第一章 深夜の常連客がまさかの推しだった4
店長から借りた自転車で周囲を走り回ったがkonzenの姿はどこにもなかった。感染症対策とやらでこの辺で深夜まで開いている店はないし、この時間に友人宅を訪ねるとも思えない。恋人ならあり得るだろうか。
自転車を乗り捨て、路地の隙間や建物の裏手まで見て回る。
……嫌な予感が当たらなければいい。いっそ、恋人の家にでも行っていただけならいいのだが。
体力には自信のあるおれもさすがに息が大きくあがってきたころ、小さな公園の茂みの中に埋もれているkonzenを見つけた。
「konzenさん……」
ちょうどビルの谷間から射してきた冬の白い朝日がkonzenの額を照らした。
不思議なほど神々しくて、おれはそれ以上近づけずにその場で膝を折って視線を合わせた。
「……猿田さん」
地面に腰を下ろしたまま、konzenは薄く目を開けた。見たところ外傷はないがその頬は青白く、唇は力なく震えている。まさかずっと外にいたのだろうか。
「どうしてここに」
「細かい話は後にしましょう。まず身体を温めないと。おれの家に来れますか」
konzenはおれの提案に力無く頷いた。
本当は抱きしめて温めてやりたいが、彼を取り巻く神聖さを侵すことはできない。ただ手を差し出してkonzenを立ち上がらせた。冷えきったその手におれはぞっとする。この人はどうして自分をもっと大事にしないのか。
「本当はこんなに簡単に知らない人についていってはだめですよ。でもおれは絶対konzenさんを傷つけたりしないと約束します。だから今はおれと来てください」
「……猿田さんは知らない人じゃないでしょう」
konzenがほっとした表情でおれの手をぎゅっと握った。まるで心臓を鷲掴みにされたみたいに苦しくなる。
konzen、そういうところだぞ、本当に危なっかしいな。
おれは免許証を見せたり自分の身分を明らかにした上で、そんなに簡単に他人を信用してはいけないとさんざん言い含めながら自分の家にkonzenを連れて帰ったのだった。
さておれの目の前にはすやすやと眠るkonzenがいる。おれの部屋に二人きりで、おれと同じ石鹸の匂いをさせて、おれの服を着ている推しが、おれのベッドで無防備に寝息を立てている。エロ同人誌にあるご都合展開じゃないか。襲いかかられても文句言えないやつだぞ。
まずい、まずいぞ。これはオタクとしての決心が試される場面だ。
目の前に選択肢が出てくる気がする。さあ、おれはどうする。
① 拝む
② 見つめる
③ 襲う
……ダメだダメだ、現実はゲームじゃねえ。落ち着け、おれ。
自らの推しにオタクは手を出しちゃならねえ。大事な推しならなおのことだ。
おれはぶんぶんと首を振って、床に腰を下ろす。おれの顔とほぼ同じ高さにkonzenの顔がある。オタクとしての適切な距離を保ちながら、おれはkonzenの顔を眺める。
マスクはすでに外しており、薄い花びらのような唇が少しだけ開いている。 睫毛は長く、目元に陰を落としている。先程までは青白かった頬も少し紅みがさしてきたようだ。なんの憂いもなさそうに眠る表情はまるで赤子のようだ。
……本当に呆れるほど綺麗な顔している。青々と剃りあげられた頭は寒くないんだろうか。何か掛けてやった方がいいだろうか。
おれは厚手のタオルを出してきて、konzenの頭に掛けてやった。タオル越しに形の良い頭部の丸みを感じる。
……推しの頭を触ってしまった。あの神々しいkonzenの頭におれの手がふれてしまった。
いや、いやいや、これはタオルを掛けてやるためだし、さっき立ち上がらせるために手を貸したの同様にやむを得ない措置だろう、きっと。そうだそうだ。
一度ふれてしまった手を離すのが勿体無くて、もうちょっとタオルの位置をずらしてやった方が、と自分で自分に言い訳をしながらkonzenの頭をタオル越しに撫でる。なぜか懐かしい気がして、鳩尾の辺りがぼんやり温かくなってくる。
「う……ぅん………… 」
konzenは身体を捩ったかと思うと、おれの手の上にひょいと自分の手を重ねてきた。柔らかい指の感触がくすぐったい。
正直、ちょ……っと……ヤベえな。この温かい手を離したくはねえ。心臓が早鐘を打ち始めた。
おれはずっと……このまま……。
その時、ポロポロポロンと間抜けな音が静寂を乱した。電話だ。
「ん……」
眉を顰めるkonzenにどきっとして、おれは急いで電話を取る。できる限り音を出さないように部屋の隅に移動する。寝返りをうってkonzenはまた眠ったようだ。
「……なんだ」
おれの機嫌の悪い反応を物ともせず、クックックとラスボスみたいな低い声で笑ったのはやはり悟浄だった。
「konzenを見つけたようだな」
「……本当にお前は何にもしないくせに、情報だけは早いのな」
どうせまた防犯カメラのハッキングで知りえたのだろう。
「お主の家に二人きりでkonzenとおるのだな。めったなことはしていまいな」
「めったなことってなんだ」
「口にするにもおぞましい。両手両足を拘束したうえで、泣き叫ぶkonzenに凌辱の限りを尽くすなどという……」
「口にしてるじゃねえか」
「いや、いらぬ心配か。ヘタレの悟空は推し相手におよそ手も足も出せぬであろうな」
「……はいはい、その通りだよ」
おれの家にkonzenを連れて帰り、有無を言わさず風呂場に入れてその間に歯ブラシやら下着などの必要なものを買いに行き、風呂から出たkonzenに押し付けた。
風呂上りのkonzenは頭からもぽっぽと湯気を出してひどく可愛かったが、あまりどきまぎしなかったのはおれが世話を焼くことに精神を集中させていたからだろう。konzenの冷たい身体と虚ろな視線が心配で、絶対に守ってやらなきゃならないと使命感にかられていたのだ。そして、温かいコーヒーを淹れてから二人並んで座り、konzenが早朝の公園に一人でいた事情をぽつりぽつりと話してくれるのを待った。
「悟浄、konzenの家にストーカーがいたってよ。それで家に帰れず、公園に一人で隠れてたんだ」
許しがたい事態である。推しの身の安全と精神の健康を害するものは絶対悪としか言えない。悟浄の声も一段低くなった。
「まさか。拙者たちの監視を潜り抜けたのか」
これまでもストーカーになりそうなファンがいれば、おれたちが協力して大事に至る前に「始末」してきている。今回はまったく予期しなかった案件である。
「……もしかしたらファンじゃねえのかもしれねえな。SNSをやってない孤高のアンチかも」
「拙者、カメラの画像を解析してみよう」
「の前に、おれ今からそいつ殴りに行ってくる。本人から事情聞いた方が話が早えだろ」
「事情を聴く前に殴って気絶させてはだめだぞ」
「わかってらい」
電話を切って振り向くと、konzenが起き上がっていた。電話の声で起きてしまったらしい。
「私の家に行くんですか」
「ええ。konzenさんに害をなすものは成敗します。おれ強いですし、負けません。すぐ戻りますからここで待っててください」
konzenは途端に心許なげな表情になり、おれに近寄った。そしておれのパーカーの裾を指でつまんだ。
「……私を一人にするんですか」
「い……や、あの……」
そんな捨てられそうな犬みたいな顔で縋りつかれては何も言えなくなってしまう。
「私が一人でいる時になにかあったら……」
「おれ、でも、ストーカーをやっつけにいかないと……」
konzenは別におれの身を心配してくれているわけではない。自分の身を案じているだけだ。自分勝手極まりないのに、なぜか突き放せない。
だっておれの推しだからだ。
「でも一人にされるのは……」
うっぐ。目を潤ませてkonzenがこっちを見てくる。妙に距離が近くないか。
どうしますか。
① 抱きしめる
② 振りきってストーカー退治に行く
だめだだめだ。
おれはkonzenの身体に回しかけた腕をぎしぎしと音を鳴らしながら無理やり自分の脇に戻す。抱きしめたいが、推しは抱きしめてはならない。代わりにおれは力強く言った。
「わかりました。おれの代わりに護衛を置いていきますから」
「良かった……。猿田さん、ありがとう」
自分の思い通りの答えが得られたらしいkonzenの顔はほころび、今後もおれはこの顔のためならなんでもしてしまうだろうという予感がした。
すぐに護衛として呼びつけた八戒と悟浄は文句をぶうたれながら俺の部屋を訪れたが、konzenの顔を見てその美しさに息を呑み口を閉じた。
まあ当然だ。おれたちの推しは誰よりも美しい。
「いいか、お前たち。おれが戻ってくる前にkonzenさんに朝食を食べさせて食後のコーヒーも淹れて差し上げるんだぞ。ミルクはなし。砂糖は二杯だ」
細々と指示を与えておく。
「いいけど、俺、時間になったら会社行くからね」
妙なところで冷たい八戒の宣言は黙殺した。
さあ、殴りに行こう。腕が鳴りやがる。
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