第12話・夜勤の川上

 ネットカフェ『INARI』のオープンメンバーでもある川上洋二は、バイトスタッフの中では最年長の37歳だ。既に妻子がいて昼間は普通に会社員をしているというのは、千咲も相田経由の噂で耳にしていた。


 日中に仕事をして、夜もまたバイトして。何だか少し訳ありな胡散臭い人を想像していたが、実際に会ってみると普通の誠実そうなオジサンだ。ダブルワークの理由も、学生時代の奨学金の返済を家計で負担したくはないからだという。

 週に二日だけ、仕事が休みになる前の日の、22時から5時までの時短勤務だったから、彼と顔を合わせることがあるのは夜勤の人間だけ。この店唯一のレアキャラだ。


「鮎川さんと会うのは、本当に久しぶりだね。一度残業して8時まで残ってた時以来かなぁ?」


 人の好さそうな穏やかな笑顔を浮かべながら、川上はオーダーの炒飯を炒めていた。軽々と片手でフライパンを返し、手際がとてもいい。「そうですね」と相槌を打ちながら、千咲はストック野菜のピーマンと玉ねぎ、きゅうりをカットしている。


 休前日ということもあり、今日はブースの三分の一が埋まっている状態で、シフトも白井を含めて三人体制。フロント業務は白井に任せて、川上と二人で厨房とブースとを駆けずり回っていた。


「川上さん、引っ越しされるって聞いたんですけど」

「うん、来月には嫁さんの実家にね。四国の海沿いなんだけど、小さな民宿をやってるから、機会あればまた遊びに来てよ」

「へー、民宿ですか、素敵ですね」

「そそ、漁師直営の宿ってやつ。義父が漁師やっててね」


 完成した炒飯とラーメンをトレーに乗せて、川上は話しの途中で厨房を出て行く。休日前で人の出入りも多くて、ちょっとした雑談もままならない。内線が鳴る音も聞こえているので、また料理の注文が入ったのだろうか。すぐに白井が打ち出したばかりの伝票を片手に厨房に顔を出した。


「オムカレー、トッピングでトンカツ」

「えっと、それってカツカレーに卵乗せたらいいんですか? それとも、オムにトンカツ? 卵とカツ、どっちが上になるんですか?」


 メニュー上、オープンオムライスにカレーをかけたものをオムカレーと呼んでいて、今回はそこにトンカツをトッピングする注文が入ったらしい。カレーにカツをトッピングすれば単なるカツカレーだが、そのベースはオープンオムライスとなると、カツの居所はどこだ? レア過ぎるオーダーの仕方に、軽く頭が混乱する。


「……まかせる」


 一瞬だけ悩んだふりをしたが、白井はすぐに調理台の上に伝票をバンと叩き置いた。完全に丸投げだ。というか、白井的にはどうでもいいことなんだろう。

 代わりに、入れ違いでちょうど戻って来た川上が助け舟を出す。


「何なら、カツだけ別皿にして、自分で乗っけて貰うとか? カツに卵がベッタリ付くの嫌がる人もいるかもだし」

「さすが川上さん、その案いただきます」


 採用した川上案のオムカツカレーの配膳中、千咲は禁煙席のブース前で焦り顔の客に呼び止められる。「少々お待ちください」と断って、急いで料理を運んで戻ると、その女性客は膝をついてリクライニングシートの下を覗き込んでいた。三十台前半の落ち着いた社会人といった雰囲気の、物静かそうな女性は淡々と状況を説明し始める。


「お手洗いに行って戻って来たら、置いてたスマホが無くなってて……」

「え、他の荷物は?」

「鞄は持ち歩いてたんですけど、スマホだけテーブルの上に置きっぱなしにしてたんです」


 女性に一言断ってから、千咲はブース内をくまなくチェックしていく。バッシングの際、パソコンモニターの裏に忘れ物があることも多いから、その辺りも重点的に覗き込む。他に、リクライニングシートの場合は肘置きと座席の隙間に鍵などが入り込んでしまうことがあるから、そこは手を突っ込んで探ってみる。普通ならすぐ見つかる場所も、薄暗いブースでは簡単に見失ってしまうことがあるのだ。


「……見つからないですね。一旦、フロントまで来ていただけますか?」


 貴重品の管理は自己責任。とは言っても、店内での置き引きは放っておくわけにはいかない。千咲は足早にフロントへ戻ると、女性客のことを白井に報告する。真っ先に店の電話から女性のスマホの番号に発信してみるが、電源が入っていないのか通じなかった。


「こちらでも落とし物としてはお預かりしておりませんので、盗難事件として警察に連絡させていただくことになるかと思います」

「警察、ですか。……お願いします」


 店の固定電話から最寄りの警察署に連絡を取ると、すぐにパトカーが駆けつけてきた。女性客はエントランスや利用していたブースでいくらかの事情聴取を受けていたようだったが、千咲達には特にすることは何も無い。唯一白井だけは事務スペースで防犯カメラの確認に立ち会っていたが、女性客が利用していたブース前は丁度カメラの死角になっていて何も映っていなかったようだった。

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