07 海鳥の帰還
いつもよりは散らかってはいない『鳥の魔法使い』の部屋に足を運ぶと、窓辺にカモメ達が何話も身を寄せ合って羽繕いしていた。そんなカモメ達の前に一羽、白い小鳥が混じっている。
『お疲れ様。長旅ご苦労さまね。ゆっくり休んでちょうだい。後で話をゆっくり聞かせてもらうことになるわ。厨房に行ってお魚も貰ってきてあげる』
カモメというのは色が白いだけでカラスのように賢い、といつぞや己の魔法使いが言っていたことを思い出す。そんな魔法使いの部屋に一人やってきたのはエレーヌだった。
「あら、ロッテ、ご主人様達は?」
『先代のお墓参りとお掃除で、そろそろ戻って………って陛下!』
「よく眠れて? それで、巣箱はきちんと降ろしてもらったのかしら?」
くすり、と女性同士の意味ありげな微笑みを投げかけながら、真っ赤になったロッテの白い羽根を撫でてやる。
『陛下は、その………』
「羨ましいわ。男所帯で雑魚寝とか女王陛下には許されませんものね」
『アンジェリカさんにバレたら、うちのご主人さまが輪切りにされちゃいますし』
「可愛くて元気な子が生まれるまでもう少しね。あの大きな剣はどこに置かれてるのかしら」
『もう臨月も近いのにあの剣で鍛錬するって言い張って聞かないから、鍛冶場の奥に隠したってオルフェーブル卿とローエンヘルム卿が仰ってました』
「ふふ、アンジェリカらしいこと。いないと寂しいけど、はやく可愛い子どもの顔が見たいわ。それで私の小さなレディ、あなたの素敵な騎士様との進展はどのくらいあったのか報告を」
女王陛下らしく肘をそっと前に出すと、ロッテがひらりと腕にうやうやしく舞い降りる。
『朝、一緒にお出かけして、そう、中庭に行きました。少し荒れていて、入ってくる人も少ない小さな庭だけど、昔はゴードンさんのお母様の薬草園だったらしくて、まだ薬草も少しばかり残っていましたわ。彼を『坊ちゃま』って呼ぶ馴染みの木々ともおしゃべりして……』
「庭師をやって中庭を綺麗にするようにしておきましょう。刈り込みすぎない程度に緑を残して、育てやすい薬草を選んで貰えば、冬への備蓄にもなるでしょう」
『おまかせを! ゴードンさんにその旨伝えておきますね!』
二人が正門から入ってくるのが見える。
『………あの、女王陛下。陛下は、ご主人様のこと』
他の鳥達に聞こえないように、小声でささやくように、遠慮がちに、それでも、どこか確かめるようにロッテは女王陛下に問いかける。女王陛下が小さく笑いを零し、少し黙った後に、言った。
「………そうね、困っちゃうわね。口に出して言ったら、止められなくなってしまうわ。私まだ『お姫様』だったころから、そうだったのよ」
『わかりました。大変、畏れ多いことを聞いてしまって………』
「いいのよ。そんなにしょんぼりしないで。私も入江姫もあなたのことを心から応援しているのだから、ね?」
女性ならではの手の体温が温かい。蜜のように美しい瞳の、理知的で若い女王陛下。若く闊達な『お姫様』だった頃から、本当はもっと情熱的な人でもあったのだろう。
『……ご主人さまったら陛下が『お姫様』だったうちに、こう、どこか遠くにさらっておくべきだったんじゃないかしら』
すると懐かしげに女王陛下が言う。
「ファルコとゴードンで、助けに来てくれたことはあるのですよ。王家の一人娘ですもの。今ほど治安もよくなかった頃ね。誘拐未遂は何度遭ったかしら。鳥達や緑がいつだって守ってくれたの。若く、幸せな時代ね」
『陛下ったら、まだまだお若いのに!』
そうだそうだ、と言わんばかりにカモメ達も賑やかに声を上げる。そこに、ドアが開いて声がする。
「妙にやかましいと思ったら、エレーヌ、じゃねえ、陛下じゃねえか。それにカモメ達も長旅ご苦労さんだな。後で旨い魚を用意してやるから島の様子を教えてくれや」
「厨房に蜂蜜を届ける予定があったんだった。私が行ってこよう」
部屋の入口で、ミーンフィールド卿が思い出したように呟き、踵を返す。
『私、入江姫達を呼んでくるわ』
陛下の手元からロッテがひらりと舞い上がる。
「そうしてくれ。じゃあ、その間にこっちは椅子と敷物を用意するかな」
賑やかなカモメ達に囲まれながら、ファルコが言う。
「お前達、順繰りにわかりやすく喋ってくれよ」
色とりどり、大小様々な鳥達が羽を休める『鳥の魔法使い』の部屋の大きな窓から、赤い夕日が落ちてくる。
「日が短くなったな」
「収穫の時期が来たのね」
城下町の外には田園地帯も広がっている。遠くに微かに輝く金色の絨毯のような麦畑を見つめ、女王陛下が呟いた。
「今年の出来は?」
「鳥達いわく『今年も順調』だとよ」
魔法使いが答える。女王陛下が振り返り、二人きりになった部屋で言った。
「ファルコ」
「………何だ」
「………いいえ、言おうとしたことを、忘れてしまったわ」
しばらく窓の外を見てから、ファルコが問い返す。
「忘れちまった方がいいやつか?」
もの言いたげなカモメ達を順繰りに撫でてやりながら、エレーヌが言った。
「そうね、そうかもしれないわね。………でも、思い出したら、いつでも言うわ。約束よ」
蜜色の瞳が赤い夕日に照らされて揺れる。銀色の髪の魔法使いが、くつくつと何時もの様に口の端を吊り上げて笑う。
「いつまでも待っててやるよ。俺は阿呆鳥だが、約束は忘れねえ性質でね」
カモメ達が囃し立てるようにおどけた声を上げた。
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