チカちゃんっていう小さな女の子だったそうだ。
「そうね、可愛いけど動物を飼うのは大変よ?」
ママはいつも不思議な匂いをさせている人だった。髪の毛はクルクルしている。
「あたし、ちゃんとするから飼ってもいいでしょ? ねえ、パパ!」
パパは目の周りに余分なものがある人だった。――あ、それ、眼鏡だね。
「ちゃんと面倒をみるんだぞ?」
「うん!」
そうして、チキはそこで同じようにして過ごしていた子猫たちと別れ、この家族のもとに行くことになった。
この時はまだ、何もかもがよくわかっていなかったけれど、
「ここがあなたのおうちよ」
そう言って狭いところから出してくれた後にギュッと抱き締めてくれたチカちゃんのぬくもりだけは確かだったそうだ。
「名前はね、『チキ』。あたしがチカだから、一文字取ってチキ。ね、チキ?」
みゃぅ。
チカちゃんからもらった名前。
ポカポカと胸があたたかくて、嬉しかった。
「チキはあたしの弟なんだからね」
弟っていうのがなんなのか、それもよくわからなかったけれど、チカちゃんが笑顔を向けてくれるのがただただ嬉しかった。
ママもよくナデナデしてくれた。そのたびにチキは喉を鳴らして体を擦りつけた。
ここへ来てすぐにママからプレゼントがあった。
「この首輪、ブランド品なのよ。チキに似合うでしょ? ほら、もしいなくなっても拾ってくれた人が連絡できるように連絡先も入れてあるのよ」
茶色の首輪で、ところどころがキラキラしていた。首輪はあんまり好きじゃなかったけれど、それをつけた後、家族の皆が可愛い可愛いととても喜んでくれたので、チキは首輪を嫌だとは言えなかったそうだ。
そんな首輪にも次第に慣れた。
美味しいご飯もたくさん。おもちゃもたくさん。
チキにはありとあらゆるものが与えられた。
「チキ、今日は友達を連れてくるからね」
チカちゃんが出かけにそんなことを言ってチキを抱っこしてくれた。チカちゃんは赤い大きなものを背中に背負っていつも出かけて行った。パパはもっと長いこと戻らないし、ママは細かく出ていったり戻ったりを繰り返している。チキは誰もいないその間に昼寝をしてみたり、独りで遊んでみたりするのだけれど、独りはつまらなかった。
早くチカちゃんが帰ってきたらいいのに、といつも彼女の帰りを待っていた。
チカちゃんが連れてきた『友達』はチカちゃんと同じように小さな女の子たちだった。三人ほどいて、甲高い声でキャッキャと騒いだ。
「うわぁ、可愛い子猫!」
「チカちゃん、触ってもいい?」
「いいよ。順番ね」
チカちゃんがそう答えると、女の子たちは喜んでくれたって。チキはよくわからないけれど、皆が撫でてくれたり抱っこしたりしてくれたり、とにかく構ってもらえて嬉しかった。
チキが可愛いって褒められると、チカちゃんは自分のことみたいにして誇らしげだったって。チカちゃんが喜んでくれたらチキも嬉しい。チキはママやパパも好きだったけど、チカちゃんのことが一番好きだったそうだ。
よく一緒のベッドで眠ったし、チキの長い毛をブラッシングしてくれた。
チキとチカちゃんはとても仲良し。
ギューッと抱き締めて頬ずりしてくる時のチカちゃんの匂いを、今も懐かしく思うんだね……。
チキはとても幸せに過ごしていた。
チカちゃんも背が伸びて、顔も少しずつ大人びた。チキもまた、大きくなった。もう子猫とは呼べない。
自分でも、大きくなったと思ったそうだ。最初にママからプレゼントされた首輪はきつくって、首の毛に埋もれて不格好だからって外してもらえた。その後、新しい首輪をプレゼントされることはなかった。
別にそれはいいんだって。首輪は好きじゃなかったから、新しいのは要らなかった。でも、あの首輪にはもしチキがいなくなった時に困らないように何かが書いてあるとママは言っていた。
じゃあ、あの首輪のないチキが今、迷子になってしまったら? 皆のところへ帰ってこられなくなってしまうかもしれない。
首輪はなくてもいいけど、ここへ戻ってこられるような印がないのは不安だった。
もともとチキはほとんど外へは出なかったけれど、今まで以上に用心して外へ出ないつもりだったそうだ。だって、迷子になったら困るから。チカちゃんたちと会えなくなったら困るから。
ただ、チカちゃんは少し大きくなったら、忙しくなった。
よく『
塾は楽しそうじゃなかった。チカちゃんが行きたくないって言うと、ママが怒った。チカちゃんが行きたくないのに、なんで行かなくちゃいけないんだろう。なんでママが怒るんだろう。
チカちゃんが可哀想だった。しょんぼりとしたチカちゃんを慰めたくて擦り寄ると、チカちゃんは機嫌が悪くってキッと目をつり上げた。
「何よ、あたしは今、あんたの相手をしてる暇なんてないんだから」
チカちゃんはチキを押しのけ、机に向かった。
遊んでほしいとかじゃなかったんだ、ただ悲しそうなチカちゃんを慰めたかっただけで、でも嫌な思いをさせたのならごめんね――それだけ伝えたくて、チキはチカちゃんの机に上った。そこには紙が何枚も広げてあって、危うく滑るところだったって。
「ああ、もう! だから、あたしは忙しいって言ってるでしょ! 邪魔しないでよ、このバカ猫!」
机の上の紙を踏んで皺をつけてしまった。大事なものだったのか、チカちゃんにすごく怒られてしまった。チキはしゅんとして机から下りた。
今日はもう、何をやってもいけない気がした。せめて夜になったら一緒に寝て仲直りしたい。
多分、チキが悪かったんだって、そう思ったんだね……。
でも、その夜、チカちゃんはチキを部屋に入れてくれなかった。扉はピタリと隙間なくチキを拒絶していたって。それでも開けてほしくってチキはにゃあにゃあと鳴いたそうだ。
そうしたら、パパが来て怒った。
「こんな夜中に鳴くんじゃない! 近所迷惑だろうが!」
そんなに大きな声を出したつもりはなかったけど、怒られた。
――いつ頃からだろうか。
チキはよく怒られるようになったって感じたらしい。
昔は何をしても皆ニコニコしてくれていた。チキが悪戯をしても笑って許してくれた。
そういえば、このところ誰もチキを抱っこしてくれていない。ナデナデもしてくれていない。
これはどうしてなんだろう? そんなにひどく皆のことを怒らせてしまったんだろうか。
チキはそう考えたら不安になったそうだ。
その不安を和らげるためにチキ専用の小さなベッドで丸くなって休んだ。
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