第4話 中庭の母上
母上との約束だから外には出れないが、屋敷の中をうろつく分には制限がない。
さすがに父上の執務室の中に入ろうとするとミーシャに止められてしまうけれど、それ以外の場所なら黙ってついてきてくれる。
しかし俺は、ルドックス先生が来ない日は、朝早くから書庫にこもることに決めている。その理由は意味もなく屋敷をうろついていると、母上との遭遇率が異様に高いからだ。
母上は俺の姿を見ると、遠くからじっと観察してきたり、すれ違う時に外に出ないように注意してきたりする。実は母上って暇だったりするのだろうか。いくら屋敷内しかうろつかないとはいえ、そうでもないと説明がつかないくらいよく出会ってしまうのだ。
ちなみに母上は書庫の窓から見える中庭で、お茶を飲んだり花を愛でたりしていることが多い。幾度か顔をのぞかせてみたことがあるのだけれど、二回に一回は目が合うので、途中からちょっと怖くなって覗くのをやめた。
被害妄想じゃなければ、俺の行動は母上に完全に監視されている。
よくよく思い返してみれば、俺がこの書庫にこもるようになるまでは、母上は別のところでお茶の時間を過ごしていたように思う。
とりあえず書庫へと足を運んだ俺は、数冊の本を手元に持ってきてパラパラとめくる。昨日ルドックス先生に教わったあたりの復習をするつもりだったのだけれど、なんとなく文字が頭に入ってこない
しばらくの間ページをめくっては戻すことを繰り返して、集中できないことを悟った俺は、小さくため息をついて本を閉じた。背中側にある窓を見ようと体をひねると、途中でミーシャと目が合った。
椅子に座って編み物をしていたはずなのに、その手を休めて俺のことを見ていたようだ。
「今日はいい天気ですね」
窓を見ながら、話題がないときに話す典型的なフレーズを口にするミーシャ。
しかしこれは気まずさから発せられた言葉ではないのだろう。おそらく、俺が窓の外を気にしていることを知って、そちらへ歩み寄っても不思議ではない理由を作ってくれたのだ。
俺は椅子を引いて立ち上がると、二歩歩いてミーシャの前に止まる。
「ほら、雲一つないですよ」
「……そうだね、ほんとにいい天気だ」
ミーシャの言葉に背中を押されながら、俺は窓際まで歩いて空を見上げず、中庭を見下ろす。
すると案の定そこには母上がいて、飲むわけでもないティーカップを片手に、ぼんやりと花壇を見つめていた。
そこに母上がいることだけ確認して戻った俺は、椅子を少し引きずってミーシャの前に座る。
「母上は……、どんな人なんだろう」
「…………ルーサー様、今日はとてもいい陽気ですね」
「うん、まぁ」
話をはぐらかされてしまった。
父上が家にいないことも多いから、実質この屋敷の主は母上みたいなところがある。正直な感想は言いづらいのだろうか。
「暖かで、天気が崩れる様子もありません。外でお茶をするのにはピッタリじゃないでしょうか」
……違う、これは俺に、直接母上と話した方がいいだろうと言っているのだ。
それもミーシャに提案されてではなくて、自分の意思で行くように勧められているのだろう。
「……ミーシャ、中庭は外のうちに入ると思う?」
「いいえ、思いません。もし怒られたとしたら、それは私の判断が悪かったということです」
「やめてよ、僕のすることはちゃんと僕が責任を取るよ。ミーシャ、中庭に案内してくれる?」
「ええ、喜んで!」
ミーシャは待ってましたと言わんばかりに、さっと手に持っていた道具を全てエプロンのポケットに仕舞い込む。そうしてすぐに立ち上がって、俺の前を歩きだした。
中庭が近づくにつれて、胸の鼓動が早くなるのが自分でもわかった。実の母親の元へ行くだけなのに、どうやら俺はひどく緊張しているらしい。
中庭へ向かう扉を開けると、ほんの少しだけ冷たい風が頬を撫でて、草花の香りが鼻に飛び込んでくる。
普段は二階の窓から外を眺めることが多いので、実に新鮮な気分だった。
二階にある書庫の窓を見上げていた母上は、扉が開いたことに気が付き振り返る。そして俺の姿を見ると、いつものようにきゅっと眉間に皺を寄せた。
ここに来るまでの間に覚悟を決めていた俺は、母上の機先を制す。
「母上、お茶をご一緒させていただいてもよろしいですか?」
俺が問いかけると、母上の表情がぽかんとしたものに変わる。
眉間の皺が取れて、いつも以上に幼い表情になった母上は、何か言おうとして開いた口をとじて、視線をさまよわせながら両手の指をすり合わせて答えた。
「え、ええ、いいわよ。……でも、もう少し温かい格好をなさい、この時期の風はまだ冷たいことがあるわ。ミーシャ、この子の上着を取ってきてあげて」
「承知いたしました、奥様」
一礼して屋敷の中へ戻っていくミーシャを見送ってから、母上は空いた椅子のうち、少しだけ背の低い物を示しながら言う。
「ルーサー、あなたはこっちの椅子に座りなさい」
「はい、母上」
俺が座るにはまだ背が高いけれど、座れないほどでもない。
椅子に腰かけると、母上についているメイドが、俺の足元に足置きを滑り込ませた。何とも準備のいいことである。プラプラとしていた足にぴったり収まりがついてしまった。
「ルーサー、体の調子はどう? 寒くないかしら?」
「今はそれほど。今日は、ほら、天気がいいですから」
先ほど自分で話題がないときに話す典型と思った天気の話をしてしまっている。だって何から話したらいいのかわからないのだから仕方がないじゃないか。
そんなことを考えていると、母上の表情がまたきゅっと険しくなってしまった。
何がいけなかったんだろう。気まずいから早く戻ってきてくれ、ミーシャ!
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