第3話 ガン見されてる……
夕食に呼ばれるまでたっぷりと話して分かったことは、ミーシャが意外と普通の女の子であるということだった。こちらの世界と元の世界での価値観の相違はあるけれど、ちゃんと恋物語が好きで、メイド仲間の子たちとはかっこいい人の情報交換もしているのだとか。
将来の夢は立派ではなくてもいいから、優しくて安定感のある人と結婚すること。
できれば顔も好みだったらなおいいとのことだ。
父上は俺の記憶通り、当時はたいそうなイケメンだったらしく、メイドたちも現状を嘆いているらしい。父上にあこがれてメイドになった子もいるそうで、モチベ維持にもかかわるので何とかならないだろうか、というニュアンスのことまで言われてしまった。
そして今、長いテーブルで母上と向き合って夕食を食べている。
父上は今日も忙しいらしく、まだ屋敷に帰ってきていない。父上のことを嫌いでないと認識してしまったせいで、あの巨体が見られないことがほんの少しだけ寂しく思ってしまう。
いても怖い顔をしてばかりであまり話をするわけでもないのに、気の持ちようという奴なんだろう。
食事をしながらちらりと視線を上げて母上を見ると、ばっちり目が合ってしまう。
偶然だろうか。それとも母上もミーシャと同じように、今日の俺に何か違和感を覚えたのだろうか。
もう一度こっそりと視線を上げると、またもしっかりと目が合った。
母上も俺を見て眉を顰めることが多いので、歩いたり会話できるようになってからは、あまり目を合わせないようにしていた。気づかなかっただけで、もしかしていつもこんなにガン見されていたんだろうか。
普通に食事を口に運んでいるのに、目だけがしっかりこっちを見ているのでちょっと怖い。
母上はどちらかというと小柄で、目が大きく、若々しく見える。光の加減によって見え方の変わる金色の長い髪と、深い緑色の瞳をしていて、黙っているとまるで人形のようでもある。
しかし俺は、母上が優しく微笑む表情も知っている。
まだ俺が目を開いて間もない頃は、穏やかで優しい表情を見せてくれていた。
母上が俺を見るときは悲しそうにしているか、眉間に皺をよせるようになってしまったのはいつからだったろうか。
転生してきたせいで、感情の変化が表情で分かってしまう俺は、それ以来母上に積極的にかかわっていけなくなってしまった。自ら目を逸らすようになったのもその頃だったと思う。
目を伏せて食事を伏せて、三度視線を上げると、またも母上と目が合ってしまった。
しかも今度は両手に持ったナイフとフォークも置いて、ただ俺の方を見ている。
蛇に睨まれた蛙のように固まっていると、母上が口を開く。
「ルーサー、今日は調子が悪いのかしら?」
いつものように眉間に皺が寄っている。口調も少し硬く、怒っているようにも聞こえる。
「……いえ、元気です。ご心配をかけて申し訳ありません」
答えた瞬間、さらにきゅっと表情が険しくなった。
何か気に食わない返事でもしてしまったのかと目を伏せると、母上がため息を漏らす音が聞こえた。
「……食事をしっかりととって、早く休みなさい。いつも言っていますが、外へ出かけてはいけませんよ」
「……はい」
母上が席を立って歩く音がする。
コツコツと言う足音が遠ざかり、扉が開き閉じた音が聞こえ、俺は大きく息を吐いた。
なぜ食事の度にこんなに緊張しなくてはいけないのだろう。
母上も俺のことが嫌いなら、無理に一緒に食事をしなくてもいいのにと思う。
思考がネガティブなものに侵されそうになった時、先ほど父上の話をしているときにミーシャに尋ねられた『お嫌いですか?』という言葉が頭をよぎる。
嫌いじゃないんだよなぁ。
何をされたわけでもないし、穏やかな表情はいつまでも頭の中に残っている。
別れ際はいつも、今日みたいに口うるさいくらいに健康の心配をしてくるし、まったく嫌われているという感じはしないのだ。
一応血のつながった息子だから義務感で言っていると思ってしまうとそれまでなんだけど。
いくら本を読んで知識を頭に詰め込んでも、所詮俺はまだ4歳児だ。外へ勝手に出てはいけないと言われるのもわかる。
ただ、あまり毎回言われるものだから、まるで自分が世間から隠されているような気分になるのが、ちょっとだけ嫌なところだ。
考え事をしながら肉を切り分けていると、一口大よりもずいぶんと小さくしてしまった。
食べ物を粗末にしていいことなんかない。前世では米粒一つに七人の神様が宿っているなんて言われたくらいだ。転生してお金持ちの家に生まれたからといって、感性まで嫌な金持ちのようになる必要はないだろう。
フォークでいくつか肉を束ねて口へ運ぶ。
ゆっくりと咀嚼してすべて平らげて席を立つ。
子供の体ということを考えれば無理な節食をするわけにもいかないだろうから、意識できることはこれくらいだ。父上のように真ん丸な体になるわけにはいかない。
一緒に食卓に着いても父上は食事をするのが早いからなぁ……。忙しい人だから仕方ないけれど体に悪そうだ。
「ごちそうさま。今日もおいしかったです」
扉のすぐ近くに立っている、食事の準備全般をしてくれるシェフに声をかけると、にっこり笑顔で「ありがとうございます」と返される。
俺の小さな体では押し開くのに一苦労な扉を、シェフが片手で押さえて開けてくれるのもいつものことだ。
そこを通り抜けるときに、珍しくシェフから声をかけられる。
「しかしルーサー様、今日は何やら嫌いなものでもあったのでは?」
「いえ、すべて美味しくいただきましたけど……?」
「途中で手が止まっていたからもしやと思ったのですが……、お呼び止めして申し訳ありません」
この屋敷にいる人たちは、俺の些細な行動を本当によく見ている。
監視されているというより、見守られているというのが正しいのだろう。
昼間に続いて温かい気持ちになった俺は、ついシェフに尋ねてしまう。
「あの、僕って母上に嫌われるようなことをしているでしょうか?」
「嫌われる……? ルーサー様が、アイリス奥様にですか……?」
尋ねたことが全く理解できないとでもいうのか、シェフはぽかんとした顔で問い返してくる。
まずいことを聞いてしまったのだろうか。
「いえ、何でもないんです。変なことを聞いて……」
「確かに答えづらい質問ではありますが……。しかし私が何か答えるより、直接奥様とお話しされた方がいいと思いますよ」
それが怖いから聞いているんだけどなぁ。
「そうですよね、ごめんなさい」
廊下に出るとミーシャが待機している。
壁には等間隔で光石が設置されているが、足元は少し薄暗い。
同じく光石が入っているランタンを持ったミーシャに先導されて自室へ向かう。
しばらく黙って長い廊下を歩いていたが、ふいにミーシャが口を開いた。
「ルーサー様は奥様のことでも悩んでいるんですね」
「まぁ、うん」
いつもより気安い調子なのは、昼間にたくさん話をしたおかげだろう。嫌な気分ではないから構わないけど。
「ではクロックさんのおっしゃっていた通り、直接お話しされるんですか?」
クロックさんというのは先ほどのシェフの名前だ。あまり呼ぶ機会がないからとっさには出てこないけれど、知らないわけではない。しかしミーシャが名前を知っているということは、意外と使用人同士では連携が密にされているのかもしれない。
「直接話すのは、怖いなぁ」
俺自身もいつもより気を抜いてミーシャの問いに答える。
廊下にはコツコツと靴が床板にぶつかる音が響く。
もし自分が本当に4歳児だとしたら、光石に照らされ廊下に伸び縮みする影は、ひどく不気味に映ったかもしれない。
「なぜ怖いのでしょう?」
「なぜって、それは……」
当たり前のことをこたえようとして、俺は口をつぐんだ。
俺が母上に直接尋ねられない理由がとっさに思いつかなかったのがその理由の一つ。
そしてもう一つは、思いついたその理由を口にするのが恥ずかしかったからだ。しかし、小さなころのおむつの世話から、毎日の生活すべてを見られている相手に今更恥ずかしいもないだろう。
「……本当に嫌われてたら嫌だからかな」
俺は大人な精神のまま生活しているつもりだったけれど、いつの間にやらすっかり本当に4歳児の精神に引きずられているらしい。周りが子供として甘やかしてくれるから幼児退行しているのかもしれない。
何とも情けないけれど、今の俺の本音はどうやらそこにあるらしい。
父上にも母上にも好かれていたい。
家族で仲良く暮らしたい、寂しい。
「そうですね、でもきっと大丈夫ですよ」
あまりに情けない本音と直面している俺の心に、いつも通りの優しく甘いミーシャの言葉がすっと入り込んでくる。
そこには、情けないと思いながらも、またも甘やかしを享受している俺がいるのだった。
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