代筆の代償

いちはじめ

代筆の代償

 ほんの冗談のつもりだったのだ。まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。

 事の発端は旧友からのラブレター代筆――正確にはメール――の依頼だった。

「メールくらい自分で書けよ」

「俺には文才がないんだ。小説家を目指しているお前しか頼む相手がいないんだ。頼むよこの通り」

 目の前で頭を下げ、俺を拝んでいる男は小学校からの旧友で、たまに現れる時は必ずといっていいほど厄介な頼み事を持ち込む。

 今回はラブレターの代筆ときた。学生の頃何度か学友の恋文を代筆したことがあり、そのことを覚えていたらしい。うまくいったら、お前の本を十冊でも二十冊でも買ってやるとほざいている、憎めない男だ。どうせ本気ではあるまい。軽い気持ちで私は引き受けることにした。

 彼が狙っているのは、ある出会い系サイトで目を付けた女性だ。彼はそのようなサイトでめぼしい女性を見つけては、遊んでいるという。今回は年齢が三十半ば、プロフィールの写真はあてにはならないが、清楚な感じの知性を感じさせる美人だ。趣味は読書で昔は文学少女だったとある。

 私は、謎かけとして幾つかの恋愛小説から恋文の構文を引っ張り出し、それらを繋いでみることにした。元文学少女であれば彼女の琴線に触れるかもしれない。そしてほんの冗談のつもりで、ブレイク前の人気作家Aのゴーストライターをしていたことがあると書いてみた。

 作家Aは卒論のテーマに取り上げたくらい私が心酔している作家で、世に知れる前から彼の小説は全て読んでいる。

 この恋文は、彼女の心をつかんだようだった。後日脈ありの返事が返ってきたと旧友は小躍りして報告してくれた。なんと彼女は恋文の構文を全て看破しただけでなく、作家Aの大ファンでもあったのだ。

 代筆は一度だけのつもりだったが、旧友は文学系の内容になると私を頼ってきた。

 こうして旧友を介した、私とその女性との奇妙なメール交換が始まった。

 驚いたことに彼女の作家Aに関する造詣は大変深く、作品への考察も面白かった。次第にメールの文面は作家Aの話で埋め尽くされ、時に旧友そっちのけで、喧々囂々の論戦を交わすこともあった。特に、ここ数年に発表された作品の、まるで別人が書いたような出来の悪さについては、おおいに共感するところがあり、さらに盛り上がっていった。

 これでは何のためのメール交換か分からなくなってきた。実際に会って彼女を落とすことが旧友の目的だったのだが、こうなっては会っても話がかみ合うはずもなく、旧友が不満をぶちまけたのも無理もない。私としてはこのまま続けてもよかったのだが、旧友と話し合い、この辺が潮時だろうとメール交換を打ち切ることにした。

 それでも最後に彼女に会ってみたいという旧友の思いをくみ、会って作家Aについて思う存分語らいたいと申し入れた。

 彼女はその申し入れを快く了承してくれた。そしてその場所として作家Aが昔よく出入りしていたと言われるバーを指名してきた。

 当日、私と旧友は約束の時間より早くバーに入り彼女を待つことにした。勿論別々の客を装っている。旧友の後に私が登場して、その場でこれまでの経緯を明かし、二人で一緒に詫びようという手はずだった。

 遅れて現れた彼女は、ネットの写真その人であった。写真より幾分年上に見えたが、美人であることには変わりはない。

 旧友は少し上気した顔で彼女を席に案内した。

 彼女は席に着くなり、作家Aの作品のある一文を静かに口にした。それは作中で二重スパイを暴く際に使った言葉だった。当然旧友はそんなことを知る由もなく、どう返していいものかとしどろもどろになったいた。

 彼女はそんな旧友の姿を見て、深いため息をつくとこう言った。

「それで、メールを実際に書いてらっしゃった方はどちらに?」

 全てお見通しだった。私はカウンターの隅の席で背中越しに様子を窺うつもりだったが、諦めて旧友の隣に腰を下ろした。

「弄ぶつもりはなかったんです……」

 彼女は旧友の言葉を途中で冷たく遮った。

「何も咎めはしませんよ。意味のないことはもう終りにしましょう」

 私たちが万事休すと席を立とうとすると、彼女は私を見据えてこういった。

「あなたは残ってください。代筆者の方」

 旧友が何故という顔をしたが、彼女の冷たい眼光に臆し、しぶしぶ店を後にした。

 店の中には私と彼女の二人きりになった。マスターらしき男は、最初の注文の品を運んできた後、奥に引っ込んだのか姿が見えなくなったっていた。

 彼女は私の目を見据えたまま、足を組み替えグラスを薄紅色の口元に運んだ。

「作家Aの近作が面白くない理由、教えてあげましょうか。興味あるでしょう?」

 それは終盤のメールで大いに盛り上がった話題で、彼に心酔している私としては一番興味をそそられるところだが、その理由を彼女は知っているというのか。

「ゴーストライターよ」

 このところの彼の作品に感じていた違和感の正体はそれだったのだ。驚愕すると共に大いに合点がいった。彼女が言うには、もう彼が書けなくなって久しく、今じゃ廃人同然という。しかし超売れっ子作家を失う訳にはいかなかった出版社は、一回だけのつもりでゴーストライターを立てた。彼の復活を期待してのことだったが、それはかなわなかった。

「それでずるずる続けて……。で、ご覧の通りよ。だから新たな書き手を探していたの。Aに造詣が深くかつ小説が書ける人物を見つけることはおいそれとはいかない。でもいいところであなたが現れた。あの恋文構文はよかったわよ。秘密を知ったからには協力してもらうわよ」

 何の冗談か、今私は人気作家Aのゴーストライターとして彼の小説を書いている。

(了)

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