第二部 第一章 恋人のふり 1


「最近、悟空がハグをしてくれないのだが」


 深刻な顔で玄奘が告白したのは、八戒と悟浄の前だった。


 二人とも眉を寄せて互いに顔を見合わせた。なんと答えるのが正解か。


 以前のVtuber konzenとして彼らの推しであった玄奘は、今や彼らの「お師」となって、アカペラボーカルグループJourney to the Westを率いてくれている。それぞれ、Genjyo(玄奘)、Go-ku(悟空)、Chan-Buta(八戒)、Gojoe(悟浄)と芸名を定め、既にメジャーデビューを果たし、音楽活動を開始している。少しずつ彼らの楽曲も巷で耳にする機会も増えてきたところである。


 音楽活動は順調であるにも関わらず、憂えた様子の玄奘の機嫌を損ねないよう、うまく答えなくてはならない。悟浄は生唾を飲み込んだ。


 口火を切ったのは八戒だった。そしらぬふりで彼らの関係を確認した。


「あー、えっと、兄貴と玄奘はつきあってましたっけ?」


 玄奘は黙って首をふった。


「それなら別におかしなことはないですよ。つきあってもいない二人は、そう頻繁にハグすることもないでしょう」


「しかし……以前は眠る時も腕枕をして寝てくれていたし、私がソファで経本を読んでいると悟空は隣に座って腕を回してきていたし。ほら、そなたたちも覚えているだろう?四人で食事をする時も悟空は必ず私の隣に座っては、肩を抱くなり、腰に手を回すなりしてきていたのだ」


 厄介ごとに巻き込まれやすい玄奘は一人で生活させるのは心配だと悟空が言い張り、二人は同じ部屋に住んでいる。


 以前は一人暮らしで深夜まで仏教の研究や経本読書に励むなど夜型生活だった玄奘も、過保護の悟空が傍にいて推しの健康を人一倍心配しているせいで、早寝遅起きの小学生のような生活リズムに整えられている。


 一方の玄奘にしたって、よく眠れるから、という理由でつきあってもいないくせに二人は同じベッドで寝ている。


 恋人でもないくせに妙に距離感の近い二人ではある。


「たしかに『おれの玄奘に触るな』的な縄張り意識を前面に押しだしてましたね」


「それが急に……避けられている気がするのだ」


 八戒は、(理由を本人に聞けばいいじゃねえか)と言いたいところをぐっと呑み込んだ。前世で散々互いのことを思い合っていながら恋愛関係としては結ばれなかったのがこの玄奘三蔵と悟空の関係である。さすがの鈍感豚野郎であっても、踏み荒らしてはいけない領域であることは理解できた。


 悟浄が落ちついた声音で言った。


「玄奘、古来よりオタクは推しにふれてはならぬものと定められておる。推しを神聖視するのは自分の手にはふれられない聖域だからだ。ふれては推しが汚れてしまう。これまで悟空が玄奘と共にいられることに舞い上がり、気軽にふれていることを拙者、苦々しく思っていた。悟空もやっと目が覚めて本来の距離感に戻ったのであれば、これは憂えることではない」


「しかし、もうわれわれは推しとオタクの関係ではなくて、同じグループの一員として同じ目標に向かって邁進しているところではないか」


「玄奘にとってはそうかもしれない。ただし悟空の中では今でも玄奘は推しのままなのだ。先日のライブで多くのファンをさしおいて、Genjyo缶バッジを買い占めたのはあの猿だったではないか、あの姿をあさましいオタクと呼ばずして他に何という……」と言って悟浄はため息をついたが、玄奘はむむ、と唸り、納得いかないように腕を組んだ。


 八戒は推しの機嫌が悪くなりつつあることを察知し、フォローのつもりで提案した。


「いろいろ悩むより、いっそのことつきあっちゃえばいいじゃねえですか?兄貴に好きですって言ってみれば?そうなりゃ兄貴だって無下にはできないでしょ」


「好き……?」


 玄奘は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をし、八戒に尋ねた。


「誰が、誰を、好きだと?」


「だから、玄奘が兄貴のことを」


「私が……悟空のことを……?」 


「いやいや、玄奘さんよぉ、ラブですよ、ラブ。まさか好きでもない相手からハグしてもらいたいですか?そんなに変態なんですか?」 


 八戒のあきれたような物言いに玄奘は顔を赤くした。


「いや、しかし……ラブとは……そもそも私は人に恋愛感情など抱いたことがないから、一体どのようなものか、私にはわからないのだ」


 悟浄は手を振って玄奘の思考を遮った。


「玄奘、この色情魔の言うことになど耳を貸すことはない。玄奘はただ己を崇める信徒である悟空と心の垣根を越えてふれあいたいだけである。好きだとか、ラブだとか、そんな下賎な感情からのものではないことは拙者、理解申しておるっ」


「俺のラブより悟浄の言い方のほうが、なんだかヤラしい気がするけどな」


 八戒はぼそっとつぶやいた。


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