第16話 喧嘩の理由

 右にある書類の山が未処理のもの。

 左にある書類の山が処理済みのもの。

 その比重がかなり左に偏ったところで、父上がとうに冷め切った茶の入ったカップを手に取った。


 珍しくまだ明るい時間に帰ってきた父上と二人きりの執務室。

 夕食後2時間は黙ってお勉強していた俺は、今ここだろうと話を切り出した。


「父上、この間まで母上とあまりお話していなかったのはなぜですか?」


 ちなみに今日は母上は来ていない。

 この質問をするつもりであることを、あらかじめ伝えていたらなぜか来なかった。

 理由は父上の返答を聞いたら分かるんじゃないかと思っている。


 父上は一度動きを止めてから、冷静にカップをソーサーの上に下ろす。

 そして咳ばらいをして、背筋を伸ばし、厳めしい顔をした。


「ルーサー、今日はそろそろ寝たほうがいいんじゃないのか。またアイリスやミーシャが心配するぞ」

「母上には了承を得ていますし、ミーシャは部屋の外で待機しています」


 答えづらいことなんだというのはわかったのだが、うまくごまかして教えてもらえない物だろうか。普通4歳の子供なんて大した理解力もないから、どうせ大きくなった頃には忘れてるぞ。警戒しすぎじゃなかろうか。

 まぁ、面白い話だったら俺は憶えてるけど。


「あー……。そういうのはアイリスに聞きなさい。私が忙しく仕事をしているのはわかるだろう?」

「わかりました。父上がそうおっしゃるのなら母上に聞きます。母上は父上に聞くように言ってましたけれど、仕事がお忙しいのなら……」

「私が話す」

「はい」


 うん、父上は母上のこと大好きだもんね。

 最近なんとなくわかってきたよ。あの可憐な母上の好感度さげたくないもんね。


「……いや、しかしな」

「母上に聞いたほうがいいですか?」

「あれはお前が数度気絶を繰り返したときだった」


 母上カードが強すぎて、父上の操作が簡単。

 大丈夫かな、他の貴族とかに利用されないように気を付けてほしい。


「原因は魔力の枯渇によるものと分かったのだが、肝心の理由がわからない。まさか赤子が苦痛を伴う魔法の鍛錬をするわけもないからな。だとすれば考えられるのは病だ。それを治すために手を尽くしてみたけれど、病の原因を知っている者はいなかった。お前が気絶している間に信用のある医者や魔法使いに見せたこともあったんだぞ」

「……知りませんでした」


 マジで知らなかった。そんなに大ごとになっていると知ったら、俺だってもっと早く事態に気が付いていたはずだ。どうして起きている間に会わせなかったんだ。それですべてが解決していた可能性があるぞ。


「結果は芳しくなかった。……私は悩み考えた。お前をセラーズ家の後継者として育てるのはあまりに酷ではないかとな。そして、お前にそんな重荷を背負わせるくらいならば、早いうちにもう一人子をなしておいた方がいいのではないかとアイリスに提案したのだ」


 俺も子供じゃないから、言っていることは理解できる。だから自分が愛されてないとも思わないけれど、本当の4歳児だったら悩むんじゃねぇのかな。

 だってこれ廃嫡の話でしょ?


 もうちょっと言葉はオブラートに包もうね、父上。

 もしかしてそういうところで、他の貴族から反感買ってるんじゃないかって俺は心配だよ。


「そうしたら、アイリスが頬を膨らませて怒ってな。何も言わずに寝室から出て行ってしまった」


 寝室からとか言わないでもらえませんか。

 俺は4歳児だからわからないことになってるけど、生々しいからさ。

 

 っていうか母上、怒ってくれたんだ。

 まあ俺、別に廃嫡でも良かったけど。というかむしろ早めにそうなれるのならその方が良かったかもだけど。そうなったら多分悪役ルートが回避されるような気がするし……。

 でも母上がそんなに一生懸命になって守ろうとしてくれた地位なら、真面目に後継者としての勉強でもしようかな……。期待裏切りたくないし……。


「自分が何とかするから待ってほしいとわざわざ使用人づてに伝えられた。なんとか話し合いの機会を設けようとしたのだが、お前がいる前でするような話でもなし。私の仕事は忙しくなる一方な上、アイリスからは二人での話し合いを避けられていた」


 父上もしかしてちょっとへたれなのか?

 ずるずる数年は長すぎるよ。母上がちゃんと父上のこと好きじゃなかったら離婚してるところです。貴族にそんな制度があるのか知らないけど、俺の知ってる物語では、婚約破棄とか流行ってたよ。


 今思うと婚約破棄が流行る世界って嫌だな。

 俺は純愛が好きです。


「関係の修復をする機会がないままずるずると数年もたってしまってな。その間に体はどんどん醜くなっていくし、アイリスは鋭い目つきで私のことを睨むようになった。どうにも切り出せずにいたところを、先日お前が何とかしてくれたというわけだ」


 父上と母上はこの間から何度も話を重ねているようで、今はもう互いの事情をちゃんと理解している。今では母上が、ただ俺のことや父上のことをよく見るために目を細めていたことがわかっている。

 そう思うと目つきの悪さもちょっとかわいく見えてくるから不思議だ。

 多分父上もそう思っている。


 目の話を知ったとき、父上は迷うことなく治癒魔法使いを呼ぶと言い放ち、それを母上に止められた。

 母上は、俺が治してくれるのを待つと決めたんだそうだ。


 母上の目が悪いのは、俺の病の症状を調べるため、日夜それらしい文献を読み漁りまくったせいだ。それでも病の原因は見つからなかった。調べれば調べるほど、魔力枯渇の症状でしかなく、突然そうなってしまう病などどこにも前例がなかったそうだ。


 当たり前だ、病ではなかったのだから。


 父上に啖呵を切った手前、何の成果も得られなかった母上は苦しかっただろう。この2年間、どんな思いで過ごしてきたのかを想像すると胸が苦しくなる。

 愛する夫と分かり合えず、愛する息子の病の状態は優れず、目には少しずつ霞がかかっていく。


 俺、ちょっと泣きそうになったよ。いろんな意味で。


 だってすべての元凶は俺だもの。


 後悔でベッドをのたうち回りたくなったのはこれが生まれて初めてだった。


 だから俺としては、父上と母上には存分にラブラブしてもらいたいという願望がある。

 2人で寝室にいた話とかされるとちょっと恥ずかしいけれど、俺のせいで過ごせなかった蜜月の期間を取り戻してほしいという気持ちはある。二人が望むのならば弟でも妹でもたくさん作ってくれたらいいと思っている。


 そして健康に長生きして、老後まで二人で幸せに過ごしてもらうためにも、父上にはきちんとダイエットをしてもらう必要がある。


「なるほど、父上。では今度から僕と一緒にいっぱい運動をしましょう」

「……子供には難しい話だったか」


 天井を仰いで呟く父上。

 いいえ、全部ちゃんと理解してますよ。

 俺の両親が不器用で愛すべき人たちだということもね。


「そうだな、では日が出ているうちに家にいられる日には、ルーサーと運動をすることにするか。……アイリスが許可を出したらな」

「はい! わかりました!」


 父上、母上のこと好きだねぇ。


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