第21話 たけきん



 ……その瞬間、時が止まった……ように感じられた。

 いや、実際に時は止まっていないし、そんな力を持つ怪人なんて存在しない。これは、ただレッド……愛が、そう感じただけだ。


 プールに現れた怪人。ひとけのないところで襲われている一般の女性客。

 そこまではまあ、いい。なんでこんな日にとか、いろいろ文句は言いたいが、まあそこはいい。


 問題は……なぜこの現場に、尊がいるのかということだ。


「たけ……っ」


 とっさに、尊の名前を呼んでしまいそうになった自分の口を塞ぐ、愛。

 いや、今の自分は柊 愛ではない。ヒーローレッドなのだ。彼は幼馴染ではない、怪人に襲われそうになった一般人だ。


 自分の中で整理して、落ち着いて……改めて、尊と女性に視線を向け、声をかけた。


「怪我はないかな、二人と……」


 も……と、最後までその言葉が続くことはなかった。

 なぜなら、レッドの視界には、彼の言葉を中断させてしまうほどの光景が、映り込んでいたからだ。


 それは……


(た、たたた、尊の……尊の水着姿だぁあ!)


 神成 尊の、水着姿だった。

 今年初めて見ることになる、尊の水着姿。黒の、トランクスタイプの水着。その姿に、愛は心の中で大暴れしていた。


 正直、去年も見ているし、男の水着姿など目を引くものはない……と、思っていたのだが。


(はわわわわ……た、尊って結構、筋肉ついて……あ、腹筋割れてるぅ!

 す、すごい……いつもは、は、裸なんて、見ることないから……キャー!)


 この一年で、体型が変わったものだ。特に部活動もしていないのに。

 ……いや、たまに運動部の手伝いをすることがあると、言ってはいたか。


 普段……週初めの朝以外にも、尊が柊家にお邪魔することはある。時には、夜なんかも。

 その際、弟の海と一緒にお風呂に入ることもある。当然、愛は一緒には入らないわけだが……


 お風呂上がりの、ラフな格好の尊。その姿を見て何度、ごちそうさましたことか。お風呂上がりだと、普段とは違って柔らかい格好で、かつどこか色気がある。

 今目の前にあるのは、そんなラフな格好ですらなく……ほぼ裸の、尊の姿だ。


 ちなみに、海は尊とばかりお風呂に入る。渚が誘っても頑なに入らないのは、少し早めの思春期なのだろう。


(た、尊の腹筋……尊の腹筋……た、尊筋……ハァハァ!)


「あの……?」


「なぁに尊筋」


「……? たけきん?」


「! な、なんでもない!」


 一瞬完全にトリップしていた愛だったが、尊筋……じゃなくて尊の呼びかけにより、戻ってきた。

 なおもちょっと危うい感じだが。


 落ち着け、落ち着くのだレッド。お前はヒーローだ。

 尊からしてみれば、いきなり現れたヒーローが、自分の体を凝視しているという異常事態なのだ。それ以前に、怪人に襲われていた。安心させなければ。


「ううん! ふ、二人とも、怪我はないかな?」


 大きな咳払いをして、若干、無理やり感のある話題転換。大興奮中の心中とは別に、外側は真面目なレッドを取り繕う。

 それに対して、尊の反応は……


「は、はい! レッドさん!

 ……すげー、本物だ!」


 自分が野獣の如き眼光で見られていたことなど、気づいていなかった。

 今までレッド大好きの尊に嫉妬することもあったが、この時ばかりはレッド大好きでよかったと、心から思った。


 ……それはさておき、だ。


「あの怪人……まるで、水そのものが変化したような姿だった」


 これまでの、実体がある怪人とは違う。さっき、蹴りを入れても……手ごたえが、なかった。

 この場合、足ごたえだろうか。どちらでもいいが。


「それで、たけ……キミが、その女性を守っていたのかな?」


 状況を、確認する。尊は、怪我は見当たらない……その背後に尻餅をついている女性は、足首を押さえている。


「えっと……俺は、守ってたなんてそんな、たいそうなものじゃなくて。

 ただ、この人が……」


「?」


 尊の背後の女性は、大人の女性といった感じだ。白いビキニで、大変実った身体をしている。

 尊に守ってもらえるなんて、とってもうらやましい。


 ただ、女性がバツの悪そうな顔をしているのが、気になる。


「俺は、悲鳴を聞いたから駆けつけただけです。そしたら、この人がここに……」


「なんで、こんなひとけのないところに……ん?」


 尊の話を聞き、尊はレッドが駆けつけるほんの少し前に来ていたことがわかる。

 もしかしたら、愛が聞いたあの悲鳴と同じものだったのかもしれない。


 女性は、なぜこんなひとけのないところにいるのか。

 ここは、見ての通り人はいない。プールに来たと言うなら、まず立ち入らない場所だ。


 というか……立ち入り禁止区域だ。


「その手に持ってるのは……」


 ふと、女性の姿にレッドは、疑問を抱く。

 足首を押さえている、その手とは逆の手でなにかを握り締めている。


「ネックレス?」


「……っ」


 そのつぶやきに、女性の肩は跳ねる。

 それが、女性本人のネックレスという可能性はある。だが、そうならこうも挙動がおかしくはならないだろう。

 自分のものだと言い張らないその行為こそが、もう怪しい。


 それに、ひとけのないところにいる理由……あまり、考えたくないものだが……


「まさか、盗んだのか?」


「!」


「え……」


 レッドの言葉に、女性の顔は青ざめる。そして尊は、驚いたように声を漏らす。

 これは、間違いなさそうだ。どんな理由があるかは知らないが、この女性はプール客の誰かのネックレスを盗んだ。

 それが知り合いのものか、通り魔的なものかはわからない。


 いずれにせよ、ネックレスを盗み、その足でこの場所までやって来た。

 ただ、盗むだけなら、自分の荷物にでも忍ばせればいい。そうしなかったのは……ネックレスを、プールに沈めようとしていたのかもしれない。


 そこに、怪人と遭遇した。


「こ、これは……わ、私は悪くない! あの女が……」


「いや、私は警察じゃないんで、そういうのは専門外です。お話は警察で。

 それに……」


 なにやら理由を述べようとする女性だが、それを聞く必要も暇も、レッドにはない。

 なぜなら……


「まだ、終わってない」


 プールの水面から、何本もの水柱が打ち上がる。

 手ごたえはないと思っていたが……どうやら、まだあの怪人を倒せては、いないようだ。

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