03 女王陛下の剣

 政務の合間に入江姫の部屋で昼食を取りに来るようになった女王陛下の後ろから、臨月らしく大きなお腹を抱えた、短く刈り込まれた金髪が特徴的な女性が入ってくる。

「へえ、何だか雰囲気の良い部屋だねえ。すごく落ち着くよ」

「そうでしょう。あなたにも、私の城一番のレディを紹介しておきたくて。入江姫にも、私の大親友を紹介したかったの」

 ベルモンテが少し後ろに下がり、そっと合図を送ってから御簾の代わりのカーテンを上げる。

「遠い島からようこそ、カールベルクへ。私はこの国の第三席の騎士アンジェリカ。人呼んで『風の魔法使い』にして『女王陛下の剣』と言いたいところだけれど、今は少しお休み中なんだ。入江姫、話は聞いたよ。色々苦労したと思うけど、ここで気がゆくまでゆっくり休んでいきな」

 くだけた口調の、よく日に焼けた美しい肌に金髪の女騎士が、大きく膨らんだお腹をさすりながら陽気に笑う。

「第三席ということは、あの橘中将よりもそなたは強いのか。そして『風の魔法使い』とは如何様なものかや?」

 入江姫が目を丸くする。アンジェリカが笑う。

「ふふ、つまり、ゴードンとファルコをまとめて空の彼方まで吹っ飛ばせるのはこの国でも私だけってことさ! 風と語り合い、力を分けて貰う魔法使いがこの私。何かあったらすぐに言うんだよ」

「そんなことを言うから、旦那様のオルフェーブルがいつも苦労しているのよ?」

 入江姫の隣に腰を下ろし、侍女が持ってきた軽めの昼食を膝の上に置いて、女王陛下が笑う。

「疾風の如き女大将殿、か。この国には我には想像もしていなかった者達が本当に数多居るようじゃ。大将殿、もうすぐ御子が産まれるようじゃが……」

「私は頑丈に出来てるからね。今日は天気も良かったし、散歩がてらこうして城に来たんだ。お姫様にも会ってみたかったしね! 騎士たるもの、美しい貴婦人には礼を尽くさなきゃ。今はこのお腹のせいでお辞儀だってできないけど」

「否、国一番の大将殿がこうして来てくれるとは、光栄の至りじゃ」

「はは! ありがとう。そんなかしこまらなくたっていいよ。さて、じゃあ、どうしよっかな……お姫様と吟遊詩人が喜びそうな、何か面白い話でもしていかなきゃね。うちの可愛い旦那の話でもする?ほかの国からやってきて、今じゃこの国の四番目の騎士だ。今日はちょっとゴードン、そう、ミーンフィールド卿のところに行かせたんだけどね」

「あなたとオルフェーブルの話は何度聞いても気持ちがいいわ。是非、聞かせてあげて」

 国一番の騎士なのに庶民的な喋り方が心地よい。ロビンのそれにもよく似ている。入江姫も楽し気に頷いた。

「ありがとう。そう……うちの旦那のオルフェーブルだけどね、隣のアルティス王国から、この国の騎士になりに来たんだ。特技は算術。ちっとも騎士らしくないだろう? それで、私は捨て子だったんだ。それを拾って育ててくれたのが、この国の法務官だったジャコモ卿でね。ジャコモお父様は、国にとって使えそうな全ての算術の方法をカールベルクの文官達に遺す為に『国家算術の心得』って本をずっと書いてたんけれど、目が悪くて困っていてさ。けど私は拾われっ子で算術も文字もちっとも得意じゃなかった。そこで、オルフェーヴルが口述筆記をしたんだ。宿代代わりにね」

 入江姫が問いかける。

「国と、算術?」

「わかりやすく言うと、国用の家計簿さ」

「不思議なものよの。我が島ではそういったものはあったかどうか……ああ、我はもっと、己の住まう島のことを、知っておくべきであった」

 少し恥じ入るように目を伏せる入江姫に、アンジェリカが笑いかける。

「お父様もオルフェーヴルも算術バカで帳簿の天才だけど、私はお父様に拾われるまで文字も数字も書けなかったせいで、未だに家計簿の一行だって大の苦手だよ。でもお姫様の島にもいつかあの本、持っていってやって。お米の……えっと、穀物の場合は『石高』の計算だっけ、そういうのに絶対役立つし、何よりあの世のお父様が喜ぶからさ。今度一冊持ってくるよ!」

「それは何ともありがたい。我が島もすぐに豊かになりそうじゃ」

「絶対になるさ、私が剣に誓ってもいい。あれはお父様とうちの旦那のオルフェーヴルが頑張って書いた、算術の結晶だからね」

「算術の、結晶……」

「……そう、真夜中までランプいっぱいつけてずっと書いてたんだ。夜遅くなりすぎると叱りにいったもんさ。まああれだよ、気の利く娘さんなら何か美味しいお茶とかどういうのを淹れてあげるんだろうけど」

「アンジェリカはお料理が得意じゃないものね。ファルコがあなたのお茶で悶絶してたのを思い出すわ」

「やっぱりあの阿呆鳥、一度城門からカーカー言うまで吊してやらなきゃ」

 入江姫とベルモンテが思わず笑いを噛み殺して顔を見合わせる。

「そんな三人の生活、楽しかったよ。私も合間を縫って、オルフェーヴルの剣の修行に付き合ってやったわけだけど……。まあ毎回毎回この私の剣や風の魔法に吹き飛ばされてたわけだけど、気が付いたら、なんだろうね、あいつったら、この私を夜な夜なかき口説いてくるお馬鹿さんになってたってわけさ。その度に『私は私より強い男としか結婚しないつもりだから』って言ったんだけどね」

 思わずベルモンテが手元の琴を一弦、合いの手を入れる様に爪弾いた。

「『君はこの国で間違いなく最強の騎士だ。僕はそんな君が好きになった。だから、僕は絶対に、君の次に強い騎士になってみせる。お父上の意思も継いでいくつもりだ。もし本当にそうなったら、結婚してくれ』」

 ベルモンテが口笛を吹き、入江姫が黒い瞳を丸くする。

「そうさ。あのミーンフィールド卿から二本取るのは至難の業だったけど、あいつは見事やってのけたよ。今でも語り継がれるくらいの、互角の勝負だった。誰もが見惚れる御前試合でね」

「私もあんなに手に汗を握ったのははじめてだったわ。ベルモンテ、貴方が見ていたらきっとレパートリーが一曲増えるような、そんな素晴らしい試合だったの。試合直後に、オルフェーヴルはあなたの前に跪いて求婚したのよね。ふふ、今でも覚えているわ。ジャコモ卿も、満足そうな顔をなさっていたわ。もちろん、ミーンフィールド卿も」

 何となくその時の卿の表情が目に浮かぶようだ、とベルモンテは目を細める。何事においても妥協や手加減などは一切しないであろう彼を、誰かを一心に想う心と絶え間なく鍛えた実力で乗り越えていった、算術が得意で将来有望な若者。

「その場にいたら翌朝には百曲出来ていそうだよ」

 愛と勇気、そしてそれだけではない、言葉では言い尽くせない何か。希望に満ちた人々の物語がここにはある。それはどんな音楽よりも心地よいものだ。

 臨月のアンジェリカでも手に取って食べやすいようにと、パンに野菜が挟まれて運ばれてくる。

「パンというものは美味しいものじゃな」

「島で小麦は育つか試してみるのもいいかもしれないね」

 ベルモンテが姫の隣に腰掛けると言った。

「……希望に満ちた歌がここにはいっぱいある。そういったものも、小麦と一緒にいつか、運んで行けたらって思うんだ」

 入江姫がベルモンテを見つめる。揺るぎない黒い瞳で、海のような真っ青な瞳の吟遊詩人に、言った。

「奇遇なことよ。そなたは我が舟。この世で唯一の歌う舟。……勲に愛、希望に満ちた歌を我が故郷に持ち帰るには、やはりそなたという舟、そなたの歌でなければならぬ。我も今まさに、そう考えておったところよ」

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