第四章 Journey to the West 結成 3
「結局命も取られなかったし、縛られるだけで済んだのだから、それで良いとせねば。傷はいずれ治るのだし」
「そんなっ。あんな破廉恥なことをされて恐ろしい思いをされたはずです。縄の傷も痛いでしょう」
おれの前に玄奘の裸の背がある。シャワーを浴びたばかりの匂い立つような肌に痛々しく残る縄の跡に薬を塗りながら、おれは下唇を噛みしめる。
推しを守れないおれは玄奘の傍にいる資格があるんだろうか。お前は無能なkonzenオタクなのだと烙印を押された気がする。
「引越先はおれと一緒の部屋って勝手に決めちゃいましたけど、嫌ではないですか?」
「ええ、悟空と一緒なら心強い。それに……」
「それに?」
玄奘は振り向き、おれの首筋に鼻先に近づけた。
……近すぎる。心臓がばくばくしてくる。玄奘の傷を見たことによる罪悪感が遮っていた性的な誘惑が一枚一枚剥がされて顕わになってくる気がする。
ヤバい。変なことを考えてはいけない。
「悟空の傍にいるとなぜか落ち着く。この香り……どこか懐かしい」
推しが半裸で目の前にいることだけで緊急事態なのに、推しの綺麗な顔が近くにありすぎるので思わず目を逸らす。
「……こ、香水はつけてないんですけどね」
「桃の花?いや、そこまで甘くはなくもっと清爽な香りだ。柔軟剤のせいだろうか……そのおかげでベッドを借りた時もとても深く眠れた。嗅覚の記憶は脳のとても深いところにあるというから、もしかしたら……今世の私が忘れているだけで前世の……」
おれは思わず玄奘の口を抑えた。期待をもたせるようなことは言ってほしくない。
前世で一体何があったとしても、今世は今世だ。
玄奘は推し。そして今のおれは神猿でもなんでもないただの人間。無能なkonzenオタクだ。
冷静になれ。ちょっと推しとの距離が縮まったからと言って、推しと同じ世界線で生きていけると舞い上がってしまうのは勘違いオタクのやることだ。
「おれは……ただのkonzenオタクです。やっぱり推しとオタクが一緒に住むなんておかしいです。ファンとの線引きはきちんとした方がいいです」
玄奘の口にあてたおれの手は既にだらんとして力を失っている。
「そうでないと、おれ……勘違いします」
玄奘は沈黙した。
違う。こんなのただの構ってほしいだけのわがままオタクじゃないか。引き止めてほしいわけじゃない。
玄奘は口を開いた。
「これだけいろいろあって、私が悟空のことを単なるファンと思っているわけがない」
「違いますよ!いろいろあったからこそ玄奘は勘違いしてるだけです!おれがそばにいると便利でしょう?でも、それだけです。おれなんてただの用心棒としてしか役に立てないくせに、結局玄奘を守れずにこんな傷を負わせてしまったし。玄奘の傍にいられる資格がありません」
必死になって言い募るおれを、玄奘は柔らかい微笑みで受け止めた。
「悟空と出会えたから……私は今世で成し遂げたい大願を見つけられたのだ」
「……Journey to the Westのことですか」
「そう。Journey to the Westだ」
玄奘がおれの頭を撫でるようにふわっと手を載せて言った。
「どうか悟空、私と一緒に西へ旅立ってはくれないか」
これ以上慈悲深い声音はきっと釈迦如来にだって出せないだろうとような声で。
おれの目からはぽろっと涙がこぼれた。
「おれ……、傍にいていいんですか」
「私には悟空が必要だ」
迷いのない瞳に強い光が宿っている。この瞳の強さをおれの細胞が覚えている。見つめたらもう抗えない。
「……おれの一生、もらってくれますか」
玄奘は微笑んで合掌した。
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