第5話 銀の鎖と柳の木

01 花が散った日

 カールベルクの騎士を拝命してから今年で何年だったろう。一緒に旅をした『花の魔法使い』である妻との間に、もうすぐ第一子が生まれる。

「男の子なんじゃないかしら。そんな気がするのよ」

 セシリア・ミーンフィールド。緑と語り合う魔法使いで城勤めの薬師。臨月の大きく膨らんだお腹を擦って、片手には趣味の細密画の筆を手に、微笑む。

「陛下の即位10周年式典ですっけ」

「ああ。ごめんよ。家にいたかったんだけれど、騎士団三十席までは護衛で同行しなければ」

「ま、この子も今日は生まれてくる予定もなさそうだし、気にしなくていいわ。ちゃんと励んでらっしゃいな」

 騎士団の十九席。中堅どころである。柄に花の形を彫り込んだ愛用の剣の調子を、いつものように玄関でもう一度確かめながら、かしゃり、とそれを鞘に収め、妻のお腹にそっと触る。

「男の子か。騎士かな。魔法使いかもしれない。元気で生まれてきてくれればどっちでもいいかな……」

 見た目はやや厳ついが、少しばかり騎士にしてはおおらかな男。一見して取り立てて秀でたところはない朴訥な男だが、その見た目や言動に反して、この男はとにかく目と勘が良かった。崖の上に咲いている貴重な花々などをあっという間に見つけては、根を傷つけることもなく、スコップ片手にあっという間に採取してきてくれる。

 そんな、実りある長旅の末に結ばれた二人の、なんの変哲もない朝。アーチボルト・カントス・ミーンフィールド。カールベルク騎士団十九席の騎士が玄関を開ける。

 夏の到来を告げる晴れやかで青い空、城の方から微かに聞こえる楽隊の音色。玄関先に植えられている、この家を守る由緒ある柳の樹、カールベルクの水源地の脇の大樹自らが『花の魔法使い』である妻に分け与えたという樹の枝がやさしく揺れ、花々の香りが鼻をくすぐる。おそらくは妻が言っていたように『いってらっしゃい旦那様!』などと言ってくれているのだろう。街の大通りからもパレード前の喧騒がわずかに聞こえてくる。祝祭の日にふさわしい、良い朝だ。

「いってくるよ、終わったらすぐに帰ってくるからね」

「いってらっしゃい、アーティー」

 いつもより晴れやかな日。いつもと変わらない挨拶。

 だが、セシリアは、この後生まれて来た息子に何度も何度も言うことになる。『「いってくるよ」と「ただいま」は常に対になっていなければならない』と。



 最近伸ばしだしたという口髭がまだ少し新しい、若々しい国王陛下が静かに輿に乗る。城下町の大通りへ続くパレードのはじまりである。世界中の祭りを見て回っていた自分でも、楽隊の音楽が高らかに鳴り響く音には心が躍る。輿の少し斜め後ろ側に配され、アーチボルトは誇らしげに、そして油断なく目だけで周囲を見回す。

 貧富の差の大きかったこの小さな国も、まだ若い陛下の働きで、あちこちでくすぶり続けていた問題が少しずつ解消されてきている。魔法も剣も得意ではないが、若く聡明で政に長けている王。騎士団を持てるようになり、少数ながらも魔法使いも城に抱え、『小さな小国』から『騎士と魔法使いのいる国』として他国にも知られるようになってきたのが、ここ数年の話である。

 王の輿の両脇に第一席と第二席が控えている。安全だが、油断は禁物である。何せ『新興国のパレード』なのだから。招かれざる客なるものはこういう時にやってくるものだ。王様万歳、という民の声を耳に、両脇の建物の窓などに、静かに目を配る。

 ふと一瞬、きらりと何か人工的な輝きが一点、遠くで光った気がして、アーチボルトは視線を戻す。

(遠眼鏡かな。でもあれはまだ庶民には手が届かない高級品のはず…)

 何の光だろうか。雲ひとつない青空なのに、ふと胸が騒ぐ。持ち場を外して確認すべきか否か考え、ふと上から横へ視線を投げると、もう一つ、輝くものが見えた。深いフードの上から銀の鎖の首飾りをかけた、男の姿である。

「あれは」

 全身から警告音が鳴り響く様な、ぞわりと全身の毛が総毛だつ感覚。深いフードの布の見慣れない色合いからして、東の帝国のものだろう。所作、フードの風の靡き方具合から察するに、あれの下には鎧帷子を着込んでいる。反射的に手が剣の方へ回る。銀の首飾り、というものが帝国で何を意味しているか、妻との遍歴の長旅の間に彼は聞き及んでいた。

 それは『帝国に対する絶対的な忠誠』である。反射的にアーチボルトは剣を抜く。

「ミーンフィールド卿!?」

 真後ろにいた第二十席の騎士が声を上げたと同時に、フードの男が、その下から針のように細い、東の国でよく用いられるという暗殺用の剣を抜き放ち、風のように輿へと襲いかかってきた。パレードの観客から悲鳴が上がる。一番最初に剣を抜いたアーチボルトが隊列から離れる。第一席のローエンヘルム卿、第二席のティーゼルノット卿が陛下に何かを告げ、腰の剣に手を回したのがちらりと視界に入る。

(これで大丈夫だ、いや、違う!!)

 あとはこの暗殺者を仕留めねばならない。しかしここは祝祭の場である。血など流されるよりは生け捕りが最適だろうが、相手もそこは織り込み済みだろう。走りながら、アーチボルトは輿に向けて叫ぶ。

「高い場所に!! 弓が………」

 先程一瞬きらりと輝いたのは、弓の鏃だったのだろう。どこかの建物から、この騒ぎに乗じて陛下を狙う算段のはずだ。

 そう、暗殺者は二人いる。騎士団の間に動揺が走る。

 抜き放った剣に、暗殺用の細く強靭な剣がかちあって、火花が飛んだ。暗殺者ならではの剣筋の速さに翻弄され、剣先が頬をかすめ、血飛沫が飛ぶ。それでも、一撃をあびせかけようとしたその瞬間、パン、と結弦の鳴る音が響き、爪先の真横に弓が刺さる。

(まずは私から、ということか)

 二人一組の暗殺者。帝国への忠誠を誓ったのであろう暗殺者達とはいえ、妻と自分のような固い絆で結ばれているのかもしれない。

 生かして帰すものかと、昏いフードの真下の目が語る。自分もまた同じような目をしているに違いない。生きて帰らねば、妻にも、妻の出産にも立ち会えないのだから。

 その途端、背中に激痛が走り、体中の血が逆流しそうな痛みが襲う。

 にぃ、と目の前の男が嗤った気がした。体から力が抜けそうになる。だが、まだだ。背中に弓が刺さったまま、前方に倒れ込みかけながら足に力を込め、己の意思で一歩前へと踏み込む。そして同時に剣を両手に持ち替えて、細い剣を構えたままの目の前の男へ向けて突撃する。細い剣が自分の臓腑を貫いていき、自分の、花を象った柄が自慢の剣もまた、同時に、暗殺者を突き貫いていく。暗殺者の口から、異様な悲鳴が上がる。致命傷を与える事が出来たらしい。

 その今際の際の声が届いたのか、弓矢が、狂ったように自分の方へと降り注いでくる。敵討ちか。結構なことだ。皆に『花の剣』と呼ばれる美しい柄の愛剣で避けようにも、もう、臓腑を貫かれた身体が重くて動かない。

 花、そうだ、妻の顔がよぎる。きっと帰れない。まだ見ぬ我が子のことを考える。優しい子であればいい。父親がいなくても、寂しい思いをしないように、と願う。きっと今際の際の言葉を発する時間も、遺言を遺す間も与えられないだろう。

 あっけないものだ。旅の果てに己の腕の中で咲いた『花』と共に、ずっと生きていくものだとばかり思っていたのに。

 舗装された道の、ほんの隙間から、小さな野の花が咲いている。一縷の望みをかけるように、倒れ込みながらアーチボルトは花に囁いた。

「帰れなくて、すまない、と、妻にどうか伝えてほしい。我が子を、頼む、と……」

 我が家を守ってくれていたあの優しい柳の木の元まで、どうかこの言伝が届くようにと祈る。降り注ぐ矢が風を切って迫り来る音。続いて己の身体に何本も刺さっていく音。視界が、そして倒れ伏した道が、赤く染まっていく。妻との旅の愉しかった思い出が目まぐるしく脳裏を経巡る。

 ああ、これが、『死』か。見知らぬ場所へ旅をするのは、何年ぶりだろうか。この世に置いていくことになるとは思わなかった、優しい妻よ。どうか許してほしい。永遠に相見えることはもはや叶わないであろう我が子よ、どうか幸せに生きてほしい。

 視界の端で最後まで青く輝いていた空に、思わずそう願いながら、アーチボルトは静かに、二度と開くことはない目を閉じていった。

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