第3話

「ねえ、死神くん」


 夜中のことだ。

 突然、ホムラに庭へと連れさられ、澄んだ夜空の下で目的もなく寝そべっていた。


「なんだ」


 俺は落ち着いた声でそう言ったが、内心は居心地が良くて、うっかりしていると微笑みがこぼれそうだった。


「今、幸せ?」


 訊ねる彼女の横顔を見る。

 月に照らされて、うっすらと見えるその表情は、不安と緊張が混じったような、そんな顔だった。


 なんでそんなことを訊くのか分からなかった。

 けれど彼女のその顔色から、なんとなく負の感情を抱えていることは見て取れた。


 答えは決まっていた。

 そのはずなのに、なぜか素直に答えられなかった。

 だから、ちょっと考えることにした。


「…………」


 ホムラは素直じゃない俺のことをよく『シシュンキ』と言って、からかっていた。

 意味はよく分からない。けれど、そうやってからかうときの彼女の顔は楽しそうだった。


「……ホムラの料理は、あんまり美味しくない」


 その笑顔を見ていると、俺はいつも心臓が刺されたような感触を覚える。

 その感覚がなんだか不気味で、そういうとき俺はたいてい「やめろ」だとか、触ってくるときは「触るな」だとか言って彼女を追い払う。


「あと、部屋が汚い」


 そうして、思うのだ。

 俺が殺してきた人間も、こういう生活を誰かと築いてきたのだろうか、と。


「いびきはうるさいし、寝相が悪いからいつも俺は蹴っ飛ばされる」


 それに気が付いたとき、心にいつも大きな穴が空く。

 罪悪感。

 これはきっと、そう呼ばれるものだ。


「朝起こすのは俺だし、というか起こしてもホムラは全然起きない」


 その罪悪感に苛まれて、夜な夜なベッドの上で涙が流れることもあった。

 そういうとき、ホムラは優しく俺を抱きしめて、「大丈夫だよ」と耳元で囁く。頭を撫でる。

 やがてその罪悪感が落ち着くと、急に恥ずかしくなってくるので、「もういい」と彼女を引きはがす。


「でも、まれに。ごくまれにそういうのが一度もない日がある」


 ああダメだ。

 思考を巡らせて、答えを出すのを先延ばしにして、その間に違う言い方を探そうにも全然うまくいかない。


「そういう日は、まあ……」


 答えに迷う。なんて返すべきか言い淀む。


「まあ?」


 そうしていると、じれったく思ったのかホムラが答えを訊いてきた。


「まあ……幸せ、かな」


 ああ、顔が熱い。汗がにじむ。身体に力が入る。息をいっぱい吸い込みたくなる。

 寝そべったまま、ホムラがなんて答えるかを待っていると、彼女は突然身体を起こして、俺に抱き着いてきた。

 さっきより、顔が熱くなった。汗なんてもう、滝のように流れた。


「もー! 素直じゃないなあこのー!」

「ちょ……やめろ」


 彼女の身体にできるだけ触れないようにして立ち上がると、深呼吸をした。


「よかった」


 ホムラは立ち上がってにっこりと微笑んだ。

 その中に、もう不安も緊張も見られなかった。

 安堵してほっと胸をなでおろすと、俺は先に家に向かって歩みを進めた。


「……今日は、リビングで寝る」


 この一年で、俺はいよいよおかしくなってしまったのだろうか。

 初めの頃、ホムラと一緒に寝るのが嫌だった。

 今もそうだ。けれど、一年前と今とでは、なんだかこう、違うような気がする。


「おやすみ」


 背後から、彼女の声が聞こえる。

 明日になったら、この不思議な気持ちが治まっているといいな、なんて考えながら家へと戻った。


その言葉が、彼女がくれた最後の言葉となった。

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