妖精の待つ公園で、ビールを一缶飲み交わす
新道 梨果子
優美 Ⅰ
第1話 妖精を呼び出した 1
私は今から、妖精に会いに行く。
◇
広島の繁華街、
全面レンガ張りのその公園は、小高い平らな丘のようになっているので、階段を五段だけ上らなければならない。
遊具のひとつもないこの公園が、なんのためにあるのかは割と謎ではあるのだけれど、待ち合わせ場所として重宝されているので、案外それが主目的なのかもしれない。
公園には、地表を覆っているのと同じレンガで囲われた花壇がいくつか設置されており、その花壇の、公園の真ん中に向いた一辺がベンチとして使用できるように加工されていて、今日も何人かが腰を落として待ち人を待っている。
それから、公園の端には、実は小さな神社があるのだ。
繁華街にあるだけに人目に付きにくく、誰かに聞いてみても、「あったっけ?」「そう言われるとあったような気がする」だなんて返事をされるような、小さな神社。
新天地公園に立ち寄る人は、ほとんどがこれからお酒を飲みに行く人か、すでに飲んだ人だから、目に留まらないのは仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。
私は今しがたすぐそこのコンビニで買った、500mlのビール缶が二本入っているレジ袋を左手に持ち、その小さな神社の前で立ち止まる。
神社の鳥居には、『稲荷大明神』と書かれた看板のようなものが掲げられている。そういえばこれは『神額』というのだったかな、と昔テレビかなにかで言っていたのをふと思い出した。
小ぶりな鳥居をふたつくぐると、小さな祠の前に立つ。
祠の神額には『紅桃花稲荷大明神』と書かれていて、ずいぶん艶っぽい名前の神社なんだな、なんてことを考えた。
私はバッグから財布を取り出して開くと、五円玉を一枚、指でつまむ。
それを、ぽいと賽銭箱の中に投げたあと、まっすぐに気を付け、の姿勢をして。
それから、二礼二拍手一礼。
「お願いします」
口の中でそう呟くと、私は足早に神社を背にした。
そして、決められていることは守らなければ、と手順を頭の中で何度も確認する。
向かう先は、公園のベンチのひとつ。
座る場所は、かつて電話ボックスがあった場所に一番近い、花壇のベンチ。そして繁華街入り口側を向いて腰掛けなければならない。
間違えてはいけない、と私は、レンガ張りの一角にコンクリートで四角く塗られた、電話ボックスが撤去された跡を前に、ひとつうなずく。
公園には騒いでいる学生っぽい集団もいたし、スマホを見ながら誰かを待っている人が何人もいた。もう誰か座っていたらどうしよう、荷物かなにか置かれていたらどうしようと思っていたけれど、幸いなのかどうなのか、ベンチを覗き込むように窺うと、誰もそこにはおらず、そしてなにも置かれてはいなかった。
ほっと胸を撫で下ろし、そろりとベンチに腰を落とす。
電話ボックスがあった頃を知っているけれど、そこで電話をしている人を見たことがなかった。それはそうだ、もう公衆電話を使う人はほとんどいない。撤去もやむなし、というところだろう。けれどほんの少し、寂しさも覚える。だからこのベンチに座る人が少ないのかもしれないなあ、と取り留めもなく考えた。
ひとつ息を吐いてから、レジ袋の中のビールを二本取り出して、私の横、右側に並べて置いた。
発泡酒ではいけない。第三のビールでもいけない。ビール、しかも500mlでないといけない。
さらに、冷えていないといけない。だから必然的に、すぐそこのコンビニで買うことになる。
買う本数は二本以上。これも決まっている。
間違いない。ここまで、手順通り。
私は少し俯いて、揃えた膝の上で手を組んだ。
酔っているからだ。
酔っているから、こんなバカなことをしているんだ。
本当は一次会で帰るつもりだったのに、部長に「次も行くぞ!」と強引に誘われて断り切れなくて、二次会にも連れていかれたからだ。
危うく三次会にも付き合わされるところだったけれど、それはなんとか振り切った。
というか、課長が逃がしてくれた。部長たちも酔っていたから、たぶん月曜日に咎められることもないだろう。あの様子を見るに、下手するとなんにも覚えていないかもしれない。
逃がしてくれた課長には悪いことをしたかな、と思う。あの人だけは、私を嗤ったり嘲ったりしないから。
全従業員を合わせても、百名に満たない小さな会社。そしてその従業員は、ほぼ全員が私を見て嗤っている。毎日、そんな気がして仕方ない。
ほんの少し、ほんの少し、誰かに背中を押してほしいだけ。ほんの少し、ほんの少し、誰かに話を聞いてほしいだけ。
たったそれだけのために、私はどうしてこんなバカなことをしているんだろう。知らない人が聞いたら、きっと頭がおかしくなったと思われる。
そうして一人で俯いたまま考え事をして、私の黒いパンプスに反射して点灯するネオンの明かりを見つめて、三分ほど経った頃だろうか。
右目の端に、ぷらぷらと揺れるピンヒールが映った。
私が慌てて顔を上げてそちらに視線を移すと、そのピンヒールを履いている女性はビール缶のプルトップに手をかけているところだった。
いつの間に。
私がそこのコンビニで買った、500mlのビール缶。私になんの断りもなく、なんの躊躇もなく、彼女はプシッという音を立ててプルトップを開けると、美味しそうにゴクゴクと飲んでいる。
隣に座ったのなんて、気付かなかった。
酔っているから周りに目がいかなかった?
それとも。
召喚に成功した?
いや、でも、私が呼んだのは。
彼女は私の視線に気付いたのか、ビールを飲むのをやめるとこちらに振り向いた。
そして。
「いらっしゃいませー」
女性は赤い唇の両端を上げて口元に弧を描くと、そう私に声を掛けてきた。
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