第29話 家族のイメージ

 私は嘘をつくのが嫌いだ。

 そして、嘘をつかれるのはもっと嫌いだ。

 初めてタケルにそう言ったのは、いつだったかな…… もう、思い出せないほど昔の話だ。

 私は、ママになりたいという自分の欲を、ずっと心の奥底に沈めてきた。

 タケルを傷つけたくなかったから。

 だけどそれは、自分自身に嘘をついてきたことにもなるんじゃないかな?

 どんなに考えても解決しない問いかけが、私の中をぐるぐると旋回する。

 まるで雷雲の中、なんとか出口を探ろうとする、小さな飛行船のように。


「おじゃましまーす」

 不意に、カミさんの明るい声が階下から聞こえてきた。

 あ、そうだった。

 カミさんは、家を出ていく時、昼には戻ると言っていたんだ。

 思い出して時計を見れば、時刻は十三時を過ぎている。

 朝ご飯、お昼ごはん……食べるの忘れてた。

「あ、まひろさん!」

 階段を上ってきたカミさんは、ダイニングテーブルに座ったままの私の顔を見た途端、口をつぐんだ。

 そこに、いつもの人懐っこい笑顔はない。

 私、どれだけひどい表情かおをしているんだろう?

「話し合い……こじれちゃいました? もしかして」

 しばらくの沈黙の後、カミさんの声がリビングに響いた。

 こじれた……のだろうか? 私たち、なにを話したんだっけ……

 そうだ、浮気……タケルは、馴染のお客さんの愚痴を聞いてるだけだって言ってた。

 多分あの説明は真実だ。わかってたんだ、本当は。それなのに、どうして信じられないって言っちゃったんだろう。

「私が意地悪なこと言ったから」

 いや、こんな事をいったところで、カミさんにはなんのことかなんてわからないだろう。

「ことは複雑じゃないよ。まひろさんは石頭と家族でいたくて、石頭はそれを選びたくないって言ってるだけで」

「……カミさんは……私たちのこと、タケルから相談されたりしたんですか?」

「え? いや、相談は受けてないけど、なんとなくそう感じちゃって……合ってました?」

 なんだ、勘か……でもカミさんの勘は当たっているよ。鋭い人なんだな。

 少しだけホッとすると、途端に空腹感が押し寄せてくる。

「なんか面倒だからカップ麺食べようかな……カミさんは、お昼ご飯食べました?」

「あ、いいえまだです」

「ラーメン食べますか? カップ麺ですけど」

「カップ麺! 簡単、早い、うまいのカップ麺!」

 え……そんなに瞳を輝かせて……カミさん、そんなにカップ麺好きなのかしら?

「じゃ、お湯沸かしますね」

 私はキッチンに立つために、椅子から立ち上がった。


「石頭には、居心地のいい家庭のイメージが不足してるんだと思う」

 嬉しそうに麺をすすっていたカミさんが、少し真面目な表情で言った。

「タケルの家、あまり家族の仲良くないですもんね」

 それは、私もよく知っている。

 タケルのご両親やお兄さんから、特になにかを言われたことはないけれど、会った時はいつもピリピリとした空気を感じていた。

 あれは私だけじゃなくて、タケルも抱いていた緊張感だったのだと思う。

「私は、家族と一緒にいて緊張するなんて全然なかったから」

「ミツキちゃんと、家族ごっこをしてみればいいよ」

「え? 家族ごっこ?」

 カミさんはにっこりと笑った。

「そっ。ミツキちゃんを仮の娘として、三人でデートすればいい。今日を入れて三回はできると思うよ」

「三回、かあ……」

 私は箸を持つ手を止めて考えてみた。

「たったの三回で、あの頑固者のタケルの考えが変わるかな?」

「それはやってみなきゃわからないけど、ミツキちゃんはかなり本気だからね」

「えっ、ミツキちゃんが? どうして?」

「ミツキちゃんが、石頭を気に入ってるから」

 気に入ってる? それってどういう意味?

「パパに似てるから? でも、ミツキちゃん、パパとは会ってるんですよね? あのコート、パパに買ってもらったって言ってましたもん」

「え、あ、あれは送られてきたんですよ……直接は会ってないです」

 ああ、そうなのか……

 結婚するのも別れるのも、大人の都合だ。ミツキちゃんには一切関係ない。

 それなのに、さみしい思いを我慢しているミツキちゃんが、なんだか急にかわいそうに思えてきた。

「私、ミツキちゃんの仮のママとして、頑張ります。親子デート」

 もう、タケルの気持ちがどうなったとしても、私はそのまま素直に受け入れることにする。

「ありがとうございます! 今日のデートコースは映画鑑賞です! チケットは予約済ですからご安心を!」

 気のせいかな……カミさん、なんでこんなにノリノリなんだろう?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る