03 燕の伝言
燕特有の甲高い声と共に、大広間に一羽の燕が飛び込んで来る。
「ガエターノ! あんたも無事で良かった。ってことは旦那も無事だね?」
ウンウン、と彼女の手の甲に舞い降りて頷き、尻尾をくるくると二回回す。
「あと二時間で帰る、ね。街道はどうだった? ファルコに知らせてやりな。それと……」
大広間に続々と騎士達が集まってくる。
「………ガエターノ、あんたってアルティス王国には行ったことある?」
燕のガエターノが自信たっぷりに胸を膨らませる。
「子供が産まれて落ち着いたら一度は行かなきゃね、みたいな話はしてたんだけどさ、オルフェーヴルは実家も王家も苦手って言ってたけど……」
窓の方から古書店店主のラムダ卿の声がする。
「流石はうちの店員だな。もうこれだけかき集めてくれたのか!」
見ると、カラス達が大小様々な地図をせっせと窓から机へと運び込んでいる。それを横目で見て、アンジェリカがガエターノにそっと囁いた。
「………そうなんだ、帝国が何かしでかすとしたら危ないのは隣国のアルティス王国、で、その次にうちの国だ。あの王国の様子を見てきて欲しい。あんたは速いからね、危なかったらすぐに逃げてくるんだよ」
何度も何度も頷いてから、矢のようにガエターノが飛び立っていく。ふう、と息を大きく吐くと、第一席のローエンヘルム卿がそんな身重の彼女を大きな椅子に座らせる。
「お前さんに何かあったらあの世のジャコモ卿に死ぬほど怒鳴られるでな」
「………孫の顔を見せてやりたかったよ。こんな時に言う話じゃないけど」
「いいや。おぬしが城にいたおかげで初動が速くて助かっておる。希望ある話の一つや二つ、許されて然るべきじゃな」
女王陛下とアンジェリカの命令を受けた侍女達が城のカーテンを総出で外しては担架を作り上げ、騎士達がそれを担いで城下町へと出動していく。中庭では従者やコック達が城中のシーツを切りあげて包帯などを作り上げている。
「腕の良い外科医には心当たりがあってな」
「第一席には叶わないねえ」
「そろそろ楽隠居してこの席もおぬしらに譲ろうか、とティーゼルノットのやつと話していたというのにこの騒ぎ。どう思う?」
何時もならのんびりと煙が燻っているはずのローエンヘルム卿のパイプに火が入っていない。
「嫌な予感しかしないね。さっきからずっと、奇妙な風が吹いてる。それも、東から西に向かって、ずっと。何かとんでもないやつが来る、そんな予感だ」
「流石は『風の魔法使い』」
「………ずっと持て余してた力だよ。剣と一緒に発揮することを覚えてなかったら、きっと私は何者にもなれなかった」
アンジェリカが再度大きく息を吐き、孤児として生まれ育った昔日を思い出すかのように目を閉じる。
「あのファルコとてそうじゃったな。魔法使いとは難しいものか」
「………ああ。なんだろうね。私とファルコとゴードンは恵まれてる。何て言うか、狂気に近いんだ、魔法って。勝手にどんどん飲まされる強すぎるお酒にも似てる。人によって違うだろうし、ゴードンみたいに一子相伝できちんと使いこなす奴もいる。けれど、誰かが近くで支えていてくれないと、どんどん淵に飲まれちまう、本質的には、そういうやつだよ」
「なるほど」
アンジェリカが目を閉じて、息を吐きだしながら言った。
「ここは、この国は、私達を生かしてくれた、何よりも大事な場所だ。そう、ここを守ることは、私達が生きる意味と、同じようなものさ」
「父上! ご無事で何よりです」
中庭に車椅子でやってきたクロード医師のところに、父親のティーゼルノット卿がやってくる。
「よし、よく来たな。早速手伝って貰うぞ。お前の医院の壁に怪我人は城に来い、と張り出しておいた。存分に働いてくれ」
「ロッテ、ミーンフィールド卿とテオドールは?」
『今から行くところよ。連絡することは?』
「あの卿のことだ、大体のことはなんとかなるじゃろう」
『人手は足りてる? 町医者達には連絡を回したから随時来てくれるけど』
中庭には既に怪我人が溢れかえっている。
「あの卿の忠告を受けて確認したが、やはり城に三つある井戸の全ての水が銀色に染まっておった。しかし、先代の頃に作った水源地から直接引いた小さな水路だけが生きている。水もありったけ運ばせてある」
「僕達も手伝おう」
後ろから早足でやってきたのは、背中に琴を括りつけた青年と、黒髪の異国の姫君だった。見ると姫君はその長い髪をひとつにまとめ上げ、動きやすいように装束の腕を襷掛けしているが、滲み出る威厳は隠しようもない。思わず、かつて騎士近習だった頃の様に深々と礼をしようとするクロード医師を止めて、入江姫は言う。
「そういった礼儀は無用じゃ。気にせずとも良い。医師殿、わかりやすいよう指示をくりゃれ。我の名前は入江。かつては一国の姫、今はこの城に助けられて住んでいる身じゃ。宿を借りておるのにこのような有事、見てるだけでは礼儀が立たぬ。何でもやってみせようぞ」
「僕は入江姫の付人の吟遊詩人、ベルモンテと申します。あなたの息子のテオドール君とも、その師匠のミーンフィールド卿とも面識があります。如何様にでもお使いください」
テオドールそっくりの真っ赤な髪が揺れる。
「そなたはあの童の父御か」
入江姫が微笑んだ。
「見所のある童じゃ。橘中将と共にここに向かっているときいて安堵しておる。さあ、指示を。我はかつて故郷を喪ったが、ここはまだ生きておるゆえに」
クロード医師が大きく息を吐く。
「……鳥達が器具を届けてくれる。だが先程の地震で全部床に落として汚れてしまった。一度熱湯で茹でてそこの台に並べて欲しい。厨房から器具は借りている。使えるだろうか」
「わかりました。入江姫、これをこう持つんだ」
ベルモンテが調理器具の持ち方を手に取って教えると、入江姫が素早く頷いた。
「相分かった。どんどん持ってくると良い。我の姿は目立つ故、鳥達もわかりやすかろう」
「ベルモンテ君、医療の心得は」
「多少の怪我なら自分で治していました。ひとり旅が長かったので」
「家具の倒壊の巻き添えの骨折者が多い。ゆえに添え木が足りないが、冬用の薪を貰ってきた。包帯や大きめの布は向こうにある。やり方はわかるかね」
「もちろん。すぐに処置します」
急ぎ足で二人が去っていく。それを見送り、ふとクロード医師がロッテにぽつりと言う。
「あの子は………思いの外、上手くやっているのだな。賓客の姫君や吟遊詩人にまで、名を知られているとは、思ってもいなかった」
ロッテが答える。
『お父様がテオドールをゴードンさん…そう、ミーンフィールド卿のところへ送り出してくれたのね。彼は厳しい師匠だけれど、私が知っている限り、誰よりも信頼できる人よ』
その言葉に呼応するかのように、微かに中庭の緑が揺れる。
『………けれど、彼も、テオドールが来てくれたおかげでとても助かっているわ。人間は鳥と違って、一人で生きていくのがとても難しい生き物だって、私のご主人様も言っていたもの。彼を知る人は皆、ミーンフィールド卿の元に素敵な近習が来てくれたことを、とても感謝しているはず。……お父様、あなたのご子息は、本当に信頼できる子よ』
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