第三章 週刊誌と手つなぎ 1

「この前悟空と……その……長いキスをした時に変な気持ちになったのだが、どういうことだろう」


 玄奘の告白に八戒と悟浄は顔を見合せた。果たしてどこから確認すればいいのだろうか。


 本日は新曲の練習日である。それまで玄奘に付きまとっていた紅害嗣は、例の一件以来ジャニ西と距離を置いたようで、納多によればレコーディングの時まで顔を見せることはないだろうとのことだった。


 同室の少し離れた場所で玉竜と悟空はパーカッションの打ち合わせをしている。試しに録ったメロディーにボイパを当てながら試行錯誤しており、少し時間がかかる様子だ。


 三人はコーラスの練習と称して集まっているが、玉竜の監視がないのをを良いことに玄奘の相談タイムと化していた。もちろん悟空に聞こえないように小声ではある。


「そらそうでしょう。あんな猿とキスなんてキモチイイはずねえよなあ。ゲロ吐きたくなっちゃいました?」


「いや……。そんなことはない……」


 悟浄は恥ずかしそうに肩を縮こめながら話す推しの姿を尊いと思い、こっそりとスマホの録音機能を起動する。あとで悟空に聞かせてやれば激しく照れながらも喜ぶだろう。


「では、変な気持ちとは?」


「あの……えっと……腰のあたりがむずむずするというか……。じんじんと熱くなってきて……」


 数日前の朝、玄奘の下着に仕掛けてある隆起センサーが反応したことを悟浄は思い出した。そのセンサーはすぐに悟空に壊されてしまったため、その後玄奘のものが毎朝隆起しているのかどうかは悟浄にはわからない。


「ぐふふ、玄奘も興奮しちゃったんですね。その後はどうしたんです?一人で処理したんですか?それとも兄貴に手伝ってもらって?」


 好奇心丸出しでにやつく八戒に、玄奘は困惑した表情を向けた。 


「処理……とは?」


「だから抜くんでしょ」


「一体何を……」


「だからっ」


 大声で説明しようとした八戒の口を悟浄は慌てて塞いだ。尊い推しを汚すことはオタクにとって禁忌である。


「玄奘は知らぬのだ。下世話な事を推しの耳に入れてはならぬ」 


 三人がどたばたしているのに気づいた悟空が部屋の向こうから声をかけてくる。 


「なに遊んでんだ、小学生かよ。お前ら、真面目に練習しろよ~」


「へーい」と声だけは調子のいい八戒は適当に答えた後、玄奘の耳元で囁いた。


「そんなこと言ったって。玄奘も自分の身体の変化に戸惑ってるから、信頼する俺達に聞いてくれたんだもんな。なあどういうことか、聞きたいですよね?」


 玄奘は愁眉を寄せたままだ。悟浄は首を振った。


「玄奘、それを相談するべき相手は我々ではなく、悟空だ」


「しかし……恥ずかしいのだ」


「悟空とのキス以外の時で、腰がむずむずしたりじんじんすることはこれまでにあったのか?」


「それはない。初めてだから戸惑っておるのだ」


(それは今まで一度も勃ったことがないってことじゃねえの?マジかよ)と八戒がのけ反るが、悟浄は放っておく。


「では、その変化の原因は悟空にも一因があるのだろう。二人で話し合い、解決すべきだ」


 玄奘の説得に、そうだろうか、と玄奘は一応納得したようだった。


「では、もう一つ聞きたいことがあって」


「なんだ?」


「私は悟空としかキスをしたことがないから、あの……定かではないのだが……どうやら、あの……悟空とキスしているとすごく気持ちが良くて……悟空のキスは上手いのではないかと……思うのだが。ということは、悟空はこれまでに何人もの人とキスをした経験が……ある……ということだろうか」


「あー、過去が気になる系の話ですね?いいねいいね、恋愛が始まった感あるよねえ。えっとねえ、兄貴の過去の恋愛はさ、結構……」


 八戒は水を得た魚のようにうきうきとし始めるが、勢いよく後ろから拳骨を落とされた。


「練習しろって言ってんだろ!」


「三人ともたるんでるよ!」


 悟空と玉竜が腰に手を当てて睨んでいた。


「兄貴ぃ、ひでえよ。サボってたのは俺達三人なのに、なんで俺だけ殴るんだよ」


「どうせお前がそそのかして二人を巻き込んでサボらせてたんだろ。わかってんだよ」 


「そんなことねえって。俺達は玄奘の相談を聞いていただけだってば」


「玄奘が相談?」


 悟空が玄奘を見ると、一瞬だけ目を合わせた後すぐに目を逸らされた。耳元の皮膚まで赤くなっているのがわかる。


 最近の玄奘は悟空が近付くとすぐに頬を赤らめる。そのたびにキス後の蒸気した玄奘の顔を思い起こさせ、悟空の身体も熱くなる。悟空はごまかすようにふぅと息をついた。


「ほらほら、もうすぐレコーディングなんだからね!練習、練習!」


 玉竜が手をパンパンと鳴らしながら皆に発破をかけた。










「玄奘、たららら~の二音目が半音上がってる。自分の音と特に八戒の音をよく聞いて。悟空の主旋につられないように」


 玄奘は新曲のラスサビの前で転調するところの音程がうまく取れないでいる。先程からピアノで音を取りながら何度も繰り返し練習をしているのだが、全員で歌うとバランスが崩れがちだ。


「……わかった。もう一度転調の前からお願いしたい」


 額の汗を拭きながら玄奘は言った。まるで歌の千本ノックのように練習を重ねていく。


 いつも伸びやかに歌う玄奘の声が、翼を開くことを禁じられた天使のように縮こまっている。


 出口を探しながら歌う玄奘の表情は苦しそうで、悟空は見ていて辛くなる。同じ歌を歌っているのにどこか遠くにいるような感覚だ。


「玄奘はいつも主旋とってるから急にハモれとか言われても難しいですよねえ。ハモリは職人芸ですから」


「どうせCD音源を録るときは多重録音もするし単独録りだ。生歌で歌う時期までに歌えるようになればいいのだから、焦ることはない」


 少し疲れてきた八戒と悟浄が休憩を申し入れ、各自フロアに座り込んで水を飲む。スタジオの中はエアコンで調整されているとは言え、むわっとした空気が充満しかすかに息苦しい。


 玉竜は水を飲んで一息ついてから 

「たしかに癖のある和音なんだけどねえ。玄奘は音感も悪くないのに、ここだけ妙に苦手なんだね」と悪気なく言った。 


「迷惑をかけてすまないな」


 玄奘は微笑みを絶やさないが、瞳にいつものきらめきがないことに悟空は気付いた。


 その日の夜は軽いキスをしただけですぐに背を向けて寝息を立ててしまった玄奘のこわばった背中を、悟空は長い間撫でていた。





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