純情令嬢は思い出の違和感の正体をお答えしません
uribou
第1話
ある日のお茶会で、ふと疑問に思ったことを我が婚約者に質したいと思った。
「アイリーン、聞いてくれ」
「いやっ! 聞きたくないっ!」
大げさなリアクションで耳を塞ぐアイリーン。
あっ、しまった。
出だしの言葉を間違ってアイリーンワールドに入ってしまった。
「ええと、すまない。婚約破棄の打診ではない」
「まあ、では果し合いですか? それともヒョウタン水筒の作り方?」
「相変わらずいろんな本を読んでいるね。感心する」
「ボールドウィン様は褒め上手ですこと」
ころころと笑うアイリーンは可愛い。
僕ボールドウィンは第一王子、公爵令嬢アイリーン・リッピンコットは婚約者だ。
特に波風なく仲も良く。
将来は普通に結婚して、普通に国を治めていくんだろうと思う。
アイリーンは読書家で、ある意味起伏がなくつまらない生活にアクセントを付けてくれようとするのだ。
微笑ましい。
ただ今日は僕の方から聞きたいことがあった。
「昔のことで聞きたいことがあるんだ」
「何でしょう? 私の覚えていることでしたら」
「僕がリッピンコット公爵領に遊びに行ったことがあったろう?」
「ありましたね。ちょうど一〇年くらい前でしたか」
「あの時僕を相手にしてくれた少女がいただろう?」
「わたくしですね」
ああ、そう聞いていた。
ぼくとその少女しか知らないはずの事実もアイリーンは知っている。
顔も髪色も似ていたと思う。
何も疑問を持たずにいれば、あれはアイリーンだったと信じていただろう。
「本当にアイリーンだったのか?」
「えっ?」
僕でなければわからないくらいだが、アイリーンは微妙に動揺している。
あの少女はアイリーンではなかったのではないか?
五年前再会した(と信じていた)時には、特に疑問に思わなかったのだ。
しかし付き合いが長くなるにつれ、どうにも符合しない事実に気が付いた。
公爵領で会ったあの子は、まるで貴族らしいところがなかった。
いや、将来の王妃たるべき身であれば、性格やマナーはもちろん矯正しただろう。
運動能力が説明できないのだ。
思い出の中の少女は、無限の体力を持った野生児だった。
しかしアイリーンはどちらかというと身体を動かすのが苦手なタイプ。
数年で身体の使い方が全然変わってしまうなんてことがあるか?
「今となってはどうってことのない疑問なんだが」
「気になりますか」
「まあ、なると言えばなるな。アイリーンとは身体の動きが全然違う気がしてね」
本当にどうでもいい、今の日常に何の影響も及ぼさない疑問だ。
バカバカしいと笑われてしまえばそれまで。
退屈と言ってはいけないが、たまには僕の方から話題を振ってみようかと思ったのだ。
楽しかった公爵領の思い出でもと。
しかしアイリーンは案外真面目な表情で言った。
「仮にボールドウィン様の考えている少女の名をナナとしましょうか」
「ん? うん」
ナナか。
アイリーンの侍女の名だ。
僕やアイリーンと同い年だから、年格好は思い出の少女と一致する。
しかし容姿は?
大体髪色が違う。
「ボールドウィン様が公爵領にいらした時、本来なら私がお相手するべきでしたが、折り悪くカゼを引いてしまっていたんです」
「だから僕をあちこちに案内してくれたのはナナだったと?」
「はい」
面白い。
後でナナからどう僕をもてなしたかを詳しく聞いたとしたら話は通じる。
僕と思い出の少女との秘密を知っていたとしても納得だ。
辻褄の合わないのは容姿だけ。
「五年後、ボールドウィン様とわたくしの婚約が決まりました。すると困ったことが起きます」
「それは?」
「容貌の問題ですね。ナナのつもりで婚約し、蓋を開けてみたらわたくしだった。これでは王家にもボールドウィン様にも不信感を持たれてしまうでしょう?」
「……わからなくはないな」
今ならば当然理解している。
僕の婚約者に必要なのは見てくれでなく能力だということは。
そして王太子となるべく、僕の立場を安定させるための後ろ盾がリッピンコット公爵家なのだということは。
でも五年前と言えば僕だって子供だ。
こいつはアイリーンじゃないと大騒ぎすることだってあり得た。
その場合どんな混乱を生んだかなんて想像したくない。
「そこで顔移しの秘術でわたくしとナナの容姿を入れ替えたのです」
「何と!」
奇想天外な展開になったぞ?
あっ、アイリーンの小鼻がピクピクしている。
つまり作り話か。
まあ顔移しの秘術なんて非現実的なものがあるわけないわな。
アイリーンは楽しませてくれるなあ。
「顔移しの秘術は二度は使えないのです。残念ながらボールドウィン様におかれましては、今のわたくしの顔と一生付き合ってもらう他ありませんが」
「ハハッ、なかなか面白い話だったぞ。さすがアイリーンだな」
「恐れ入ります」
アイリーンに誤魔化されたような気がするが、まあ僕の疑問なんて些細なことだった。
公事では大過なく国を治め、私事ではアイリーンとともにあることが、将来の僕に望まれることだしな。
「久しぶりにリッピンコット公爵領に遊びに行きたいものだな」
◇
――――――――――アイリーン視点。
「いいんですか? ボールドウィン殿下を煙に巻いた格好になってしまいましたが」
「いいのよ。ボールドウィン様はつまらぬことで怒りはしないわ」
「それはそうでしょうけれども」
「どうせ暇だったので、ちょっと変だなと思った話題を持ち出しただけですよ」
「お嬢様はボールドウィン殿下をよく理解していらっしゃるのですね」
煙に巻いた格好というのは、ナナの言う通りです。
わたくしだって言いたくないことはありますからね。
「本当のことを白状すればよかったではないですか」
「恥ずかしいんですもの」
「わからなくはないですけれども、作り話に私を登場させないでくださいよ」
もちろん顔移しの秘術なんて冗談です。
わたくしとナナの容姿を入れ替えたなんてことがあるわけありません。
一〇年前、リッピンコット公爵領の各地にボールドウィン様を案内したのは、正真正銘わたくしでした。
「当時のお嬢様はサルでしたからね」
「まあ失礼な。でも控えめに言っておサルさんでしたわね」
「ですから淑女養成ギプスを着けられて」
淑女養成ギプス、それは身体の動きの自由度を制限し、淑女に相応しい所作を強制的に身に付けさせるというものです。
一〇年前の私にとっては地獄の責め苦でしたね。
「今のお嬢様には必要ないのではないですか?」
「ええ。何となく習慣で着けていますけれど、もう淑女養成ギプスも卒業でいいでしょう。ボールドウィン様に怪しまれてしまったこともありますし」
「もう恥ずかしい自分は卒業、ということですか?」
「うふふ」
我ながら頑張ったと思います。
「正直お嬢様は淑女養成ギプスに耐えられないと思っていました」
「ボールドウィン様との間には秘密の約束がありましたからね」
「秘密の約束? 何なのですか? それは」
一〇年ですか。
もう時効でしょう。
「初めて会った日、ボールドウィン様はわたくしのことが好きだ、お嫁さんにしたいと仰ったのです」
「あら、殿下ったらおませさんなんですから」
「当時のわたくしは感動したんですのよ」
数日一緒に遊んでいて、私はすっかりボールドウィン様に惹かれてしまったのです。
淡く幼い恋ではありました。
そしてお父様は、私がボールドウィン様の婚約者候補ナンバーワンだと教えてくれました。
適当でも婚約者になれたかもしれません。
しかし、真剣に私の目を見て求婚してくださった王子様に誠実でありたかった。
あの素敵なボールドウィン様に相応しい女性でありたい。
その一心でおサルさんからの脱出を図ったのです。
「お嬢様ったら、可愛かったんですねえ」
「あら、今でも可愛いのよ」
アハハうふふと笑い合います。
「ボールドウィン殿下がアイリーンワールドと仰る、寸劇とか小話があるじゃないですか。あれには意味があるのですか?」
「笑いの絶えない家庭がいいねと、ボールドウィン様が仰ったものですから」
「やはり初めてお会いした時ですか?」
「そうよ」
「……お嬢様が純情乙女だと初めて知りました」
「淑女には秘密があるものですからね」
あら、ナナったらビックリしたような顔をしていますわ。
次にボールドウィン様と公爵領に遊びに行ったら、全てをお話ししましょう。
おサルさんからの変身と、今でも変わらずお慕い申し上げていることを。
純情令嬢は思い出の違和感の正体をお答えしません uribou @asobigokoro
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