第13話 信頼が崩れ落ちる音

 

「王妃様のお茶会ねぇ……」


 応接間にて。王子妃の教育係として離宮に訪れていたリズベットは、夜会での出来事を聞いて心配そうに、綺麗に整った眉をひそめた。

 テーブルの近くで、ティーワゴンを押して来たアーデルが、せっせとお茶とお菓子の用意をしている。


「分かっていますの? ウェンディ。王妃様はイーサン様を敵視しているお方。そこに行けば、彼の妻であるあなたも冷遇されるかもしれませんわよ」

「全て分かってるわ。……少しでもイーサン様のお役に立ちたいの。王妃様を避けたりして、あの人の足を引っ張りたくないし」


 王子妃として最低限の責任は果たさなくてはと伝えると、リズベットは意外そうにへぇと呟く。


「それはどういう心境の変化ですの? 結婚が決まったときはあれほどイヤイヤ感を滲ませておりましたのに」


 最初の出会いのときは、強引で自分勝手な人だと思った。けれど今は、彼の良いところも沢山知っている。むしろ、嫌な印象だった出会いのときのイーサンに違和感を抱いているほど。ウェンディは両手で頭を抱えた。


「私……完全に絆されてる……」

「ふふ、別によろしいではありませんの。夫婦ですし」


 よくないのだ。夫婦といっても、イーサンが叙爵して王宮を出るまでの仮の関係だから。

 しかし、妻がいないと叙爵を認められないと言っていた彼だが、結婚しても一向に叙爵が認められる気配がないのはどうしてだろうか。これでは契約を終える目処が立たない。


「この分なら、あなたの大事なファンのことも、忘れられるかもしれませんわね」

「それがね、エリファレット様はプリンスマンさんじゃないみたいなの」

「…………やはりそうですの」


 リズベットは特に驚きもせずに目を伏せる。


「やはり?」

「あなたに話しておかなければならないことがありますの。……その、第1王子殿下と、ロナウド様のこと」


 どうして急に元婚約者の名前が出てくるのだろうと首を傾げる。エリファレットとロナウドの2人になんの関連性があるというのだろうか。

 りんごタルトを食べるのを一旦止め、彼女は真剣な眼差しをこちらに向けた。


「最近、ロナウド様とは連絡を取っていらっしゃる?」

「まさか。全くだよ」


 彼とはもう口を効きたくないし、顔も見たくない。そもそもこちらから距離を置く以前に、公の場で場で婚約破棄を突きつけて振った彼が、連絡してくることはなかった。今ごろは『運命の人』である麗しの侯爵令嬢と仲良くやっているだろう。――思い出しただけで腹が立ってくる。


「そう、ならご存知ありませんよね。今あの人が大変なことになっているって」

「ど、どういうこと……?」

「実はね――」


 ロナウドの想い人エリィの生家、リューゼラ侯爵家は多額の借金を抱えていて、家計は火の車になっていた。その事実が発覚したのは、ロナウドが婿入りしてから。つまり、エリィは実家の経済状況を隠して結婚したということ。そして、彼女やリューゼラ侯爵家に借金のことを黙ってロナウドと結婚するようにと提言したのは――エリファレットだった。ロナウドに近づいて、彼を落として結婚したら、借金を代わりに返済してやるからとそそのかして。

 しかしエリファレットに借金返済をする意志は毛頭なく、エリィがロナウドと結婚してから音信不通になったという。


「どうしてエリファレット様がそんなことを……。まさか、私とロナウド様を別れさせようと最初から企んでたってこと……?」

「恐らくそうでしょうね。あなたは第1王子殿下を慕っているようでしたから、黙っているのがよろしいかと思ったのだけれど、その『ファン』というのも嘘でしたようですし」

「…………」


 エリファレットはウェンディが婚約破棄されてすぐ、赤いバラの花束を抱えて求婚しに来た。まるで、最初から別れることを知っていたかのようなタイミングで。

 全身の血の気が引いていくような、嫌な感覚がする。ウェンディの顔色が悪くなったことを心配してリズベットが声をかけてくるが、その声も耳に届かない。


(イーサン様は、第1王子殿下が王位継承のために私の小説を利用しようとしているとおっしゃっていた。それってつい最近の話じゃなくて、ずっと前からってこと……?)


 ウェンディと婚姻を結ぶことさえ、エリファレットの計画の一部だったとしたら。ウェンディは妻という立場に縛られ、無理やり言うことを聞かされていたかもしれないのだ。


(私は……イーサン様に救われていた……?)


 イーサンがあのとき求婚していなかったら、自分はエリファレットの元で政治のための小説を書かされていたかもしれない。他人の婚約関係を破壊し、裏切ることをいとわない冷酷な人の元で。

 エリファレットに寄せていた信頼が、崩れ落ちる音がした。




 ◇◇◇




 それから数日後、王妃ルゼットのお茶会の日がやって来た。本宮のサロンに、ルゼットが親しくしている何人かの貴婦人が集まるもの。年齢も若い上に下級貴族家出身のウェンディが肩身の狭い思いをするのは想像にかたくない。

 そこに呼ばれたのは、ウェンディに恥をかかせたり嫌がらせをすることが目的ではないかということも、なんとなく察しがついている。


 今日の集まりは午後ということで、離宮の食堂で食事をとってから出発することにした。


(イーサン様はエリファレット様の企みにいつから気づいていたの? 私に求婚したのはそのため?)


 リズベットからエリファレットの話を聞いてから、そのことばかりが頭に思い浮かぶ。一旦悩みを隅の方に追いやり、召使いに封筒を渡すと、封筒を見たイーサンが尋ねてきた。


「それは?」

「新刊の原稿です。出版社に届けてもらおうと思って」


 これは昨晩ようやく完成したものだ。締切が迫っていて担当編集者にできるだけ早く託したかったのだが、今日はあいにく予定があるため、代わりの者に頼むことにしたのだ。


「なら、僕が届けよう」

「ええっ!? さすがに、イーサン様のお手を煩わせる訳にはいきません!」


 けれど、ウェンディがあたふたしているうちにイーサンが召使いから原稿を取り上げてしまう。


「大切な原稿だ。この目で編集の手に届くのを見届けなくては心配だからね。――あ、いや……あなたにとって大切な、という意味だ。一応言っておく」


 口元に手を添えてこほんと咳払いする。あくまで善意であり、私情は入っていないということを強調する彼は、大切そうに封筒を握り締めた。彼の態度を不思議に思いつつ、こんな提案をしてみる。


「もしご興味があれば読んでいただいても構いませんよ。売れっ子作家ウェンディ大先生の新作を皆より先に――なんて」


 きっとイーサンは少しも興味はないだろうと思い、おどけたように笑う。彼の反応を確かめようと視線やると、封筒をもう手がぶるぶると震え出したではないか。何か、自分の内側と葛藤するように渋面を浮かべている。


「イーサン様? 手が震えてますけど」


 そう呼びかけると、彼ははっと我に変える。


「い、いやなんでもない。せっかくの提案だけど遠慮するよ。作品を待っているファンが大勢いるのに抜け駆けはよくないからね」

「はぁ……そうですか。では、お手数ですがお願いします。私はもう行くので」


 イーサンと話しているうちに、ウェンディは食事を終えていた。召使いに食器を下げさせ、椅子から立ち上がる。


「――王妃様のところに行くのか?」

「はい」

「気をつけて。少しでも辛くなったら、体裁なんて気にせず帰っておいで」


 イーサンはウェンディに甘すぎる。いじめられたからと逃げ帰る真似をしたら、夫であるイーサンも笑い者になるだけなのに。


「そんなことはしません。今のままじゃ、自分ばかりよくしていただいてお役に立ててませんから」


 すると彼はふっと小さく笑い、こちらに歩み寄った。伸びてきた彼の手が頭をそっと撫でる。


「あなたはそのままで申し分ないよ。僕にはもったいないくらい」

「――!」


 柔らかく微笑み、宥めるように囁いたイーサンに、胸の奥がきゅうと甘く締め付けられた。


(……ずるい)


 ふいに向けられる彼の甘い表情に、ウェンディは弱かった。ただの契約妃に対してとは思えない――慈しむような表情。ウェンディはほのかに頬を朱に染めて、目を逸らした。

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