第三章 事務所が炎上する3

 重い扉をぎりりと開けると、天蓋付きの大きなベッドに二人が座っているのが見えた。見るからに挑発的な真紅の髪色をしているのが若頭のようだ。


 なんで組事務所にベッドが用意されているのか、さらになんでそのベッドに二人きりでいやがるのか。ストーカー行為や炎上騒ぎとつながる性愛的な執着心を感じる。黒幕はこいつだ、とおれは確信した。


「konzenにつきまとってやがったのも、全部オメーの仕業だな」


 おれはベッドに駆け寄って飛び蹴りを放ったが、若頭はひらりと身体をかわした。


「牛王組若頭の 紅害嗣こうがいじ様だ。玄奘は殺しちゃなんねーが、玄奘以外の人間のことは何も言われてねーしな。死ぬまでに散々痛ぶってやらあ」


「玄奘を推し、いわばお師と崇拝する猿田悟空だ。玄奘に手を出したこと、死ぬほど後悔させてやるからな」


 ここまで一息で言って紅害嗣を睨みつけてから、大切な玄奘をしっかりと見据えた。よく見れば玄奘は全身を裸に剥かれ、素肌に縄を巻かれていた。


「悟空……」


 涙をいっぱいに溜めた目で玄奘がおれを見た。その瞬間、頭に血が上った。 


「お、……おれの推しになんてことしやがるっ」


 動揺混じりのおれの拳を左頬に受けた紅害嗣は、ぺっと血混じりの痰を吐き出した。


「役立たずの護衛が吠えても痛くも痒くもねえや」


「何をっ」


 おれが殴りかかろうとする前に、紅害嗣の顔からすっと表情がなくなり、右アッパーを繰り出してきた。案外動きが速い。


 身体を捻って受け流してからこちらもパンチを繰り出す。入ってはいるが、効いてはいない。頭は悪そうだが、身体の使い方は上手い。こういう奴には頭脳戦だ。挑発して冷静さを失えば自爆することが多い。


「ヤクザのくせにその辺の病みオタクみたいに、ちまちまアンチコメ送ったり、部下巻き込んでストーカー差し向けたりしてたのかよ。そう言うのが一番カッコ悪いんだよ」


 おれが嘲ってやると、紅害嗣の顔は紅潮した。


「玄奘のレベルに合わせてやったまでだっ」


「よく言うぜ。そもそも玄奘に何の恨みがありやがる」


「恨みなどない。ただこいつが欲しいだけだ」


 紅害嗣が玄奘の背後に回り、きりきりと縄を締めあげている。


「……う……うぅ……悟空」


 腕を背中に回され、胸に縄が食い込みながら苦しそうな顔で助けを求める玄奘がいる。おれは渾身の力を込めて紅害嗣の横っ面を張り飛ばす。


「オメーの相手はおれだよ。玄奘に手を出すのはおれを倒してからにしろ」


「よく吠えるクソだ」


 紅害嗣はやっと玄奘から手を離してベッドから下りると、何かを振り投げてきた。間一髪で頭を振って避けるとそれは壁に刺さった。短刀、いや短槍だ。


 おれが間合いに踏み込んで蹴りを放とうとすると、紅害嗣は左右にぶん投げるようにして三連発で短槍を投げてきた。避ければ蹴りが当たらねえ。おれはとっさにポケットにしまっていた自撮り棒で短槍を叩き落とし、蹴りを決めた。


「じゃあ、これはどうだ」


 紅害嗣が玄奘をめがけて短槍を投げつけた瞬間、左アッパーを繰り出してきた。 


「へへん、この自撮り棒は伸びるんだぜ」


 おれは長くした自撮り棒で玄奘へ投げつけられた短槍の軌道を変えると同時に、片手で顎をガードした。ガードしたのに腕はしびれる。


「クソのくせにちょっとはやるみてーだな」


「オメーもな」


 お互いに息が荒くなってきた。


 場の空気をぶち壊すどすどすという足音の後、「俺達もVIP特別サービス受けたいよー」と言いながら八戒と悟浄が現れた。


 おれは紅害嗣と一瞬で距離を詰め羽交い絞めにする。ずっとこのタイミングを待っていたのだ。


「オメーらやっと来たな。おれがこいつの相手をしている隙に、玄奘を連れて逃げろ」


「約束が違えぞっ。お前を倒したら玄奘は俺の物だって言ったじゃねえか」


 紅害嗣は顔を赤くして火を噴くほど怒っている。


「おれには勝てねえだろ。だから玄奘がお前のものになることは一生ねえ」


 悟浄が縄を切ってやり、八戒が玄奘を立たせているのを、暴れる紅害嗣を抑え込みつつ見守る。あの三人がこの部屋を出たら決着をつけてやればいい。


「ふーざーけーんーなー」


 紅害嗣の身体が嘘のように熱くなった。予想もしない身体の熱におれは思わず腕を離してしまう。紅害嗣は玄奘のいるベッドに飛び乗ると、八戒と悟浄をベッドから蹴り落した。紅害嗣はそのまま火炎を吐いた。まるで妖怪のように。


「なんだあいつ、何の手品だ」


「物の怪の類か」


「オメー、何者だ。この炎はなんだ」


 炎に負けじとおれも声を張り上げる。


「知るかっ、勝手に口から出た。ほらみろ、美しいだろ」


 紅害嗣がベッドの周囲に火炎を放射する。あらかじめ油を吸い込ませていたのだろうか。絨毯は激しい火柱を立てて燃え上がる。炎の壁でベッドは取り囲まれてしまった。


 少しでも炎の勢いが弱い箇所から侵入しようとするものなら紅害嗣がすぐさま炎を放射してくるので身動きが取れない。


「玄奘、おれのそばにいろ。おれならそばを離れることはしない。ずっとずっと一緒にいてやる」


 紅害嗣は狂ったように笑いながら、玄奘の身体に両腕を絡ませていく。なんてことしやがる。おれはじりじりしながら頭を働かせる。策だ。策を練らなくては。


 八戒と悟浄もさすがに焦り、おれの肩をばしばし叩いてくる。


「か弱い玄奘はすぐ煙にまかれて死んじまうよ。兄貴、水だ水」


「水なんかどこにもねえだろ」


「かの奴、玄奘と心中する気かもしれぬ」


「悟浄、お役立ち道具はねえのかよ」


「もう品切れじゃ」


 深紅の炎は次第に黒煙を部屋の中に充満させつつある。焦げ臭く、いがらっぽい煙が肺の中に入ってきて咳が出る。この建物が焼け落ちるのが先か、玄奘の命が尽きるのが先か。


 残念ながら一つも良い解決案が出てこない。おれは唇を噛みしめる。


 重い扉が開いた。天井付近に溜まっていた黒煙がさああっ・・・・と移動していき、代わりに新鮮な空気が少し入ってきた。扉の向こうにいたのは玉竜だった。一人で乗り込んできたのであろう。脚を震わせながら立っていたがその声は力強かった。


「こういう時は敵に戦意喪失させるのが手っ取り早いんだよ。さっき練習したやつ!玄奘に聞こえるようにデカい声で!」


 おれには何のことかわからない。


 しかし玉竜の鼓舞で、地響きのような重低音のベースが鳴り始めた。悟浄が歌い始めたのだ。少しずつ音程を変化させていくと、ビートが生まれていく。


「そうか!あの歌だな!」 


 悟浄の声からしばらく遅れて、やっと合点がいったらしい八戒が声を出す。楽天的にも聞こえる陽気なリズムを刻みながら、メロディの基盤を整える。


「かんじーざいぼーさつ ぎょうじんはんにゃはらーみーたーじー」


 炎の向こうから涼やかなメロディが聴こえてきた。八戒と悟浄の声に合わせて玄奘が歌っている。小さな声だが確実に安寧なメロディがそこにあった。


 玉竜がいつのまにかそばにいた。相当の覚悟を決めているのだろう。目が据わっているのが怖い。 


「さあ、悟空も」


「いや、何やってんのかさっぱりおれにはわからねーんだが」


「悟空がバイトに行ってる間、玄奘が読経してたんだけど八戒がハモってきてたのと悟浄の感心する唸り声がわりといい感じにコラボしてたから、一緒に歌ってみたんだ。だから悟空も」


「なんで今なんだよ。玄奘が死ぬかもしれないんだぞ」


「玄奘が死ぬかもしれないからだよ!とにかく歌ってみろってば!」


 玉竜は涙と唾を飛ばしながら叫んだ。その剣幕に押され、おれは頷いた。


「どう歌えばいいんだ」


「悟空はボイスパーカッション役」


「ボイパなんてやったことねーし!」


「バスガスバクハツバスガスバクハツドッチカッツートコッチーって適当に繰り返しておけばいいからっ」


 適当にと言われても、と思いながらも声を出す。なんにせよ、もうこの部屋にいられる時間はあとわずかしか残っていなかった。玄奘を助け出す術もなくただ歌い始めるとは正気の沙汰ではない。


 煙のせいか頭もぼうっとしてきた。きっともう正気ではないのだろう。


 一度声を出してみれば、自然に身体が乗りはじめた。おれの唇と舌で作り出すビートがうねり、旋律に生き生きとした波を与えていく。


 悟浄の声は深みを増し、八戒の声は跳ね、玄奘の声も伸びやかになってきてハーモニーの渦に巻き込まれていく。


 おれたち四人の声が一つに結ばれていくのがわかった。どこからか涼し気な風が吹いてくるのを感じる。呼吸が楽になってくる。もう死ぬのかもしれない。


 そして、おれは妙なものを見た。現実には組事務所の燃え盛る一室にいるのは確かなのだが、二重写しになるようにして途方もない風景が見えた。これがうわさに聞く走馬灯だろうか。


 夕日が沈む遥かな峻険を目指して、渓谷を歩いていく一行がいる。馬上の僧は粗末な身なりをしていたがその決意に満ちた横顔は淡麗だ。彼が乗る白馬は凛々しく歩き、荷物持ちの豚と痩せ男は軽口を言いあっている。そして、僧の乗る馬の口を取っているのはおれだった。


 師父を自分の命に換えても守らなきゃならない、と思っていたおれだ。そして師父の御名こそ、玄奘三蔵だった。


 そうだ、おれは知っている。


 確信を持った瞬間、ベッドに座る玄奘から白い光が差した。強い光は視界さえも遮る。既に炎のゴウゴウ燃える音も、おれたちのビートと一体化してよくわからない。


「やあやあ、紅害嗣が迷惑をかけたな。一旦、この勝負、私が預かろう」 


 大きな腕に抱かれる感触がした。その瞬間、おれは気を失ったらしい。

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