02 虹の島
遥か海の向こうに浮かぶ小さな島国の服を纏った、美しく輝く長く黒い髪の女と、これまた異国風の古めかしい竪琴を手にした、西の国生まれらしい明るい金色の髪の吟遊詩人。男の方は、地面に片膝を立てて座る独特のポーズがどことなく異国風であり、女の方は、ところどころ擦り切れてはいるが美しい衣服を身に纏っている。美しい文様の入り乱れた金の糸で織られた刺繍。金の糸はどの国の城でも珍重される希少なものだ。
そんな二人が身を寄せ合いながら、森の少し大きな木の根本で休息している。竪琴の音色で、女の心を安らげているのだろう。二人共少しやつれた顔をしていた。
『………恋人同士かしら』
「………わけありらしいがな」
離れた場所から一人と一羽が小声で囁きあう。
『とても遠いところから来たみたいね。あんな服、見たことないわ』
「遍歴時代に一度だけ見たな。東の海の向こうの島のものだ。確か、名前は『虹の島』だったか。何故この森にいるのかはわからないが………」
数秒間考え込んだ後、ミーンフィールド卿は言う。
「ロッテ、これを持っていってやってくれ。私は館に戻って待とう」
籠の中から、葉のついた苺をふたつ選り分けた。
「あの二人には苺ではない食事がいるだろうが、この私がいきなり現れたら驚くだろう。無粋な真似は宜しくない」
『あなたのそういう配慮とても素敵よね。私これでも小鳥だし、そういうのはとっても得意よ。館で待っててちょうだい!』
葉のついた苺を二粒くわえて飛び立っていった。
ひらり、と舞い降りてきた小鳥を見て、美しい女が呟く。
「愛らしい鳥じゃな」
金髪の男が微笑んだ。
「苺をくわえているよ。この近くに生えているのかな。探してみよう」
白い小鳥が、女の足元に歩み寄ってくる。
「この者は腹を空かせておってな。そなたの苺が欲しいそうじゃ」
青年もまた人の良さそうな笑顔で笑う。
「君が人間だったらなあ。曲と引き換えにその苺を貰うんだけど」
苦境でもユーモアを忘れない青年らしい。ロッテがひらり、と青年の前に降りて、青年が何気なく伸ばした指先に苺を乗せながら言った。
『苺をあげたら一曲弾いてくれるのね?』
いきなり喋りだした小鳥を見て、二人は目を見開く。
「なんじゃ、そなたは物の怪の類か」
『少し違うわ。この森をよく知ってるただの親切な鳥よ。お姫様もお腹すいてるんでしょ?ほら、分け合うといいんじゃないかしら』
姫君が吟遊詩人に聞いた。
「………大陸の鳥どもは、皆こうして言葉を喋るのか」
「いや、僕も初めて出会ったよ。確かに、このあたりは騎士と魔法の国だけど……」
吟遊詩人も目を丸くしたまま姫君に返事を返す。
『そうよ。ここはカールベルク。騎士と魔法使いの住まう小さな国。この森の木々達によると、もうすぐ雨が降るそうよ。雨宿りにぴったりの場所が近くにあるけれど、よければ案内するわ』
吟遊詩人がそっと苺を口にし、満足そうにもう一粒を姫君に渡す。
「ごらん、姫、こんなに美味しい苺は食べたことがないよ」
不思議な鳥が差し出した苺を口にした姫君が言った。
「懐かしい味じゃ」
ひらり、と舞い上がった小鳥に促されるように、二人は立ち上がると歩き出した。
森の一角の煉瓦造りの館の前に、緑の外套を纏った騎士が静かに佇んでいる。
「おかえり、ロッテ。客人は」
『お連れしたわ。あなたの苺をとても褒めていてよ?』
「今年は天候にも恵まれたのでな」
顔に縦横に走る大きな十字傷と、厳めしい口髭。黙って立っていると少しばかりの威圧感がある男が差し出した指に、怖がる様子もなく白い小鳥が舞い降りる。そんな一人と一羽を、やってきた二人が思わず言葉もなくただただ不思議そうに見つめる。男が振り返って言った。
「遠い国からようこそ我らの森へ」
吟遊詩人が目を丸くし、足を止めて言った。
「あなたの可愛いご友人に、美味しい苺を頂きまして」
「そちらのご婦人は高貴な方とお見受けするが」
「よんどころない事情がありまして」
そんな吟遊詩人の肩に、ぽつりと雨粒が落ちる。森の中に湿り気の多い香りが立ち昇り、静かに雨が降り出した。
「………吟遊詩人や貴婦人に相応しい歓待はできないが、それで良ければ休んでいかれよ。貴殿らには今、食事と休息が必要に見える」
一瞬躊躇する二人を見て、ロッテが言った。
『雨はしばらくやまないわ。今ちょうどこの館のテーブルには、いい感じに焼きあがったばかりのパンと、庭で採れたばかりの新鮮な籠一杯の果実、搾りたての山羊のミルク、それと、ここの地下で醸造したとびっきりの葡萄酒があるのだけど………』
ミーンフィールド卿が付け加えた。
「このような国境沿いの森に一人で住まう顔の怖い謎の男を怪しむのは、旅人ならば普通であり、美しい連れがいるなら尚更のこと。……しかしながら、お二方共ご安心なされよ。この世で私が『レディ』と呼ぶのはここにいるロッテのみでな」
ユーモアなのか本気なのかどちらとも取れない口ぶりで、あくまでも真顔で言う騎士の指の上で、真っ白い小鳥が真っ赤になった。そんな小鳥に吟遊詩人が囁く。
「長い間世界中を旅してきたけれど、君ほどに立派な『止まり木』を持った小鳥と出会ったのは初めてだよ。流石は森の姫君、といったところかな」
その様子を見た姫がころころと笑う。
「うむ、そなたはまこと、れっきとした姫のようじゃ。物の怪の類などと呼んでしまったことを、詫びねばならぬ」
『そ、そそそ、そんな、あなたみたいに素敵なお姫様にお姫様って呼ばれると、どうしましょ、照れちゃうわ………』
この姫君の屈託のない笑い声を聞いたのは何時ぶりだったろう。そんなことを考えながら、吟遊詩人の青年が、肩の力をふっと抜いて、優雅な礼をしてみせる。
「それでは雨が上がるまで、ゆっくり曲を披露させて頂くとするよ。僕の名前はベルモンテ・ド・フォンテーヌ。見ての通りの流浪の吟遊詩人。親切な森の騎士殿、名を尋ねても宜しいかな?」
「ゴードン・カントス・ミーンフィールド。カールベルク騎士団第五席。女王陛下の命によりこの小さな森の守人を勤めている者だ。異国のご婦人よ、名を問うても宜しいだろうか」
姫がミーンフィールド卿を見つめ、指先のロッテを見つめる。
「我が名は入江。ここより遥か遠き島、余人が言うところの『虹の島』より参った。そなたらの歓待に預かろう」
「……『五席』とは如何様なものなのか」
「島の言葉で言うところの『中将』くらいかな」
「この高杯のようなものは」
「ランプのことかな。『灯籠』に近いものだよ」
遠い島の姫君にとっては何もかもが珍しいらしく、ランプやカーテン、戸棚などの調度品に視線を投げては、あれやこれやを問うている。心にも、身体にも余裕のない旅を続けていたのだろう。
「後で湯を用意するか。従者がいればな」
『前々からご主人様も陛下も言ってたじゃないの。近習を入れろって』
騎士の身の回りの世話をする役割でもある近習を、ミーンフィールド卿は何故か今まで入れることはなかった。
「そうだな。考えておくか。森が好きな者ならば、こちらも嬉しいがな……」
彼には二日分の食事を朝にまとめて準備する習慣があった。
「さしあたり、客人に提供するだけの量はあるな」
竈から低温で焼いていたパンを取り出して手近な皿に積み上げ、果物の入った籠、山羊のミルクの入った壺とコップ、地下から取り出してきた葡萄酒などを並べる。
「すごい手際だね」
「……そういえば、割とこういうのは苦でもない。独り身の道楽だな」
目を丸くする詩人が、少しだけ不慣れな所作で椅子に腰掛ける。
「そういえば、こうして座るのって久しぶりだなあ」
異国の竪琴を膝に載せ、縦に構える。
『虹の島には椅子がないの?』
「いろんな敷物があって、そこに直で腰掛けるんだ。草で編まれたり、毛皮だったり、織物だったり………最初は慣れなかったんだけど、島に長く居たせいで、座り方を忘れるところだったよ」
「島か。長く旅をしていたが、海の向こうへ渡る機会はなかった。美しい場所だ、という話は聞いたことがある」
ベルモンテが、少し寂しそうに微笑む。
「………そう、美しい場所だった。金銀珊瑚で彩られた館に、おだやかで心優しい人達、四季折々の花々、磯の風も、山の香りも豊かな小さな島。僕みたいな流浪の民が、二年も居着いてしまうくらいにね。………一体、どこから話せばいいのかな」
ミーンフィールド卿が眉を寄せる。
「もしや……」
「………入江姫、話してもいいかな。島で起きたことを」
隣に腰掛けた姫君が、静かに頷いた。
「よかろう」
少し黙った後に、息を整えて、吟遊詩人が物語のはじまりを告げるように、抱えていた異国の琴の弦を爪弾く。そして、数音だけ音を弾いた後に、手を止めて言った
「………音楽に変えることができるほど遠い思い出には、まだなっていないみたいだ。言葉だけで語ることを、許してほしい」
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