第三章 事務所が炎上する1
万馬奔騰の勢いでうちの組事務所に殴り込んできた大男は口を開くなり言った。
「牛王組若頭の
それなりに真剣ではあるが命を張っているという悲壮感がまったく窺えない口調に、こいつは要注意人物だと本能が告げる。その証拠に大男は目にもとまらぬ速さで次々と組員たちを倒していく。
一体どういう思考回路をしているのか。単独で組本部にカチコミにきたくせに、そんな身勝手な言い分が通るわけがない。いつでも発砲できる構えの構成員に取り囲まれた窮地だというのに、生きて帰れることをまるで疑っていない様子だ。無謀にもほどがある。
「捕らえろ」
俺が指示をすると、組筆頭の屈強の手練れが数人で大男を取り囲み、後ろ手で縛りあげた。
他の者はチャカの狙いを外さないでいる。と、思った瞬間、大男が体を回転させ、組員が倒れる。回し蹴りを放ったのかと判断したのと同時に俺の顔のすぐ横の壁に短刀が刺さる。回し蹴りが終わった瞬間に投げたらしい。なんて身のこなしだ。
「こいつめっ」
拳銃で狙いを定めてから撃鉄を引く組員がいる。だめだ、そんなに時間がかかっては。
案の定、弾が放たれる直前にその組員は大男に腕を捻り上げられて、弾は天井にめり込んだ。
俺は片手を挙げ、部下に一旦下がれと合図する。
「なるほどね。簡単には拘束できなさそうだな」
こんな手練れがこの辺の組にいるという情報は入ってきていない。よっぽどの隠し玉だろうか。
「ツラ見たことねえな。どこのどいつだ」
「――だ」
間髪を入れずに大男は聞きなれない名を答えたあと、自分の顎に手を当てて尋ねてきた。
「紅害嗣、お主はkonzenつまり玄奘を狙っておるだろう?話し合った方がお主の身のためだぞ」
おれは相手に気付かれないように密かに唾を飲み込んだ。この組の幹部ですらほとんど知らない最高機密を握っているとは。
「全員下がれ」
「いやでも、若頭……」
「二度は言わねえぞ」
しぶしぶと部下たちは部屋を出て行く。俺は腹に力を溜めた。いくら得体の知れない大男相手だとしても、玄奘を潰すまで俺はまだ殺されてやるわけにはいかないのだ。
組員たちは倒れた仲間たちを引きずって、大男を睨みながらも部屋を出た。部屋には二人きりだ。時計がかちこちと無遠慮に音を立てる中、俺と大男は向かい合う。
大男はポキポキと指の骨を鳴らす。威嚇としての効果は薄い。単なる癖だとすればひどく呑気だ。
「一つ一つ事情を確認していかねばな。まずはお主、玄奘を喰いたいか。文字通り、喰らいたいか?」
これは俺も予想外の質問だった。俺に
「気持ち悪いこと言うなよ。あいつを潰したい。手段は問わない。俺の目の前から消えてほしい。それだけだ」
大男は気分が良さそうに頷いた。
「よし。ではなぜそこまで玄奘に固執するのか、その理由を説明願おう。今の玄奘はどこにでもいる無名の学生だ。正式に戒壇を受けた僧侶ですらない。暴力団の若頭が気にするような存在ではあるまい」
俺は自分でももてあましている、ぐらぐらと煮えくりかえるような感情を、なんとか言語で表現しようと試みる。なぜかこいつには説明してやってもいいという気になっていた。
「あいつの声を聞くと頭がぼうっとするし、あいつの姿を見ればむしゃくしゃして、じっとしていられねえ。あの貧乏くせえ坊主を一目見た時から、身体と心を操られてしまったみてぇで気持ち悪ぃ。なんで俺様があんな奴で頭の中をいっぱいにしなきゃならねえんだ。腹が立つ。あいつが憎い。だから潰してやる。」
料亭で出された懐石料理の風味を五感で漏らすことなく味わうように、大男はおれの言葉に舌なめずりして頷いた。
「良い良い。まるで一目惚れした相手に焦がれる乙女よのぅ」
「はぁ?」
俺は大男の襟首を掴み鼻がふれあうくらいの距離でガンを付ける。大男はまったく動揺せずに噛んでふくめるように説明した。
「よく聞け。愛と憎しみは表裏一体なのだ。お主は玄奘に惹かれつつもその愛を受け入れてもらえぬ苦しみで憎んでおるのよ」
「誰が誰に惹かれてるだって?勝手な妄想を押し付けるんじゃねえよ」
俺が大声で威嚇しながらさらに顔を近づけると、次の瞬間、大男も顔を寄せてきた。
頭突きだ、と身構えた瞬間、唇に柔らかいものがふれた。
「私の接吻に免じてその手を離せ」
「な、……何すんだ、この野郎」
言われなくても既に大男の襟首からは手を離している。何度もされてはたまらない。俺は袖でごしごしと唇を拭く。
「目の前に美しい唇があったゆえ、な」
「……お前、男が好きなのか」
「私は美しいものは好ましいだけだ。性別には拘らぬ。」
大男は先程の感触を確かめるように自分の唇を舐めながら俺の顔を見つめた。俺はその一瞬蛇に睨まれた蛙のように息が止まった。
しかし次の瞬間、大男はふっと視線の力を抜いて、俺への興味を無くしたようだった。
「私との接吻ではお主は満たされまい。お主が玄奘に惹かれるのは前世からの因縁によるもの。その因縁を断ち切れるかどうかは今世の生き方にかかっておる」
大男の口調にはまったくの確信しかなかった。まったく理解ができねえ。
ヤクでもやってんのか。こいつ。
「……まったく言ってる意味がわからねえな」
「前世のお主は広大な力を持つ妖怪であったが、玄奘を喰らおうとして失敗したのだ。その飢えが満たされぬまま転生した。ゆえに今世の玄奘の配信を見てその声を初めて聞いた時から、玄奘が欲しくて欲しくてたまらないのであろう」
大男の言葉は俺の腹の柔らかい部分に突き刺さった。
前世が妖怪かどうかなどどうでもいい。しかし、玄奘を初めて見た瞬間からその虜になってしまったことは図星だったからだ。
部下から「若。般若心経って、意外とシビィんですぜ」とkonzenの配信を見せられた時には、その透き通るような声に心の臓が止まるかと思った。思わず部下のスマホを取り上げて食い入るように見つめた。妙な竜のアバター越しに本人の顔が見えないものかと、もどかしくて何度も瞬きした。
この世に生まれる遥か前から俺が求めていたものはこいつだと思った。玄奘の声は焼肉の肉汁が弾ける香ばしい音のようにひどく欲をそそられた。
「玄奘が欲しいか」
まるで玄奘が自分のものであるかのような口ぶりの大男に嘘はつけない。死ぬほど悔しいが認めるしかなかった。
「……欲しい」
「では潰すのはダメだ。玄奘が欲しいのであれば正面きって彼に勝たねば」
「……全面抗争か。奴のバックにつくのはお前の組というわけだな」
まったくもって口惜しいが、玄奘にはこの大男の組が味方についたということらしい。この大男は開戦を告げに来た使者だったのだ。
背筋を流れる汗の冷たさを自覚する。この筋骨たくましい大男と敵対すれば勝算はほとんどないだろう。しかし、やるしかない。おれは玄奘が欲しいのだ。
しかし、大男は肩の力を抜いたままぶんぶんと腕を振り回した。
「いや、そう硬くなるな。暴力沙汰にはしないぞ。血気盛んなのは妖怪のお家芸だが、お主はもう妖怪ではなく単なる人間であることを自覚した方が良い。人間の寿命は瞬く間に尽きるのだ。下手に捕まって数十年ムショにいれられてみよ。出てきた時は白髪で腰の曲がった爺さんだ。あたら若くて美しい期間にこの現世を楽しまなくてどうするのだ。せっかく見目にも才にも恵まれて生まれてきたのにそれを生かさぬのは勿体なかろう」
「パクられるようなヘマはしねえよ」
「そうだろうか。私はお主の罪を暴くためならなんでもするぞ」
この男の言葉は口だけではないだろう。隙があったら打ちかかってやろうと俺は狙いを外さないでいるのだが、この大男は一分の隙も無かった。それでいて表面上はくつろいでいて、余裕のある話しぶりを崩さない。
「じゃあ抗争以外に何で決着つけるんだ」
「心して聞くがいい。私の策を」
大男は不敵に笑った。
――――――
配清寺に配信の協力を断られたため、機材を移動させなければいけない。玉竜は親に配信を反対されているし、玄奘の家にはストーカーがいる。仕方なくおれの家に運び込むことにした。
車が必要だったので八戒を呼びつけ、力仕事要員にとりあえず悟浄も呼んだ。玄奘は段ボールを持つだけですぐによろけて機材を壊しそうだし、玉竜は「僕の手は肉体労働には向かないから」と軽い荷しか持たないせいだ。
悟浄によれば、炎上を仕掛けてきたアカウントはIPアドレス隠蔽のブラウザで海外からのアクセスだと見せかけていたが、実は近隣のネットカフェにある数台のパソコンから接続していたようだった。同じ奴らが違うアカウントを使ってアンチコメントを量産していたらしい。
おそらく配清寺に圧力をかけてきたのと同様に牛王組の仕業だろうが、ヤクザにしてはやることが地味すぎる。組としてではなく、個人的な私怨なのだろうか。
玄奘が顔出し配信をした結果アンチ騒ぎは治ったかのように見えたが、視聴者数とコメントの絶対数が増えた分アンチコメントが目立たなくなっただけで、アンチは配信終了までコメントを送り続けていたらしい。生半可ではない執着を感じる。
悟浄からの報告を聞き、おれは思わず拳を握りしめるが
「悟空、暴力は玄奘に止められていることをしかと心せよ」と悟浄に軽くいなされる。
「必要な時は殴るしかねえだろ」
「兄貴は暴力以外の解決方法を学んだ方がいいよ。理由も聞かずにすぐ殴るんだから」
八戒が余計な口を挟んでくるので、おれは軽くその頭をはたく。
「うるっせえな。一発殴ってからの方が本当の理由も聞き出しやすいだろうが」
バイトの時間が迫っていたおれは、機材の片付けを八戒と悟浄に丸投げし、玄奘には
「絶対に一人で家に戻ってはだめですよ。ここにいてください。三角パックのコーヒー牛乳を買って帰りますから」と言い含めてから部屋を出た。
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