第一章 深夜の常連客がまさかの推しだった3

Vtuberという正体がばれてしまったコンビニにはもう来ないかもしれないと不安を覚えたのも束の間、数日後の深夜にまた忽然とkonzenは現れた。


 今日のkonzenの配信は、毎週の定例とは別の特別配信で、シフトの入っていたおれはリアルタイムで観れないことことを歯がゆく思いながら、アーカイブを残してほしいと切に願っていたところだった。


 聞き飽きた入店ベルで振り返るとそこには待ちに待ったフード姿のkonzenがいた。時間から察するに、配信が終わった後の息抜きに買い物をしに来たのかもしれない。


 konzenとの待ちに待った再会に、思わずおれは洗っていたフライヤーの器具を落としてしまう。がらがらの店内に大きな金属音が響く。


 「ふふふ、大丈夫ですか」


 変わらずにマスクとフードで顔はほとんど見えないが、konzenは切長の目をより細めながらレジ横を通り過ぎる。


 うぐっ、推しの笑顔が眩しすぎる。


「……し、失礼しました。らっしゃーせ」


 konzenの遭遇情報をおれがSNSで拡散するとも思っていないようだ。信用されているのは嬉しい気もするが、そういう甘さがストーカーを寄せつけるんだぞという歯がゆさもある。


 konzenのことを食べてしまいたいくらい可愛いと思っているファンも現にここにいるのだから、もっと警戒してほしい。 

 

 konzenは三角パックのコーヒー牛乳をぽてっとレジ台に載せた。


「今日は買えて良かった。猿田さん、この前はどうもありがとう」


 げ、猿田さんて、猿田さんて、猿田さんって……。


 名前覚えてくれてるしっ。マジかおい。いや、課金もしてないのに軽々しく名前読んでもらえて良いのだろうか。もったいない。


 ここで頬を緩めたらもう頬がはちみつのようにどろどろに溶けて元に戻らない気がするので、おれは必死になってマスクの下の頬に力を入れる。


「このコンビニにはもう来てくれないかと思ってました。来てくれて嬉しいです。おれ、また会えるかなってそれだけを楽しみに生きてたんです。他のコンビニに行ってしまわないように他店には三角のコーヒー牛乳仕入れるなって根回ししとこうかと思っていたところでしたよ。今日はコーヒー牛乳があって良かったですけど、前みたいにまた買えないことがあると困るので念のためにおれの連絡先教えておきましょうか。欲しい時に事前に教えておいてもらえば取り置きしておきますよ。大丈夫です。下心なんてないです。非通知でかけてきてもらっても出ますから。ああ、それよりもkonzenさんさえ良ければ、家に差し入れにいってもいいくらいです。konzenさんが夜に一人で買いに来るのが心配なだけです。毎日届けましょうか、三日に一回がいいですか?何本持っていきましょうか」と本当は雪崩打つように言いたいのだが、おれの口は回らない。


「……うっす」


 うっすってなんだ。なんの返事にもなってねーじゃねえか。思った通りの言葉が出てこない自分の舌を恨む。


 


 


 ああ、konzenが行ってしまう。何も話せなかった……。


 

 バックヤードの白々しい蛍光灯の光の下で、おれはため息と共にユニフォームを脱ぎスマホを確認する。悟浄からつい数分前にメッセージが来ていた。


「推しとの邂逅というのに感動が伝わってこぬ。推しに感謝と感動の意を伝えた方が良い」


 ……まったく意味がわからねえ。


 ちまちまと返信するのは面倒なので通話で悟浄を呼び出す。この早朝に起きているということはどうせ徹夜でもしたんだろう。在宅ワークという名の違法行為をしている悟浄は大抵暇を持て余している。案の定ワンコールで陰気な声が応答した。


「なんだ」


「なんだはこっちの台詞だ。オメー、一体何が言いてえ」


「konzenと言葉を交わす機会というのにお主ときたら。阿呆のように突っ立っておるだけでまるで木偶の坊だな。」


 電話の向こうの呪詛めいた言葉におれはぞっとする。


「……なんでkonzenが来たこと知ってんだよ」


「コンビニの防犯カメラをハッキングして観察した。録画したものを八戒にも送っておいた」


 ため息が出る。


「……やめてくんねーかな、それ。」


「推しに感謝を伝えられないkonzenオタクの名折れめが」


「ちげーわっ。おれはちゃんと推しとの距離をわきまえてるオタクなんだ。この前はたまたま話す機会があっただけで、別に今以上に距離を詰めたいとか思ってねえしっ。生で顔を見れるのは嬉しいけど、でもそれ以上の関係を望んじゃいねえっ。推しは推し、おれはおれだ。推しとおれがかかわる事はあっちゃならねえ」


 konzenの前では緊張して何も喋れなかったことを棚に上げておれは言う。


「konzenの方からお主の人生に飛び込んでくるやもしれぬが」


「……どういう意味でい」


「konzenは先程コンビニを出てからまだ家に帰っておらぬ」


 思いも寄らない悟浄の言葉におれの心臓はどきんと跳ねた。


「ちょっと待て大変じゃねえか、もうあれから二時間くらい余裕で経ってんぞ」


「正確に言えば一度自宅マンションには着いたのだが、自宅に入る前にまたすぐ出て来たのだ。その後、周囲の防犯カメラには映っていない」


「大馬鹿野郎、そういう重要な事の方を早く言えっつの。何でついでみたいな感じで言ってくんだよ。深夜の一人歩きだぞっ。konzenに何かあってからじゃ遅えだろ」


「成人男性であるし、家からさほど距離もない。めったなことは起こらぬ」


「びっくりするほど綺麗なくせに警戒心ゼロの成人男性だ。何があってもおかしくねえよ」


 電話を切るのももどかしくおれは駆け出した。

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