第34話 川上サトル

 鼻っ柱が強いクセに、惚れた男にふられて泣いてた。

 それがなんだか妙にいじらしく感じられて、手を出した結果が今だ。

「ねえ、聞いてる? 人の話?」

 付き合っていた頃のスレンダーなボディに戻るのは、二人目の娘を生んだ後、完全に諦めたようだ。

「うん、聞いてるよ」

 俺はスマホの笑える癒やし動画を見ながら、適当に答えた。

 みさきの、大げさなため息が聞こえてくる。

 どうせまた、母ちゃんがうるさいとかの愚痴だろ?

「ほっときゃいいんだよ、年寄りの言葉なんてさ」

「そう言うけどさ……店の売上が減ってるのは、私の接客が悪いからだって言われたら、いい気しないじゃない!」

 一階の店舗は、元々お袋が美容師時代に作ったものだから、愛着があるんだろう。

 まあ、だからといって、跡を継いだ俺たちの店の切り盛りがどうとか言われたくない。それは息子の俺だって同じだよ。

「お袋は、昔とった杵柄を自慢したいんだろうさ……昔は近所のママ友の髪は全員私が切ってやってたんだって豪語してたからな……今とお袋の時代じゃ、美容院の数が違うってのにさ」

 俺はみさきに話を合わせた。ここでお袋の肩を持つと、後が面倒くさいからな。

「それもあるし、今はネットの口コミも大丈夫なのよね……私も写真メインのSNSで発信したりして、頑張ってるんだから、ちょっとは褒めろってのよ」

 お前は、もう少し自分の体絞るのを頑張れよ。

 俺の心の呟きに気がつかないみさきは、テーブルの缶ビールを手に取った。

「お前、飲み過ぎじゃね? それ、何本目よ?」

「うるさいわね、飲まなきゃやってられないわよ。あんたも私の味方なのかお義母さんの味方なのか、わかんないしさ」

 ちらり、みさきが嫌な視線を向けてくる。

 あのさ、俺があの強ぇお袋相手に勝てるわけねぇだろ。

 それでなくても、本来払うべき賃料免除してもらってんだからさ。

「最近、まひろに会ったか?」

 俺は、不快で埒が明かない話題を変えることにした。

「まひろ? そういえば、もうすぐ三ヶ月経つからそろそろまひろのとこ行かなきゃ……でも、なんでそんなこと聞くのよ?」

 俺がまひろを好きだったのは、結婚前……もう十年以上も前のことだ。

 それでも、みさきの視線はどこか嫉妬が含まれているような……いや、気のせいか。

「こないだ、たまたまタケルを見かけたからさ……なんか懐かしくなって」

 あの時、駅近の居酒屋から出てきたタケルの隣にいた、若い女。まひろじゃない、ちょっとイケてる女。

 別段、男女の仲だろうと疑わせるようなベタベタしたものはなかったけどさ。

 ちぇっ、つまんねぇの。もっとくっついて歩けよ。そしたら証拠写真でも撮ってまひろに送ってやるのに。

「……子ども、結局作らないみたいなのよね、あそこん

「ふぅん……そうなんだ」

 作らない? 作れない? どっちなんだ?

「子ども好きなのにね、まひろ。三人は欲しい、なんて言ってたんだから。あーあ、可哀想! あれ、絶対にタケルのせいよ」

 おいおい、酔ってんのかよ、みさき。

「私、あんたのことチャラい男だと思ってたけど、上の子ができた時、ちゃんと責任とったもんねぇ」

 責任ね……そのにやりとした笑い……まひろにか。

「私がタケルを譲ってやったまひろは、子どもには恵まれなかった。神様ってのは、ちゃんとバランス考えてくれてんのね、アハハ」

 バランスね……俺は、いったい何を望んでるんだろう? 胸の奥が、なんだかザワザワする。

『こないだ、タケルが若い女と一緒にいるところを見たんだ。居酒屋から、二人で出てくるとこ。まひろ、知ってた?』

 数日前に、まひろあてに送ったメッセージ。

 わりとすぐに既読になったのに、返信は未だにこない。

 どう思っただろう?

 まさか、タケルに限って浮気なんてない!

 と、タケルを信じたか。

 まさか、タケルが浮気?

 と、タケルを疑ったか。

 どちらにしても、石は投げた。

 さざなみが立っているのは間違いないだろう。

 実際にあの女がタケルの浮気相手かどうかは、正直どうでもいい。

 それに、そういう相手がいたのは、タケルじゃなくて俺の方だ。

 つい最近、飽きて別れたけどさ。

 たまたま俺がタケルを見かけたのも、なにかの縁だ。このまま、まひろにちょっかいを出したらどうなるか……ちょっとおもしろそうじゃん。

「おかわり、おかわり!」

 ブシュッ! とあらたに缶ビールをあけるみさきのボディライン。

 俺は、あれに欲情することができない。だって、醜いじゃん。あのブヨブヨ。

「もう一押しするか……」

 俺はスマホに、まひろあてのメッセージを打ち込み始めた。

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