第4話 妖精を呼び出した 4

   ◇


 私はそうっと、あやかママのほうに視線を移す。

 今度こそ呆れられているのではないかと思ったから。


 するとあやかママは、にっこりと鮮やかに笑った。

 そして人差し指を一本立てて、自分の口元に持っていく。

 それから、軽くウインクした。

 私は、ウインクが綺麗にできるだなんて器用な人だな、なんてことを考えていた。私はしようと思ったら、両目を閉じてしまう人だから。

 真っ赤な唇が、動き始める。


「ほいでも、誰も知らん」

「……はい」


 すべては私の心の中のこと。


「じゃ、ないこと」

「……ええんでしょうか」

「ええか悪いかでいうたら、良うはないじゃろうけどね」


 そう答えて、あやかママはまたケラケラと笑った。


「まあウチは、判事さんじゃないけえね」


 そう続けて、口の端を上げる。

 なんでもないことみたいに。


「でも実際、どうするん? ホンマは気付いてました、って、そんなん、人の心の中のことなのに、どうやって証明するん?」

「……それは」

「だってメッセとか全部提出したのに、どこにも知っとったっていう証拠はなかったんじゃろ?」

「……はい」

「ほいなら、もうええわ。もうええ、もうええ。面倒くさい」


 ひらひらと手を振りながら、心底面倒くさそうに眉根を寄せ、そんなふうに言い募る。


「その人とももう会わんで、会社も辞めて、パーッと忘れりゃあええわ」


 そう言い切ると、両腕を広げる。そしてまた足を組んで、その上に肘を置いて頬杖をついた。


「ウチならそうする、いう話。あんたがどうしたいんかは知らんけど」


 そこまで話して、なにかに気付いたように、こちらに振り向く。


「そういやあ、お名前、聞いとらんかったわ」

「あ、優美ゆみです。元木もとき優美」

「優美ちゃんね。うん、覚えた!」


 そう声を上げてから、真っ赤な唇の両端を上げて笑った。その表情を見ていると、なんだか私もおかしくなって、笑いが漏れる。


「今度こそ、すっきりしたん?」


 あやかママは微笑んだまま、そう問うた。


「はい。幾分かは」

「ほいならええわ」


 そう応えて、あやかママはビール缶を口につける。それからすぐに口から離して眉根を寄せた。


「あー、無いなった」

「じゃあ買ってきましょうか」


 そう提案して腰を浮かせかけた私を、あやかママは手を立てて制する。


「いや、ええよ」

「ほうですか? じゃあ今度、お店のほうに行きますよ」

「ほんま? 喜ばせようとして言いよるだけなんじゃないん? ほんまに行ってよ?」


 あやかママはそう嬉しそうに笑う。

 どうやらこの辺でお開きだ。

 私は再度、ビール缶を自分の手に持ち、グイっと傾けて飲んだ。

 結局、何ごとも解決はしていないけれど。

 でも胸の中に溜まっていたものを吐き出せたような気がする。


 救われた。そう思った。


「そういや、お店は何時から……」


 訊きながらあやかママがいる右手のほうを見ると。

 あやかママはもうそこにはいなかった。


「え……」


 この一瞬で? いったいどこに?

 私は慌てて立ち上がってあたりを見回す。


 どこにもあの派手なスーツを着た人は見当たらなくて。

 そして、繁華街の喧騒が戻ってきていた。

 新天地公園は、いつも通り、幾人もの人がいて。中央通りにはたくさんの車が通っていて。ネオンが瞬く中、ざわざわと騒がしい、いつもの繁華街。


 私は呆然としたまま、ストンと腰をベンチに落とす。

 ふと横を見れば、空になった500mlのビール缶。

 私はそれを、夢見心地でじっと眺めた。


 そういえば。

 私はいつ、誰から、妖精の召喚の仕方を聞いたのだっけ。

 しばらく考えてみたけれど、どうしても思い出せなかった。

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