21 冬花

 酒と香水と海の匂いが一緒くたになって、僕の鼻孔をくすぐる。両手で彼女の肩を支えると、柔らかな肌の触感が伝わってきて、呼吸が止まりそうになる。


「わー、目が回るー」

「しっかりして、浅利さん」

「んー? なんであたしの名前知ってんの?」


 あっ、しまった。浅利さんは目を細め、小首を傾げながら僕を見上げる。


「每日、仕事であなたの家の前を通るから……その……時々見かけて……」

「……へ?」


 正直に言い過ぎただろうか。


「なーんだ。ストーカーかと思って、ちょっとびっくりしちゃった」


 浅利さんが「へへへ」と笑ってくれて、僕はほっと息をつく。

 友達化していて本当によかった。

 僕はぐったりする彼女を階段に座らせると、散らばっていたビール缶をかき集めた。打ち捨てられていたコンビニ袋に詰め込んでいったが、すぐにいっぱいになる。


 まさか、この量を一人で?


 砂に埋まっていたサンダルも掘り起こして浅利さんに手渡してやると、彼女は初めて自分が裸足だということに気がついたようだった。


「ありがとう。君って優しいんだねぇ」


 浅利さんはサンダルを履くと、座ったまま僕のシャツの裾を引っ張った。まるで恋人に甘えられているように感じて、ドキドキしてしまう。


「さっきから、距離近くない?」

「いいじゃない、これくらい。君、一人? 一緒に帰ろうよ」

「でも」

「お願い。もう真っ暗だし、心細いの」


 彼女は猫撫声で僕を誘う。僕があまり女性に免疫がないせいかもしれないが、こうやって女性から頼られるのは、悪い気はしない。

 むしろ、ちょっと喜んでいる自分がいる。もしかしたら、顔がにやけているかもしれない。暗くなっていてよかった。


「いいよ」

「わーい! じゃあ、お願いしまーす」


 両手を伸ばす彼女の手を掴んで、無理やり引き起こす。しっかりと繋がった手のひら。

 女性と手をつなぐのは二回目だけど(一回目は悪魔だし)、思っていたよりも冷えていて、少しだけ驚いた。海風の下で吹きさらしになっていたのだから、当然といえば当然かもしれないが。もっとこう……ロマンチックなものになるかと思っていたのに。


 よろよろと立ち上がった浅利さんは、ごく自然に僕の左腕に自分の両腕を絡ませると、すりすりと頬を摺り寄せてくる。


 いくら友達化しているとはいえ、ちょっとスキンシップが大胆じゃないだろうか。

 本来なら、浅利さんは僕のような男には微塵も興味を示さないはずなのに。

 ヨルの魔術のおかげとはいえ、悪魔の力を利用してこんなことをしていいのだろうか。


 ……いやいや、弱気になるな。


 異性だったとしても、きっと友達にはなれるはずだ。

 そうだ。これは本当の友達をつくるという夢のためには、必要なことなのだ。邪念は捨てろ。下心を吹き飛ばせ。ぶんぶんと頭を振る僕を、浅利さんは不思議そうに見上げてきた。


「そういえば、君の名前はなんだっけ?」

「あ。えっと、北村……たいち。漢字は、太くて一番って書く」

「北村くんだね、了解。近所に住んでるなら、もっと早く話したかったね」

「そう……だね」


 どうやら昨日の朝、僕を睨みつけたことはすっかり忘れているようだ。


「あたしのことは冬花でいいよ」

「え、でも」

「浅利さん、なんて堅苦しいじゃん。あたしたち、友達なんだからさ」


 そうか。友達なら、名前で呼び合ってもおかしくはない。表札を盗み見して知った彼女の名前だったけど、こうして面と向かって自己紹介を済ませたことによって、罪悪感が消えていった。


 ふゆか、ふゆか。冬花……。


 彼女の名前を口の中で反芻するたび、体の奥からむずむずしたものが沸き上がる。

 友達化、バンザイ。

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