50マイルの笑顔

クロノヒョウ

第1話



 第一印象は笑顔が素敵な人、だった。


 いつも笑っている彼はキラキラと輝いていて眩しかった。


 人懐っこくて明るくて、私はすぐに恋に落ちた。


 恋人同士になっても彼は変わらなかった。


 彼の笑顔に何度救われたことか。


 疲れていても嫌なことがあっても彼の笑顔を見ると私まで楽しくなっていた。


 幸せだった。


 人を愛すること愛されることの喜びを知った。


 なのに彼は私をおいて遠くに逝ってしまった。


 彼を失ってからの私の心は空っぽで何をやっても心から笑えることはなかった。


「ねえ美春、ちょっと会ってほしい人がいるんだけど」


「えっ、いや、いいよ私は」


 職場の同僚である恵理はいつも私に気をつかってくれる。


「あのさ、もう彼が亡くなってから三年だよ? 美春もいい加減前に進みなよ」


「三年……」


「そう! もうすぐ私たち二十代も終わるんだよ? あんたまさかこのままずっと結婚もしないでいるつもり? ずっとひとりでそうやってうじうじうじうじしてんの? それじゃ亡くなった彼も成仏できないよ」


「でも……」


「でもじゃない! とにかく今日は絶対付き合ってもらうから。彼の友達なんだけどさ、すごく明るくていい人なのよ。付き合うとかいろいろ考えなくていいからさ、とりあえず会ってみてよ」


「……う、ん」


 彼を失ってからもう三年も経っていたのか。


 私は何をやっていたのだろう。


 家と職場の往復だけ。


 思い出せるのはそれだけだった。


 いつも誘いをことわっていた恵理に申し訳ない気持ちもあった。


 懲りずによく誘い続けてくれた恵理。


 最近できたと言っていた新しい彼に頼まれたのかもしれない。


 恵理のためにも顔だけだそうと思い訪れた居酒屋で、私は少しだけ胸がドキドキしていた。


「はじめまして、菊池です」


「あ、えっと……」


「彼女が美春だよ。菊池さんよろしくね」


「美春ちゃん、よろしく」


「よろしくお願いします」


 菊池さんの笑顔が優しかった。


 食事をしながら恵理と恵理の彼と菊池さんの三人が話している姿を眺めていた。


 菊池さんはずっと笑顔のままだった。


「えっ! ちょっと美春!?」


「なに?」


 しばらく経って恵理が私を見て驚いた顔をしていた。


「おっと、大丈夫?」


 菊池さんにも顔を覗き込まれて気がついた。


 私は泣いていた。


「ちょっと俺、美春ちゃん送ってくるわ」


「あ、うん、菊池さんよろしく」


 私は菊池さんに連れられお店を出た。


 涙を拭きながら菊池さんに手をひかれ歩く夜の繁華街。


 そういえば夜の街を歩くのも職場の忘年会ぶりだなんてことを考えていた。


 彼とは毎日のようにいろいろなところで飲み歩いていたっけ。


 こうやって人と並んで歩くのも久しぶりだ。


 私は少し前を歩く菊池さんを見上げた。


 彼と同じくらいの背格好だ。


「ちょっと休憩」


 菊池さんが振り向いて笑顔でそう言った。


 気づくと繁華街を抜けた先の波止場まで来ていた。


 菊池さんが自販機で缶コーヒーを買ってくれて二人でベンチに座った。


「いただきます」


「どうぞ。あ、もしかしてまだ食べたりなかった?」


「えっ? いや、大丈夫です、ふふ」


 思わぬ言葉に思わず笑っていた。


「そっかよかった。慌てて連れ出しちゃったからさ」


「すみませんでした。菊池さんがまだ飲みたりなかったんじゃ?」


「俺? まあ、でも最近太ってきたから痩せないとな。ちょうどいいよ」


「そんな、太ってないですよ」


「50マイル」


「えっ?」


「体重、50マイルだよ」


「マイルって」


「なんか格好よく聞こえない? 俺の体重50マイル」


「意味わかんない、あはっ」


「はは、よかった。ちゃんと笑えるじゃん」


「えっ」


「恵理ちゃんに聞いてたからさ、美春ちゃんのこと。前はよく笑ってたって」


「あ……はい」


「初対面の俺が言うのもなんだけどさ、笑っても楽しんでもいいんじゃない? それで彼のことを忘れるわけじゃないし。彼に申し訳ないって気持ちもあるのかもしれないけれど、彼はよく笑う人だったんでしょ? 美春ちゃんが逆に泣いてちゃ彼もがっかりするよ。たぶん」


「はい……」


「うわっ、ごめん、何も知らない俺がこんなこと。つい」


「いえ、大丈夫です」


「俺いつもやっちゃうんだよな。だからお節介ヤロウって言われるんだよ」


「ふふ」


「あ、今その通りって思った?」


「はい」


「うわっ、やっぱりか~」


「でも……そのお節介に救われる人もいると思います。今の私みたいに」


「本当に!?」


「はい」


「よかったぁ」


 ほっと胸を撫で下ろし笑う菊池さん。


 笑顔って不思議。


 笑顔には人をあたたかくする何かがある。


 それを知っていて彼はいつも笑っていてくれたのかもしれない。


 だって彼の笑顔も、この菊池さんの笑顔も、こんなにも私の心をあたたかくしてくれたのだから。


「50マイルの笑顔」


「えっ?」


「じゃあ菊池さんの笑顔は50マイルの笑顔ですね」


「はは、そうだね。俺の体重、50マイルの笑顔。これ格好いいな。よし! 今度からそう言おう!」


「あははっ」


「ははっ」


 50マイルの笑顔は意図も簡単に私の心を満たしてくれた。



             完





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