50マイルの笑顔
kou
50マイルの笑顔
凄まじい重力加速度が身体を押しつぶす。
トミーは、初めての宇宙旅行が、なぜこんなことに。と思いながら胸が押さえつけられる感覚に耐える。
さいなむ苦しみは、心臓や肺を潰される痛みだ。
呼吸を求めてもがく頭に、古いフィルム映画のような雑音だらけの映像が浮かび上がった。
そこには腕の長さが地まで届く、やせ細った色素も体毛も無い、老人の様な姿のモノが映っていた。
目に瞼は無く眼窩のままの大きさの眼光が、鬼火のように静かに燃えている。地獄の亡者かと思うような、恐ろしい雰囲気を持つ生き物。
いや、怪物だ。
トミーは合衆国国防長官を父に持つ三男坊であり、世間からの体裁を保つ為に国立大学に行くものの、夢や目標は何も無い。
日本行きは、留学という名を借りてのバカンスでしかなかった。
その彼が今、こんな異常事態にいきなり放り出されたのだ。
親が外出している家で男女を集めたパーティーにて、誰かが以前野外でのドラッグパーティーの写真を持ち出した。
気持ち良くラリっていた時の変顔写真の背景。
そこに、何か写っている。
そんな事で馬鹿騒ぎをしていると、突然自宅に隕石でも落ちてきたかの様に家の中が滅茶苦茶になった。窓ガラスが粉々になりソファーや家具がなぎ倒される。
そして、あの怪物が現れたのだ。
自宅は地獄絵図に変わった。
人間がミキサーにかけられたかのように手足が弾け飛び、腸をまき散らしながら死に行く。
リビングやダイニングにバラバラになった死体と血が広がる。
家は破壊されて停電になり、辺りが真っ暗中、トミーは逃げた。
どうやって逃げたのか覚えていない。
警察に保護され、父親の秘書官に事情を訊かれる。
やがて様々な人や乗り物をたらい回しにされ、辿り着いたのが原子力空母の作戦司令室だった。
トミーが父親と再会したのは、作戦指揮を行っている時だった。
偵察機による高々度撮影による映像が、スクリーンに映し出され事情により怪物がマーカーになっていた。
世間では、日本近海における米軍の軍事演習という名目である。
怪物は洋上を走っており時速70kmを超えていた。
怪物を殲滅すべく、戦闘ヘリ・AH-64D アパッチ・ロングボウ6機が背後から展開していた。M230A1 30mm機関砲を怪物に浴びせる。
毎分625発の6機による速射は、海を一瞬にして水煙に変える。
だが、怪物は死の雨を受けても、それを物ともせず疾走を続ける。
次の攻撃は、AGM-114ヘルファイア対戦車ミサイル、ハイドラ70ロケット弾を全弾を発射する。ミサイルの爆発による炎で半径1kmを焦土に変貌させるが、怪物は爆発の炎の中を走り抜けた。
映像を見ているだけでは信じられなかったが、現実に起こった出来事なのだ。空飛ぶ戦車とも呼ばれる世界最強のガンシップの攻撃ですら、怪物は無傷だった。
「バカな!」
国防長官である父親は叫んだ。
「無理です。財団からの連絡通り、あいつは殺せません。今の時速から逆算すれば4時間もあれば、ここを襲撃するでしょう。ご子息を守る方法は逃げることです」
秘書官が呟く。
「だが、どこにだ。アイツ永遠に追い掛けて来るんだぞ」
「……宇宙なら」
秘書官が言った。
作戦室には絶望感が広がっていた。誰もが何も話さず、父親は、じっとスクリーンを見詰めるとトミーの前に立つ。
「今からフロリダ州にあるスペースX社の民間宇宙船・クルードラゴンに搭乗させる。それ以外にSCP-096から、お前を守る方法はない」
父親の声は沈んでいた。
【SCP-096 シャイガイ】
人型の生物で、身長約2.38m。
筋肉量はとても少なく、両腕の長さが1.5mと、身体とひどく不釣り合いな長さをしている。
こうした見た目に反して、外部からのダメージに対して極めて強い防護力を持つ。
50口径だろうが対戦車ミサイルだろうが傷一つ負わず、苦痛を感じている様子も見せない。
非常に大人しい性格をしているが、誰かに顔を見られるととても取り乱し、泣き叫び始める。この「顔を見る」という行為は、直接でも、映像、写真を通してでも発生し、顔を見た者を殺すまで追い続ける。
トミーは生きる為、宇宙へと脱出する。
地上から100kmが宇宙空間とされる。
ISSクルーが状況説明をする。
「もう50マイル(80km)まで来ました。宇宙は、すぐそこですよ」
その言葉にトミーは、ようやく怪物から救われるという安堵感があった。
だが、最後の最後に異変が起こった。
船体が揺れた。
異常を告げる警報音が船内に響き渡る中、機長と副操縦士の声が響く。
「まさか……」
トミーが窓を見ると、そこから見えた光景は、あまりにも酷かった。
窓に白い痩せ細った手が、爪を立ててへばりついていた。
皮膚は白や薄青といった色ではなく、黒い墨が厚く塗りこめられた様に汚れている。
船体が大きく揺れ続ける中、窓に怪物の顔が映し出される。
トミーは恐怖の余りに、表情がひきつって歪んだ。
それは、笑顔に見えた。
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