第25話 強制徴収①


 理市が目を覚ましたのは、荒々しい振動のせいだった。

 ワゴンRがジャンプから着地したため、後部座席で横たわっていた彼は激しく揺さぶられ、身体のあちこちをぶつけてしまう。拘束はされていない。手足を自由に動かせた。


 理市は横たわったままシートにしがみつき、とりあえず状況把握に努める。

 黒井に敗北したことは覚えていた。完膚なきまでに打ちのめされ、地面に這いつくばったのだ。心のどこかに慢心があったのかもしれない。最上への復讐を果たせないままヤクザに殺されてたまるか、と思った。同じ失敗は二度としない。


 ただ、車を運転しているのはヤクザではなかった。十代後半の少女である。しかも、どこかで見覚えがあった。


「やっとお目覚めみたいね、犬飼理市」

「あれ、おまえは確か、奥多摩の森で会ったよな」三年ぶりとはいえ、理市は命の恩人を忘れてはいなかった。「一体なにがあった? ひょっとして、俺を助けてくれたのか?」


「うん、まぁ、そうでもあり、そうでもなし」ヒカルは苦笑した。「回復の速さからすると、私のあげた〈響き眼〉は理市の中でしっかり育っているみたいだね」

「ああ、おかげで命拾いをした」


 意識を失っていた僅かな時間内で、理市の身体は驚異的な回復力を見せていた。〈響き眼〉のポテンシャルによって、8ヵ所の骨折は接合し、3ヵ所の臓器損壊は完全に治癒している。


「クスクス、それは何よりね」

 ヒカルの運転は相変わらず乱暴である。一方通行を逆走したり、方向指示器を出さずに曲がったり、恐れ知らずの走りを見せていた。白バイに見つからなかったのは、ただ幸運だったにすぎない。


 数えきれない交通法規を破った上に、ヒカルはアクセルを目一杯踏み込んだ。

「ほらほら、いっくよーっ」

 行く手には、緑豊かな区民公園が広がっている。通用門まで回ってくる気はないらしい。スルスピードでフェンスに突っ込んでいき、あっさりなぎ倒してしまう。


 美少女の笑い声が弾ける。ワゴンRは芝生を蹴散らしながら、築山のゆるやかな斜面を駆け上っていく。あっという間に登り切り、大きくジャンプした。むずがゆい無重力をしばし味わってから、荒っぽくバウンドしながら突き進む。


 目の前に巨大なクスノキが現れた。樹齢百年にも及ぶ大木が壁のように立ちはだかっている。それがみるみる近づいてくる。このままいけば、間違いなく正面衝突だ。理市は助手席のシートにしがみつき、強い衝撃に備えた。


 ヒカルはここで初めて、ブレーキを踏み込んだ。ワゴンRはドリフトを見せて、急停車しようとする。勢い余って芝生の窪みにつんのめり、左側のタイヤを高々と上げて横転しそうになる。


「おおっとぉ!」

 ヒカルと理市は慌てて左側に体重をかけて、浮き上がった車体のバランスをとる。それで何とか横転はまぬがれて、無事停車を果たした。

「へへーっ、楽しかったねぇ」


 車外に出てみると、ワゴンRは傷だらけだった。銃撃戦をかいくぐってきたように、スクラップ同然の有様である。

「このクルマ、どうするんだ? 腕のいい修理工を紹介してやろうか」


「ああ、気にしないで。道端に置いてあったのを、ちょっと借りただけだからさ」

 天使か妖精のような顔をしているくせに、何とも酷い言い草である。どうやら、人間界の常識やモラルとは無縁らしい。


「改めて御挨拶。犬飼理市、随分ごぶさただったけど、元気そうで何よりね」とろけそうな笑顔でそう言った後、ヒカルは表情を一変させた。「けど、私はムカついている。ていうか、かなり怒っている。この恩知らずヤローめ」


 そういえば、求丸も夕べ、同じようなことを言っていた、と理市は思い出す。

「ああ、勝手に下山をしてすまなかった。申し訳なかったな。恩知らずと言われても仕方がねぇよ」

「それもあるけど、もっと怒っていることがある。というより、ああ、裏切られたなぁ、っていう感じ?」

 なぜ、疑問形なのかは不明だが、理市は言葉の続きを待つ。


「理市をコテンパンにのしちゃった男、確かにガタイはいいけど、普通の人間じゃない。あんなのに簡単にのされちゃうなんて、一体どういうわけ? せっかくあげた〈響き眼〉が宝の持ち腐れじゃないの」


 ヒカルは理市の胸に人差し指を突きつける。

「そんな体たらくじゃ、奴らの雑魚すら倒せない。せっかく助けてやったのに、とんだ期待外れよ。何の役にも立たないじゃない。ああ、言ってるうちに、だんだん腹が立ってきた」そう言って、地団駄じたんだを踏んでいる


「あのぉ、一つ質問があるんだが」理市は律儀に右手を上げてから、疑問点を口にする。「ヒカルには敵がいるのか? そいつを倒してほしくて、俺を蘇らせた。つまり、そういうことか?」

「ふん、人間の世界じゃ、ギブ・アンド・テイクっていうんでしょ」


 なるほど、そういう打算があったのか。天使なのか悪魔なのかはともかく、ヒカルは意外と俗物なのかもしれない。理市は妙に納得していた。



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