第40話 滑り落ちる記憶と刻まれる記憶

 実家のダイニングには、家族写真が数枚飾られていた。

 両親と兄貴、そして俺。

 一家四人の写真。

 兄貴が小学生だった頃まで、毎年夏休みに一泊の家族旅行をしていたから、写真はその時に撮影されたものなんだろう。

 ニッコリ笑う両親。無表情の兄貴と俺。

 ただ、それだけの紙切れ。

 そのどれもが、俺の記憶には残っていない。

 両親は、楽しかったんだろうか。

 感情を切り捨てた俺を連れ回して。

 兄貴は、楽しかっただろうな。

 だって、大事にされてたんだからさ。あの二人から。


「ああ! ヘイリー君いたあ!」

 夕方からのチケットを使って入園する客をも、ゲートの前でキャラクターたちが出迎えている。

 ヘイリーランド。

 別名、ふぉげらん。

 英語のフォゲット・忘れる、と、ランド・園を足したものだ。

 平日の夕方だというのに、人出は多い。

 癒やしを求める人が、たくさんいるということか。

「現実を忘れて楽しもう、か……」

 一時的に忘れても、結局はまた現実に帰ることになるんだけどな。まあ、そう言ったら夢も希望もないか。

「あ、ほら、あそこにミャシリンちゃんがいるよ! 一緒に写真撮ろう!」

 既に一緒に撮影するために、各キャラクターの横には列ができている。

 まひろとミツキちゃんが大好きな、ミャシリンという白い長毛種の猫を擬人化したようなキャラ。

 まひろは一目散に走ってその列に並び、ミツキちゃんと俺はその背を追いかけた。

「三人一緒に撮りますよ!」

 順番が回ってきて、係員がまひろからスマホを受け取った。

「タケル、笑って」

 まひろのささやき声が聞こえた。

 どこからかやってくる胸の内の暗がりが、表に出てしまうのだろうか。

「パパ、抱っこして!」

「えっ……」

 それは突然の出来事だった。

 一瞬、ミツキちゃんと目が合った。

 叶えたい、ミツキちゃんの願いを。

 そう思った時にはもう、両腕を広げたミツキちゃんを抱きかかえていた。

「いいですね! はい、チーズ!」

 ……俺は、どんな顔をしていただろう?


「タケル、表情が固いっ!」

 すぐに画像を確認したまひろが、ケラケラ笑い出した。

「な、なんだよ! 笑うなよ!」

 だ、抱っこだってな、俺は慣れてないんだぞ! 緊張してたんだ!

「ミツキ嬉しかったぁ! パパ、抱っこしてくれてありがとう!」

 まひろのスマホを覗き込んだミツキちゃんが、満面に笑みを浮かべた。

 え……いや、俺、まひろに表情が固いって笑われたんだけど……ミツキちゃんは、それでも嬉しいの?

「えへへっ! たのしみだなぁ! ねぇ、手繋いでいい? こっちがママ、こっちがパパ!」

「いいよ〜!」

 ニコニコと笑ったまひろが、ミツキちゃんと手を繋いだ。

 もう片方の小さな手が、俺に向かって伸びてくる。

 家族ごっこだ。これは。

 あと数日で、ミツキちゃんは本来いるべき未来に帰る。

 でも、それでも。今だけは。

 俺は、あったかいミツキちゃんの手をとった。

 この小さな手が、誰に似ていても……この手は、ミツキちゃんのものだ。

「わーい!!」

「わっ、ミツキちゃん走るの早いね!」

 まひろが慌てたように叫んだ。でも、なんだかとても楽しそうだ。

 ゲートをくぐれば、そこはたくさんの色が溢れていた。

 クリスマスのイルミネーション。

 夜闇が暗ければ暗いほど、その明るさや賑やかさが際立つ。

 そうか。夜闇は俺の内側。イルミネーションは、ミツキちゃんと……まひろなんだ。

 わきあがってくる高揚感と安堵感に、そのまま身を委ねるのは、今の俺にはまだ難しいけれど。

 やっぱり俺は、優しい光と共にありたい。

 

「ミツキちゃん、ジェットコースター平気なんだね……ほら見てよこの写真、タケルなんか、思いっきり目つぶっちゃってる」

「うっ……まひろ、その写真買ったのか! 高いのに!」

 その写真は、ジェットコースターが高い位置から落下している最中に写真が撮影され、希望者が買い取る、というものだった。

 フレームには、冒険者の服装をしたヘイリーとチャミリーがプリントされている。

 ジェットコースターのコンセプトが、ジャングル探検だからだ。

 写真を見れば、両腕をバンサイとあげて笑顔のミツキちゃんとまひろ。

 そして、少しでも恐怖を減らそうと目をつぶっている、引きつっ顔の俺。

 なんか、かっこ悪い……

「パパ、ジェットコースター怖いの?」

 ミツキちゃんは真面目な顔で聞いてきた。

「う、うん……」

「そうなのよ、昔から嫌いなの」

「まひろ、お前知ってたなら最初から言えよな……そしたら俺、乗らずに待ってたのに」

 つい、まひろに不満を向けてしまう。その先のまひろはまったく悪びれずあっけらかんと笑っている。

「いやあ……あそこまで落差があるとはねぇ……まあ、いいじゃない、記念記念!」

「ミツキ、パパが頑張って一緒に乗ってくれたこと、忘れないよ!」

「……ありがとう……」

 でも、正直、もう乗りたくないけど。

「じゃあ、次はコーヒーカップ乗ろう! ミャシリンちゃんのやつ!」

 まひろが園内マップを見ながら叫んだ。

 こ、コーヒーカップだと!

「いや、俺回転系ムリ……」

 それ、お前も知ってるよな? 昔、遊園地デートした時、つまんないってふくれっ面してたの、忘れたのか⁉

「ミツキちゃん、コーヒーカップ知ってる?」

「うん、乗ったことあるよ! ぐるぐる回すの面白いんだぁ」

 お、面白いんだ……

「パパ、無理しないで待っててもいいよ」

 くるりと振り返ったミツキちゃんが、心配そうに言ってくれる。

「え……ほんとに? じゃあ、乗らないで……」

「あまり回転させなきゃ大丈夫よ! せっかく一緒に来たんだもの、一緒に乗りましょ! ね、タケル?」

 まひろぉお! その断りにくい聞き方、やめろぉお……

「えぇ……パパ大丈夫かなあ?」

「大丈夫よぉ、ゆっくり回してあげましょうね!」

 そうか、ミツキちゃんは三半規管もまひろに似たんだな……

 俺は妙に納得しつつ、少しげんなりしてコーヒーカップの列に並んだ。


「大丈夫、パパ?」

「おかしいわね……あんなにゆっくり回したのに気分悪くなるなんて……私、なにか飲み物買ってくるわね」

 俺は……多分青白い顔をしているに違いない。自分でわかる。コーヒーカップの回転で酔ったのだ。

「ご、ごめんなミツキちゃん……俺がこんなんじゃ、ちっとも楽しくないよな……」

「そんなことないよ! ミツキ、パパとママとヘイリーランド行くのが夢だったんだから!」

「そ、そう?」 

「あんなふうに楽しそうにしてるママ、ミツキ初めて見た」

 ぽつり、ミツキちゃんが言った。

「……ミツキちゃんのママは」

 つまり、未来のまひろは。

「笑っていないの?」

「笑ってるよ。もちろん、怒られることもあるけど……でも、なんか違う。きっと、パパが大好きだからなんだと思う」

 ミツキちゃんが、俺をじっと見つめてくる。

 まひろにそっくりな、ミツキちゃんの瞳。

 つい、まひろと共に生きることを選ばなかった、未来の俺に思いを馳せた。

 なにしてんだよ……本当に。

「ミツキが帰っても、忘れないでね、パパ」

 胸がシュッと音をたてた気がした。

 俺が選択を変えても……ミツキちゃんが生まれるのは、変わらないんだよな⁉ 不審者!

 俺はミツキちゃんの手をちらりと見る。

 今ならわかる。

 きっと、サトルからまひろに近づいたんだ。最終的な判断は、まひろが下したんだろうけど。

 俺は膝の上で拳を握りしめた。

「ミツキちゃん……俺は、まひろの手を離さないから」

「え?」

「ミツキちゃんのママの……傍にいられるように……頑張るから」

 ドン、と遠くから花火の音が聞こえてきた。

 目の前で回るメリーゴーランドの乗客が歓声をあげる。

「パパがずっとママの傍にいてくれたら……ミツキのパパになれるってことだよね?」

 にこっと笑ったミツキちゃんの瞳がきらきらと輝いて見えた。

「そうなれたら……」

 いいな、という前にミツキちゃんがギュッとしがみついてくる。

「ミツキ、待ってるから……未来で……パパのこと……だから、絶対に会おうね」

 ……うん。

「うっ……なによ、二人で……ズルい! 私も入れて!」

 手にしたアイスを素早くベンチの脇に置いたまひろが、後ろから俺とミツキちゃんに覆いかぶさってくる。

 腹の底から笑えた。

 本当に、なんてことだ……あまりにおかしくて、涙が出てくるよ。

 どん、どどん、という打上げ花火の音と、メリーゴーランドの優雅な音楽。

 俺はこの先、この音を聞く度に思い出すだろう。

 腕の中の小さなぬくもりと、背中の大きなぬくもりを。

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