第13話・置き引き事件

 店内に警察官の姿があっても、誰も不用意に騒ぎ立てたりはしない。横を通る時にチラ見くらいはするが、客のほとんどが無関心を装っている。来店する人の多くが、ここでは他人との必要以上の関わりを望んでいないからだろう。特に休前日ともなれば、誰からの干渉も受けずゆっくりとした時間を過ごすことを求めてやって来ているのだから。


 千咲的には信じられないのだが、置き引きにあってスマホを無くした女性客ですら、パトカーが帰っていった後、再びブースでコミックスを積み上げていた。ついさっき自身に起こったことなど何も無かったかのように、ドリンクバーでメロンソーダの上にバニラソフトをトッピングしていた。彼女の場合は無関心というよりは、単に諦めの境地なだけかもしれないが……。


 オーダーストップの時間が過ぎて、ようやく接客に落ち着きが出てきた時刻。千咲は三口ある業務用コンロ周りの掃除をしていた。ぎっとりとした油汚れとこぼれ落ちた食材カス。丸一日分の汚れは、家庭のそれとは比にもならない。洗剤をつけて必死で磨き上げていると、男性客から声を掛けられ慌てて振り返る。


「あの、すみません。財布の落とし物って届いてないですか?」


 ドリンクバーに隣接する厨房の出入り口から、若い男が今にも泣きそうな顔を覗かせている。最近よく見かけるようになった客の一人だ。二十代半ばの物静かそうな男性。入店の度に必ずヘッドフォンとコントローラーを借りていくので、オンラインゲームをしに来ているっぽい。提携ネットカフェでプレイするとボーナス経験値や、利用回数に応じて限定アイテムが貰えることがあるから、自宅にネット環境があってもわざわざ来店してプレイするユーザーは多い。


 「え、また?!」と内心で思いながら、千咲は一旦厨房を出ると、ぐるりと通路を回ってからフロントへ向かう。カウンターの周辺には預かっている私物類は見当たらず、裏に入って落とし物入れを確認してみるが、そちらにもそういった物は何もない。


「ポケットに入れてた財布をトイレでちょっと横の棚に置いて、忘れてそのまま出てから気付いて。戻ってみたら、もう無くなってて……」

「放置されてたのって、どのくらいの時間ですか?」

「……すぐですよ。多分、5分くらい。ブースに戻ってすぐ思い出したんで」


 ハァと溜め息をついている。力の入り切らない弱々しい声で、千咲からの質問に答えていた。財布の中には社員証も免許証も、何もかもが入っていると嘆いている。

 確認の為に男子トイレに向かうと、千咲は彼が使ったという個室の中だけでなく、隣の個室やごみ箱の中なども念入りに探る。


「また何か無くなったのか?」

「あ、白井さん。今回はお客様が財布を置き忘れたらしいです。思い出して戻られたら無くなってたって」

「……そうか」


 千咲達の騒ぎに様子を見に来たらしい白井は、何か思い当たる節でもあるのか少し考えてる風に頷き返す。二人で掃除用具入れなどを一通り確認してから戻ってくると、フロントでは川上が例のオジサン客、現場監督と話し込んでいる最中だった。


「いやー、今日の昼に機種変更してきたばかりなんだよ。まだケースを買ってなかったから巾着袋に入れてて、入り口近くにポンと置いてたんだけどさ。鞄はそのままで、袋だけ盗っていきやがったんだよ。なんであれにスマホ入ってるって分かったんだろうなぁ」

「はぁ、それはどれくらいの時間ででしょうか?」

「ちょっとコーヒー取りに行ってただけだから、数分だよ、数分」


 現場監督は怒っているというよりは、どちらかと言えば思わぬハプニングを楽しんでいるといった風にカラカラと笑いながら話している。「保険には入ってるから」とは言っていたが、大らかと言うより、豪快な気質なのだろうか。川上はかなり圧倒されているようだった。


「あれだろ、さっきも女の人が盗られてるんだろ? 同じやつの仕業じゃないのか?」

「えっと、それは……」

「まぁ、だからって客全員の荷物を調べてく訳にもいかないもんなぁ」

「……はぁ」


 それに反して、財布を無くした男性客はエントランスに設置されたベンチで項垂れている。間違いなく彼の反応の方が正しい。


「また警察呼ぶんだろ? 来たら教えてくれや」


 そう言い残して自分の席へと戻っていく。現場監督から解放された川上は疲れきった顔で白井へと対応を求める。川上の方が年齢は上だが、この場の責任者は社員である白井になる。千咲も横に立つ先輩社員のことを見上げた。白井はワシャワシャと栗色の前髪を掻きながら、少し苛立っているようだった。


「今の客も禁煙席だな――鮎川、客の入ってないブースを調べるぞ。禁煙席だ、来い」

「え? は、はいっ」


 フロントの端末で入室中のブース番号をチェックしてから、慌てて白井の後を追う。禁煙席の空ブースに何があるんだろうかと、疑問を抱きながら。

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