第3話 葵山
とても清々しい朝だった。寒くなく暑くもないが、どちらかと言えばひんやりしていて、空気は冷たいわけではなく、澄んでいる感じがした。空は一面が青一色ではなく、ところどころに雲が広がっていた。しかし、見上げれば直視できないほどの朝日が雲を透かして差し込み、なんとも表し難い心地良い明るさだった。
こんな日は、つい歩くペースが遅くなる。なんだか五感が研ぎ澄まされる。遠くの景色をぼんやり眺めてみたり、風が木の葉を揺する音に耳を傾けてみたり、まるで芸術家にでもなったような気分になる。
そんな穏やかな朝は、突然に終わりを迎えた。
「お〜い!」
研ぎ澄まされた誠一の聴覚に、後ろから大きな音が飛び込んできた。
「……!?」
驚いて、肩をすくめながらおそるおそる振り返った。
すると、1人の男の子が大きくてを振りながら走ってきている。再び前を見てみるが、男の子の進行方向には自分以外は誰もいなかった。
それを確認してまた振り返ると、もう目の前まで来ていた。
「はやっ……!」
「はあ……はあ……はあ……! よ、よう! あっきー!」
膝に手をついて激しく息切れしている。どこから走ってきたのだろうと思った。
「あ、え〜っと〜……。僕に、ご用ですか……?」
「え? ああ、そっか! 初めましてか!」
まじかこの人という気持ちよりも、体格が良いという印象の方が強かった。呼吸が落ち着いて膝から手を離すと身長も高かった。誠一より少し高い竜翔よりも、もう少し高い気がした。
そうしてよく見ると、どことなく見覚えがある。
「俺は青凪駿! あっきーと同じクラス」
「あー、だからか」
ふわふわしていた記憶が綺麗に形になった。
「僕は……」
「淳月誠一! だろ?」
「あ、うん」
「いや〜、今日学校行ったら速攻話しかけようと思ってたらさ、偶然駅で見かけたから声かけようと思って。でも定期探したりなんだりもたついてたらすっかり離されちゃって」
「そうなんだ」
「ごめんな。驚かせて」
「ううん」
駿は誠一とは違うタイプの人だった。しかし、不意義とこのテンションと勢いが嫌ではなかった。
「ていうか、なんで僕のこと」
「それなんだけど、実は昨日さ〜」
駿は今に至った経緯を説明した。
──昨日の放課後
部活を終えた竜翔は部室の鍵を返しに行っていた。
「失礼しました」
「はい、お疲れ様です。気をつけてね」
「ありがとうございます」
鍵を受け取った男性の先生に頭を下げた。
「にしても誠一のやつ、にやにやにやにやするばっかりで、なんで詳しく話してくれないんだよ。上手くいったのは良かったけど、結局普通に誘ったとか言ってたし」
門までの道中、誠一への不満が溢れていた。
「幸せを独り占めしやがって」
そして単純に羨ましかった。
「恋か〜……」
そう上を向いて歩いていると、何かにぶつかって後ずさった。
「いてっ……。あ、ごめんなさい」
男の子の背中にぶつかったようだった。
「ああ全然全然。……あれ?」
その男の子は眉間にしわを寄せながら顔をまじまじと見つめてきた。
「ん……?」
「あ! やっぱりそうだ! 同じクラスだよな!?」
「え?」
そう言われて竜翔も男の子をよく見てみた。
「あ……、あ〜……、はいはい。
「そうそう! うわ〜、なんかめっちゃ爽やかな人いるなって、いつか話しかけようと思ってたんだよ〜!」
「話しかけてくれてよかったのに。ていうか、俺もめっちゃがたい良い人いるなと思ってた」
というわけで意気投合した。
「俺は青凪駿! 陸上部!」
「俺は水崎竜翔。サッカー部」
「おお〜……。名前も部活も爽やかだな……」
「なんだよそれ」
竜翔はくすっと笑った。
──現在
学校へ歩きながらその話を聞いた。
「で、あっきーのことを聞いたってわけ」
「なるほど。でも、よく分かったね」
「たっちゃんとあっきー仲良しだろ? 爽やか君のお友達ってことで顔は覚えてた」
「そうなんだ」
つい笑ってしまった。
「俺さ、同じ部活の人とか中等部の頃の友達とかみんなクラス離れてて」
「それは寂しいね」
「そうなんだよ〜。だから、2人に話しかけようか、でも俺が入って邪魔にならないか、とか考えてて」
「話しかけてくれて良かったのに」
「たっちゃんにも同じこと言われた」
さすがは仲良しと思い笑いが出た。
「でもさすがに難易度高かったわ。でもきっかけができて助かった。あの時連絡してきた母さんに感謝だな」
駿はあの時、母親に連絡を返していて立ち止まっていた。
そんな話をしていると、朝練をしている部活動の声が聞こえてきた。
「おお〜、やってんね〜」
「青凪君は今日は休みなんだ」
「そうそう。……ねね、あっきー」
駿は顔の前で小刻みに手招きをした。
「ん?」
「たっちゃん待ち伏せしてビビらせてやろーぜ」
「ええ??」
「よし、行くぞ……!」
小声でそう言ってから走り出した駿を追いかけた。戸惑いながらも、憧れの学生ノリという感じがしてわくわくした。
目立たないようにこそこそと移動し、グラウンド近くの木に隠れ竜翔を待った。
「何してんのあの人たち」
「知らな〜い」
後ろからの冷ややかな言葉は、誠一ににしか聞こえていなかった。本当に恥ずかしかった。
「あ、よし。そろそろ来るぞ」
それからしばらく待って、竜翔が歩いてきた。駿は勢いよく近づき、両肩を強く掴んで声をかけた。
「お疲れっ!!」
「……!? なんだ駿か……。おどかすなよ」
「え〜〜、もうちょいリアクションしてくんなきゃ〜。これはお蔵入りだな」
「はいはい失礼いたしました。……って、誠一もいるじゃん」
竜翔の表情に、駿はにこにこしていた。
それから3人は靴箱で上靴に履き替え、廊下を歩きながら竜翔は朝の出来事を聞いた。
「へ〜、偶然ってあるんだな」
「たっちゃん、それは俺が一番思ってるよ」
「そっか」
階段を3段ほど上ったところで、誠一がピタッと動きを止めた。
「あ〜……そうだった……」
2人もそれに気が付き足を止めた。
「どした誠一」
「画びょうでも踏んだんじゃね」
「ごめん、先に教室上がってて」
少し慌てた様子の誠一は2人を置いて、急いでどこかに走っていった。
向かった先は職員室だった。少し背伸びをして窓から中を覗いてみた。
「伊戸村先生、もう上がったかな」
しかし、伊都村先生の姿は見当たらなかった。
「淳月君?」
探している人の声が横から聞こえた、。
「あ、伊戸村先生。おはようございます」
「おはようございます。どうかしましたか?」
誠一は伊戸村先生と一緒に教室に上がった。
「すみません、手伝っていただいて。ありがとうございます」
「いえ、僕たちのノートですから」
「それで、話とはなんですか?」
「この前の件です」
「ああ、わざわざありがとうございます。ですが、教室で良かったですよ?」
「思い出した時に言わないとまた忘れてしまいそうだったので。遅くなってしまいすみませんでした」
「とんでもないです。急ぎではありませんでしたので。こちらこそ、お手数おかけして申し訳ありません」
「いえいえ……」
生徒と話す時にここまで丁寧な先生は伊戸村先生の他に知らなかった。
「おばあちゃんに聞いたら、大歓迎ですって言ってました」
「そうでしたか。では今度、お礼に伺わないとですね」
笑いかけられると少し恥ずかしくなった。そんな誠一には気が付くことなく、伊戸村先生は尋ねた。
「学校はどうですか?」
「……学校、ですか」
「こうして話せる機会はあまりないので、淳月君さえ良ければ聞かせてください」
「……楽しいですよ、とても。これからも楽しくなりそうです」
伊戸村先生は目を見開いてから、にこっと微笑んだ。
「それは良かったです。なぜだか私も嬉しくなりました」
「なんでですか」
誠一もつい赤らめた頬を緩ませた。
「あ、そうだ淳月君。男の子の3人組なんですけど、淳月君と水崎君と、あと1人はどちらかの近くの席の人で良いですか?」
「それはもう、先生の負担が少ないやり方で大丈夫です」
それを聞いて、伊戸村先生はふふっと笑った。
「遠慮しなくて良いですよ。淳月君には恩がありますから」
「でも大変ですよね。できる限り仲の良い人たちでグループを作るなんて」
「そんなことないですよ。初めは仲の良い人から段々といろんな人と仲良くなって欲しい、そんな私の勝手ですから」
「そうですか……」
伊戸村先生は本心でそう思っているようだった。
「不安があるとすれば、私の勘違ではないだろうかということだけです」
「勘違い?」
「はい。実はあまり関係ができていない仲だとしたら申し訳ないなと」
「そんなこと……」
「ですがまあ、それはそれでクラスの輪が広がるきっかけになると、ポジティブに考えます」
その優しい表情を見て、本当に素敵な先生だと素直にそう思った。
「ですから、遠慮しないでください」
その優しさをきちんと受け取ろうと思った。
「じゃあ、同じグループにして欲しい人が1人……」
名前を聞いた伊戸村先生は意外そうな顔をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます