第81話 雨の降る日
ルドックス先生が亡くなった。
目を覚ましたら、難解な部分を聞いてみようとか、この間スクロールを駄目にしてしまった魔法の反省点を教えてもらおうとか、そんな夢みたいなことばかり考えていた。
本当はそんな日は来ないんだろうなって分かっていたんだけど。
先生の葬儀はしめやかに行われた。
身内はいなかったそうだけれど、先生に魔法を教わったというものが、老若男女問わず訪れた。
ちょうどクルーブが壊した壁から、先生のベッドまでみんなが土足ではいっていき、夜になる頃には部屋中が花で埋め尽くされていた。俺とクルーブ、それにイレインは、ずっとそれを見ていたけれど、途中で陛下まで来ていたのを確認している。
先生は本当に偉大な人だったんだ。
そんな人の晩年の時間を、あれほど長いこと貰えたことに、俺はただ感謝をしようと思っていた。
悲しくて、寂しくて、誰かが先生に何か語り掛ける度に涙があふれてきたけれど、少し時間をおいたら前向きに考えられるようにと、自分に言い聞かせた。
先生の部屋にあった資料やスクロール、そのほか魔法関連全てのものを、セラーズ家の空いている部屋に移動させた。大穴の空いたままの部屋に置いておくには、あまりに価値の高いものが多すぎるからだ。
泥棒が入ったところでどう使っていいかわからないような物ばかりだけれど、下手に魔法の知識があるものの手に渡っては悪用されかねない。
先生があらかじめ残していた遺言状の指示に従って、そういう運びになったわけである。
そしてなぜかクルーブが、そのすぐ隣の部屋に住み込むようになった。
食客のような扱いになるのだろうか。
相棒を失ったクルーブは、俺と同じですっかり本の虫になっている。
たまに先生との話をしたり、魔法理論のわからない部分について議論を交わしたりするのだが、基本的にはお互い静かにしているような感じだ。
先生の家にあったのは主に魔法関係の書物ではあったけれど、その蔵書には他にもさまざまなジャンルのものが含まれていた。
つまりまあ、イレインもそこに居座って本を読んでいるわけである。
すっかり現実逃避三人組だ。
しかし父上も母上も、今は何も注意してこない。
先生が亡くなってから一週間が過ぎたある雨の日、クルーブがボーっと外を見ながら口を開いた。
「……今更聞くんだけどさ、ルーサー君とイレインちゃんって、こっそりすごく仲がいい?」
「……なんでそう思うんです?」
「言い争いしてた時、下町の友人同士みたいだったから?」
素早くイレインと視線を交わす。
打ち合わせは済んでいた。
聞かれたら答えるつもりだったので素直に頷く。
「まぁ、普通に友人関係です。恋愛感情とかは一切ありません」
「そうですね。でもひとには吹聴しないでください。どちらの家の両親も、このことは知りませんので」
「ふぅん。じゃあ、あの時の話し方が君たちの普通ってこと? 貴族育ちなのに?」
「……ええ、まあ。でも理由は話せませんよ」
「……別にいいけどね、誰にだって秘密の一つや二つあるし」
しとしとと雨が降る。
今日は窓を開けられないな。
この季節は雨が降っても冷え込んだりはしないけれど、湿気は紙や皮の大敵だ。
ぱらり、ぱらりと、本をめくっていると、またクルーブが口を開く。
良くしゃべるようになったということは、ちょっと気持ちが浮き上がってきたってことかな。
「僕も秘密あるんだけどさぁ、聞く?」
「しゃべりたいのならどうぞ」
「……聞きたいって言いなよぉ」
「静かにしてもらえます?」
「イレインちゃんも僕に対してその感じで来るんだぁ……」
本から顔を上げると、クルーブが少し寂しそうな顔をしている。
仕方ないなぁ。
「教えてください」
「……うん。実はね、僕も貴族の生まれなんだよねぇ」
「……へぇ。じゃあなんで
まぁ、なんか、貴族っぽい顔立ちしてるっちゃしてるような気もする。
それに魔法が得意な人って貴族の血を引いてることが多いし、それほど驚くような事じゃなかった。
「嫌々聞かれたからこっから先は教えてあげない」
「……もう聞いてほしくなっても聞いてあげませんからね」
「いいよ、そんな気分になったら勝手に話すから」
「そうですか」
この世界は騒音が少ないから、雨が地面をたたく音も良く聞こえる。
規則的に、時に風に吹かれてリズムが変わるそれは、案外いい読書用のBGMになっていて集中できる。
すぐにまた本の中に意識を潜り込ませようとしたところで、三度クルーブが声を上げた。
一度に話してくれねぇかな。
「色々あってさぁ、先生に助けられたんだよ」
……そうか、それが言いたかったんだな、多分。
クルーブもきっと、気持ちの整理をしようとしているんだ。
「……そうですか。僕も……、ルドックス先生に助けられました。先生がいたから、魔法に憧れて、先生がいたから、父上や母上と仲直りできました。イレインと出会ったのも、クルーブさんに魔法を教われたのも、エヴァが生まれたことも、先生のお陰だったかもしれません」
「……そっか」
「はい、そうです」
イレインが本から顔を上げて、俺達を見ていた。
しばらく全員が本を広げたまま顔を上げ、雨の音を聞きながら黙り込んでいた。
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