03 文机の貝
遠い島の姫君のために心をこめて造りあげた小さな文机の表面には、知古の職人から譲って貰ったきらきらと光る小さな貝の欠片を花柄に埋め込んだ。机の脚には蝶番もつけてある。これで、どこにでも持ち運びやすくなるだろう。
「これで良し、と」
大工作業は久々であり、多少時間はかかったが、まだまだ腕は衰えていなかったらしい。ロビン・アーゼンベルガー、大工の棟梁の未亡人が満足そうに息を吐く。
(折りたためるっていうのはいいね。お城に持っていきやすいしさ)
工房にあった大きな蝋引きの布で文机を丁寧に包む。そこに、玄関のドアをノックする音が響き渡った。
「開いてるよ!」
声を投げかけると、
「おはようございます、ロビンさん」
入ってきたのはテオドールだった。
「ちょうどいいところに来てくれたね。運ぶの、手伝ってくれる?」
「はい。馬に積んでいきましょう」
「お師匠さんは?」
「ちょっと忙しくて、まだお城にいます。今日の昼過ぎには街を出る予定で……」
「また遊びにおいでよ。糸車、出しておいてあげるから」
「は、はい!」
心の騒ぐ話を聞いた後に、彼女の変わらない陽気な声を聞くと、何だか余計な肩の力が抜けるような気がする。布にくるまれた文机を抱え上げて、馬の荷台に積み込み、
「ロビンさんも、こちらです」
女性用の横付けの鞍に、彼女を案内する。
「馬に乗るのって何年ぶりかなあ。しかも横付けの女性用の鞍なんて初めてだよ」
「き、きちんとエスコートします。大丈夫です」
「まったく、すっかり騎士らしくなったもんだねえ。まだ近習なんだっけ? ほらほら、私で練習していきな。坊ちゃんが立派な騎士になる日がきたら、近所中に自慢しなきゃね」
自分の母親よりはほんの少し年下の、朗らかさと寂しさが心の内に同居するこの旧知の大工の未亡人の手を取って、鞍へとエスコートする。
「………僕は、立派になれるでしょうか」
「なれるよ。坊ちゃん、あんたは人に恵まれているもの。素敵なお師匠様に、素敵なお城、おじいさまだってまだまだ矍鑠としていらっしゃる。それに……そうだねえ」
ロビンが視線を空の上に投げる。丸で空の上にいる夫に何かを問い、その答えを待つかの様に。
その一瞬の空白が、なんと切ないのだろう。そして、何故に切ないのか、自分でもよくわからない。しばらくの沈黙の後に、ロビンが言った。
「あとは、愛かなあ。好きな人がいなきゃ、家具を作ってたって楽しくない。そう思って、工房を閉じたのに、不思議なもんだね。……それでも、私の作ったものを、誰かが愛してくれたら、それだけで心が元気になるってもんさ」
遠い島から落ち延びてきた姫君のために、家具を作ってほしいと頼んできた少年が、呟く。
「これからも、いっぱい、頼むことになるでしょう」
少しだけその言い回しが、この少年の師匠の、あの厳めしいミーンフィールド卿のそれに似ている。
「あのお姫様にぴったりの家具を作れるのはきっと、ロビンさんだけなんじゃないかと、僕は思います」
吟遊詩人の男と共に落ち延びてきた姫君。深く深く愛し合っているのに、愛し合っているがゆえに、触れ合ったことはないという。テオドールとて少年ながらも、昨夜の会話の端々に出てきていたその言葉の意味は理解していた。理解はしても理由はわからなかったあれやこれやも、きちんと騎士になった日には理解できるのかもしれない。
騎士とは、美しい貴婦人に奉仕するものなのだから。
「ありがとうね。最高の仕事を紹介してくれて。なんだか久しぶりに、生き返った気分だよ」
「本当に良かった。僕に出来ることなら、なんでも言ってください」
思春期の少年独特の背伸びした言い回しと共に、ロビンに手を貸して横付けの鞍へそっとエスコートする。
馬の蹄が石畳を鳴らす。馬を引きながら、テオドールはカールベルクの城下町の美しさを堪能する。森も好きだが、この街も好きだ。しかし、昨日聞いた不穏な言葉の数々が頭をよぎる。
剣よりも刺繍が好きであっても、あの言葉の数々が本当ならば、針は後回しになる日が来る。そしてその日こそ、この城下町の美しさを守る日になるのだろう。その中には、若々しく美しい女王陛下だけでなく、深く愛し合う姫君と吟遊詩人、この明るく親切な未亡人なども含まれていることを、心に刻んでおかねばならないのだ。
「森に帰る前に間に合ってよかった」
大きな鷲達が、窓辺に本を次々に置いていく。
「帰るのですね」
森の木々という国境の番人達を束ねる長の様な存在でもあるミーンフィールド卿が頷く。
「城はファルコがいればなんとかなるだろう。ロッテは忙しくなるが」
「美味しいお食事を用意してあげてちょうだい」
「畏まりました陛下」
「あなたに、そう、あなたとファルコに『陛下』って呼ばれるのは、未だにどうしても慣れないものです」
女王陛下が苦笑を漏らして、鷲達を撫でて言った。
今はこうして主君として仕えてはいるが、そういえば昔から、よく床に座り込んでは自分たちの遍歴話を聞いていた姫君だった。
「あの部屋の床もさぞかし光栄でしょうな。美しい島の姫君に陛下まで、直に座っていらっしゃる」
「随分と騎士らしいことを言えるようになったのね、あなたも」
「これでも第五席ですからな。オルフェーブルとアンジェリカには、くれぐれも無茶をせぬよう私が心配していた、と伝えて下されば結構」
「わかったわ」
付き合いが長いせいか、時折、女王陛下もまた、姫君だった頃の口調に戻ってしまう。
「ロッテも忙しくなるだろう」
そんな女王陛下の隣で、ミーンフィールド卿はロッテの巣箱に手を伸ばすと、そっと小さな小瓶を中に入れてやる。
「滋養のある木の実だ。好物を詰めておいた」
鷲達がいる時は、他の小鳥達は出払っていることが多い。それを知ってこっそりと、彼女の巣箱に特別な差し入れを入れてやったのだろう。
「相変わらず気が利くのね。きっととても喜ぶことでしょう。連絡係を、よく勤めてくれています」
「これからも、特に」
女王陛下が呟く。
「竜、ですか」
「私は昔、砂漠の王に言われたことがありましてな。『お前は帝国に縁がある。決して忘れるな』と。島から採取した植物達も育ってきた頃合いでして、そろそろ館に戻らねば。ラムダには事の次第を書いた手紙を送っておきましたので、関連資料が手に入り次第、ファルコの元へ届く手筈になっております。鳥達も東へと配備するとのこと」
自分が生まれる少し前に、帝国の刺客相手に殉職した父。苦しかった遍歴の旅を締めくくる戦いで出会った、盲目の砂漠の王とその近習。やはり、自分はあの帝国とはどうも縁があるらしい。それも、良からぬ縁が。ミーンフィールド卿が息を吐く。
「私のいらぬ心配であればよいのですが、ファルコの鳥達は嘘をつきませんからな」
女王陛下が笑いだす。
「ファルコも、大法螺を吹くことはあっても、嘘はつきませんものね」
「わかっていらっしゃる」
歳の離れた姪の様な女王陛下。先代国王からずっと仕えているローエンヘルム卿やティーゼルノット卿にしてみれば、本音はもはや可愛い孫娘も同然だろう。
(つまり、ファルコは大変苦労するということだ)
自分の騎士の遍歴の経験にはなかったはずだが、何故か自分は知っていた。恋というものはいつか抑えられなくなる日がくるものだということを。そして『街の不良少年』を『女王陛下付きの魔法使い』にまで引き上げたものが、何であったのか。
若く美しい女王陛下が蜜色の瞳と白い指先で、窓際の鷲達を撫でる。まるで一幅の絵の様だ。鷲達もあとで主人に大いに自慢し、ファルコが年甲斐もなく拗ねる様子が目に浮かぶ。思わず口の中で笑いをかみ殺し、ミーンフィールド卿は言った。
「お互い忙しくなるが、宜しくと」
「ええ。伝えておきます」
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