第80話 休息
あんなことがあったからか、イレインもうちに泊まっていたらしい。
日のよく当たる部屋の床に座り込んだ俺とイレインは、エヴァが一人で遊んでいるのをぼんやりと眺めていた。
父上と母上は忙しいらしく、今日は俺達だけでお留守番だ。
屋敷で働いている人たちはいるんだけどね。
俺たちの元気のなさを察してか、遠巻きに見守ってくれている。
ありがたいよなぁ、大人の対応って。
日の光あったけぇ。
なんも考えたくねぇ。
エヴァはかわいいなぁ。
「……兄貴、生きてるかな」
「生きてるだろ。目的があって誘拐したんだから」
俺だって知りてぇよ。
そう返したいところを堪えて、望まれた返答をしてやると、イレインが少しだけ肩の力を抜いた。
サフサール君の心配はもちろんのこと、これからどうなるのかも不安で仕方がないだろうな。
あの厳しいウォーレン伯爵のことだから、サフサール君のことを見捨てて、イレインに当主を継げとか言いだしそうだ。俺が婿養子に行くことはないだろうから、きっとどこかの男を婿に取らされることになるのだろう。
……いや、この国には女伯爵で結婚してない前例があったから、必ずしもそうではないんだろうけれど。しかしあれは〈皆殺し平原〉なんて地名を作るくらいの規格外の存在だからこそできたことかもしれない。
ああ、ルドックス先生の体調はどうなんだろうな。
朝起きてから俺が知らされたことは、父上と母上が忙しくしてるということくらいのものだ。
その後の経過や先生の病状の情報は一切ない。
昨日は現場にいたから、そして保護者が
こんな考えも今日だけですでに何周したかわからず、結果俺は今、何も考えたくねぇって思ってるわけだけど。
だって考えてもなんもわかんなくてどんどん気持ちが落ち込んで行くだけだから。
ぼんやりとしていてふと気が付くと、目の前にエヴァの顔が迫っていた。
「にーちゃ、げんきない」
「……元気ですよ」
エヴァの顔がほんの少しだけくしゃっとなる。
俺の表情と言葉が裏腹であることをなんとなく察したのだろう。
妹を心配させる悪いお兄ちゃんだ。
さてどう取り繕おうかと思ったけれど、表情を明るくする元気もあまり出ない。
突然視界が真っ暗になった。
「にーちゃ、げんきして」
エヴァに抱きしめられた。というより顔にへばりつかれたような状況だ。
小さな手が乱暴に頭をなでるから、髪の毛が引っ張られてちょっと痛い。
でも不思議と引きはがそうという気にはならなかった。
しばらくそうしていると、流石に呼吸が苦しくなってきて、俺はもごもごとくぐもった声で「元気になりました」と言ってエヴァの背中を軽くたたいてやる。
離れたエヴァが「ふへへへ」と笑ったのを見たら、不思議と本当に少しだけ心が軽くなった気がして、俺も少しだけ笑ってしまった。
「……エヴァ、イレインにも同じことしてあげてください」
いたずら心でけしかけてみると、エヴァはイレインと俺を交互に見てから首を横に振った。
「イレインも元気ないですよ?」
「……いれいんは、にーちゃとるからや」
あー……、そうだな、イレインといる時ってあまりエヴァと遊んでやれないもんな。エヴァからするとそういう認識なのか。
「でも元気欲しいって言ってますよ?」
言ってないけど。
エヴァはうーうーとしばらく悩んでから、難しい顔をしたままイレインの元へ歩いて行って、腕をがばっと広げた。
「にーちゃがいうから」
「いえ、私は」
そういった矢先に座っているイレインの顔にエヴァが抱き着いた。
引きはがそうか迷っているのか、イレインの手は半端に浮いていて見た目にもひどく滑稽だ。
しばらくそうしていると、イレインの足がパタパタとし始める。
あ、これ普通に呼吸できなくて困ってるな。
「エヴァ、イレインも元気出たって言ってます」
エヴァがイレインの顔から離れて、すごく近い距離で問いかける。
「いれいん、げんきした?」
「……した」
「エヴァえらい?」
「すごくえらい」
エヴァはまた気の抜けた笑い声を漏らし、元遊んでいたおもちゃの方へ戻っていく。大方俺たち二人が深刻な表情をしなくなって満足したのだろう。
イレインはかなり呼吸が苦しかったのか頬を上気させている。
「どうだよ、元気したか?」
「……したって言ってんだろ。なんか乳くさいんだな、子供って」
「くさいとか言うな、いい匂いだろ」
「嫌なにおいとは言ってないだろ。……なんかわかんないけど、少しだけ安心した」
「そうかよ」
今できることがないのなら、ほんの少しだけゆっくりしていてもいいのかもしれない。
バタバタしたところで、多分父上たちの迷惑になるだけだ。
ああ、そうだ、本でも読もう。
同じようなことが起こることがあれば、その時こそもっと冷静に対処がしたい。
何もできない期間なんかじゃない。次の何かに備えて、ルドックス先生から預かった本の全てに目を通してしまうことにしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます