第4話・白い狐
「お前、自分がつかれやすい体質だって、気付いてるか?」
接客から戻って来た白井に開口一番そう聞かれて、千咲は首を傾げた。疲れやすいかどうかなんて、夜勤は健康管理が大事ってことを言いたいのだろうか、と。肉付きはそこまでよくは無いが、身体が弱そうと言われた経験はない。特に運動はしてないけれど、まだ衰えは感じない。至って年齢相応なはずだ。
「体力には自信はありますよ。でも、言われてみれば最近、肩こりはキツイかもしれません。酷い時は頭が痛くなったりして」
「いや、そっちじゃなくて……」
何て説明すればいいんだと、眉を寄せて白井は渋い顔をしている。いつもの冷たい表情の印象が強すぎて、それ以外の顔をまともに見たことがなかった。こうやって面と向かって会話をするのも初めてかもしれない。何を言おうとしているのかと、まじまじと白井の顔を覗う。そして、その整った顔立ちに、ふと違和感を感じる。
「白井さんの眼って、カラコンですか?」
「え?」
「あ、いきなり、すみません……」
「いや。その通りだけど、よく分かったな。一度もバレたこと無かったんだが」
「なんか人工的な色だなぁって思って」
アジア人によくある黒に近い深い茶色。とてもありがちだからナチュラルだと疑わない人が大半だろうが、千咲にはどこか不自然さを感じた。カラコンで隠されている元の瞳の色は何色なんだろうかという興味も沸いたが、そこまで不躾なことは聞けない。
「ああ、お前のそういうところか……」
「?」
「鮎川、お前は気付くんだな。だから、気付いて欲しい奴が寄ってくるんだ」
――ん? 白井さんが何を言ってるのか、さっぱり分からない……。新手の謎かけ? 何を気付いてるって?
目をぱちくりさせて『理解不能』という文字を顔面に張り付けている千咲に、白井は困ったなと頭を掻いた。どう説明すれば上手く伝わるんだろうか、と。
シャワー室から戻ってきた客が、フロントの横を通り過ぎていく。半渇きの髪を手櫛でいじりながら、もう片方の手にはソフトクリームのミックス味を持って。湯上りにそれは、最高に美味しいに違いない。
「なあ、鮎川は中森のことを何だと思ってる?」
「何って……中森さんは、ここの店長ですよね」
「じゃなくて、あいつを何かに例えるとしたら、何だ?」
いきなり悪口大会を始めて夜勤の親睦を図るつもりなのだろうか。今まで気付かなかっただけで、実は彼と店長はあまり仲が良くなかったりするのだろうか。
いまいち意図の読めない問いに千咲は戸惑う。ここで下手なことを口走って、ようやく勝ち取った社員の職を失うことだけは避けたい。なんせ今は三か月の試用期間中の不安定な身だ。
「ええっと……タヌキ、かな。たまにモフモフな小動物感があるっていうか……」
狸親父という露骨な表現は避けて、万が一に本人の耳に入ってもダメージの少ない言い方を選ぶ。その千咲の答えに、白井はハァと諦めに似た特大の溜め息を吐いた。その反応では、正解だったのかどうか、さっぱり読み取れない。
「……なるほど。本当に何も視えてないのか?」
「視えるって、何を? 私、霊感とか全くですよ。オカルトな話も全然興味ないですし」
千咲の反応に、白井は最大級に困惑して眉を寄せる。これは言葉でどうこう言っても拉致があかないタイプだ。「仕方ないな」とボヤキつつ、「ちょっと来い」とフロントの奥、事務スペースの方へと千咲のことを呼び寄せる。
仮にも上司である店長をモフモフ呼ばわりしてしまったから、裏で本格的に叱られてしまうのかと千咲は反射的に身構えた。事務スペースが防犯カメラの死角になることは、ここで働いている皆が知っている。小腹が減った時のつまみ食いの人気スポットでもあった。
千咲はビクビクと警戒しながら狭い事務スペースに顔を出す。しかし、そこには先に入ったはずの白井の姿は無かった。
「え?」
日中には狸親父、もとい中森店長がすっぽりと嵌まり込むように座っているデスクチェアー。そこに居たのは、先輩社員の白井ではなく、大型犬サイズの一匹の真っ白な狐。身体の半分の太さはあろうかというほどの立派な尻尾を携えた、艶やかな毛並みの白狐が、両前脚をお行儀よく揃えて椅子の上に鎮座していた。
子供の頃に動物園で見たことがある狐はもっと小さかったはずだ。それに毛色も全く違う。雪のように白い狐は凛とした美しさがあり、逆にそれが近寄りがたい怖さを感じさせる。
いきなり遭遇した獣に千咲は言葉を失っていた。しかし、すぐにその白狐の瞳に気付き、さらにもっと混乱してしまう。人工的なその色は、ついさっきまで見ていた色と同じだったからだ。決して見間違いではない。この瞳の色には見覚えがある。
「えっ、白井さん? ええっ?」
パニック寸前で声を上げると、一瞬だけ目の前が白んだ。まるで喫煙席に漂う煙に目を霞ませられたかのように。
視界が元に戻った時、白色の狐が腰かけていた椅子には、白井が驚きと困惑が半々といった表情で、長い脚を組みながら座っていた。狐と同じ人工的な瞳は、訝しげに細められている。
「俺と中森は人じゃない。あやかしだ」
「あやかし、ですか?」
「詳しい説明は後にするが――鮎川、お前、いつも会う度に人外を引き連れてるの、自覚ないのか? 今日もタチの悪い奴に憑かれかけてたぞ」
軽く睨んだだけで逃げてったけどな、と薄く笑いながら立ち上がると、白井はフロントへと向かい、鳴り響き始めた内線電話を取る。彼が内線が鳴り始める前に動き出したことを千咲は見逃さなかった。まるで電話が鳴るのを前もって分かっていたかのようなタイミングだった。
「はい、フロントでございます。――かしこまりました。すぐにお席までお持ちいたします」
カウンター下から消毒済みのヘッドフォンを取り出すと、「21番に」と千咲に向かって放り投げる。不意打ちで飛んで来た貸し出し用備品をギリギリでキャッチすると、千咲は混乱寸前の頭のままブースへの配達に出る。
ヘッドフォンを大事に抱えてカウンターから出ていく千咲に向かって、白井は半笑い気味に言い放った。
「中森は化け狸だ。よく見破ったな」
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