嫌だ

@rabbit090

第1話

 僕は単純に、見られたいと思っているからこの仕事を続けている。

 けど、彼女は違った。

 彼女は、売れっ子の女優だった。とにかく、演技が上手だった。近くで見ていると、その迫力に意識が飛んでしまいそうになる。だからむしろ、気迫とでもいうのだろうか、とにかくでも僕は、そういう女性が死ぬ程苦手だった。


 浅生あさおはるか。

 この名前を知らない人は、まずいない。

 関心がないふりをしても、どこかで彼女の存在を、皆知ることになる。

 正直、今までにこんな人間はいなかったように思う。だから、もしかしたら彼女は人間ではないのかもしれない。

 そう思って僕は、思春期の、あの高校生独特の若気の至りで、彼女のストーカーになってしまった。

 いや、訂正させてもらう。ストーカー、になるつもりなど無かった。でも、気が付けば僕の心の中は、彼女ですべてが、埋まっていた。

 「倉井くらい君。今日お休み?」

 そう声をかけてきたのは、なんと、あの浅生だった。

 なんて、僕は浅生の追っかけだったけれど、割と顔が整っていて、撮影現場に近づくうちに芸能事務所から、スカウトされてしまった。

 ああ、チャンスだ、とその時は思った。

 合法的に浅生はるかに近づける。

 けど、そんな呑気なことを言っていられるのはその時までだった。

 僕は、その後成人してまだ、この俳優の仕事を続けている。

 だから、今はもう、分かっている。

 高校生の時に、僕が執着していたのは、

 それは。

 「だから倉井じゃないって、だって言ってんだろ?」

 「何よ、みんなくらいって呼んでるじゃない。」

 「…はあ。」

 僕は、毎日こうやって浅生はるかと言葉を交わしている。

 しかし、今はもう、彼女に対する関心は失っている。

 というか、やっと手放すことができたのだ。

 僕は、ずっと解放されたかった。

 人を引き付ける、花のような存在である彼女から、離れたかった。僕は、普通の恋がしたかった。普通に人を好きになって、そういう、そういう感じを。

 でも、浅生はるかを知ってから、僕は彼女以外の女性が、異性だと思えない程、無関心になっていた。

 だから、それが嫌で、僕は彼女に執着していたのだと思う。

 きっと、行くところまで行けば、飽きるのかもしれない、と思っていたから。


 けど、けどさ。

 「浅生。お前、もうこの仕事辞めろよ。」

 「…嫌よ。私、不器用だから、外で生きていくことなんて、できない。」

 「違うだろ?お前は、普通になれるんだ。なのに、決めつけている。そうだろ?」

 「何よ。」

 頬をふくらませて、うるんだ瞳でこちらを見ている。

 彼女の癖だった。

 「もう、知ってるんでしょ?」

 「何を?」

 僕は、彼女が抱えていることを知っている。

 だからこそ、

 「知るわけないだろ?」

 しらを切りとおす。

 僕は、彼女のことを信奉していた頃のことを、たまに思い出している。

 僕は、言うつもりはない。決して。

 彼女が、この世の人間ではない、という事なんて、絶対に。

 「それよりさ、お茶でもしない?」

 「…分かった。」

 僕は普通になった。

 けれど、彼女は永遠にそうはなれない。

 

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