第25話 タレコミと疑惑

 今日の夜ご飯のおかずは、ハンバーグに人参のグラッセ、マカロニサラダ。

 時計は夕方の五時を示している。

「こんなにたくさんハンバーグ作るの、久しぶりだな……いつもの倍以上あるや」

 いつもなら、私用の小さめのと、タケル用の少し大きめのを二つずつしか作らないハンバーグ。

「今日はカミさんとミツキちゃんがいるからなぁ」

 賑やかな食卓は、私の憧れだった。

 まあまあ仲のいい五人家族の中で育ってきた私は、自分も同じような家庭を作りたいと……作るつもりでタケルと結婚したのに。

 じゅうじゅうと音をたてるフライパンを、ぼんやりと眺める。

 脳裏には、いつの間にか見慣れてしまった、無表情なタケルの顔が浮かんでいた。

 私は……この先も、こんなタケルと一緒に生きていくの? それを……タケルは望んでいるんだろうか。

 ずっと答えを出すことから逃げていた問いが、急に目の前ではっきりしてきて、心がずんと重くなる。

 きっかけは、川上さんからのメッセージだった。

『久しぶり、元気にしてる? タケルとは、うまくやってるの?』

 昨日、久しぶりに来た川上さんからのメッセージ。

 私は、なんとか二人でやっていると返したのだけど。

 私はフライパンの火を止めた。

 今日、川上さんから再び私に送られてきたメッセージ。

『こないだ、タケルが若い女と一緒にいるところを見たんだ。居酒屋から、二人で出てくるとこ。まひろ、知ってた?』

 ……知らないよ。知るわけないじゃない、そんなこと。誰なのよ、そのひと? いや、その前に、それほんとの話なの?

 私はしばらく迷った末、川上さんにメッセージを返せなかった。

 浮気、という二文字が私の内側に湧き、あっという間に体中に浸透していった。心が、ざわざわと逆立っていく。

 でも……嫌だけれど、タケルが浮気しそうな理由には心当たりがないわけじゃない。

 二年前のあの日にお医者さんから宣告を受けて以来、私たちは以前のように関われなくなった。

 お互いの素肌に触れること。お互いのぬくもりを感じること。

 それを心地いいと思っていた時が、とても懐かしく思えてしまうほどに。

 私はもう、タケルの素肌に触れたいとすら思わなくなっていた。

「タケル……浮気してるの?」

 私は壁の写真立ての中で笑うタケルに問いかける。

 指先でなぞるタケルは、笑うばかりで私の問には答えない。

 もう、だめなのかな? タケルは、私じゃない女の人と一緒にいた方が……安心するのかもしれない。


 ピンポーンという呼び鈴に、私はハッとした。

 呼び鈴を押しているのは、ミツキちゃんを迎えに行ったカミさんに違いない。

 私は思考を切り替え、モニター越しの二人の姿を確認した。

「どうぞ!」

 あの二人の前では、考えるのはよそう。

 私は玄関に向かって階段を降りながら、そう心に決めた。


「おじゃましまぁす!」

 ミツキちゃんの元気な声が、すぐに聞こえてきた。

「いらっしゃい、ミツキちゃん」

 玄関には、黒猫が顔を出しているジャケットを着たカミさんと、ミツキちゃんが立っている。

 二人共、なぜかにこにこ笑っていた。

 私とは、正反対だ。正直、二人がとても羨ましい。

「ママ、あのね! あっ、間違えちゃった……今はママじゃないんだった……えーと、えーと」

 ミツキちゃんは、私の呼び方に困っていた。

 悩む姿も可愛いらしい。

 カミさんを見ると、特になにかを言う樣子もなく、穏やかな笑みを浮かべたままだ。

 ミツキちゃんのママは、カミさんの妹さん。

 今はお仕事の都合で海外にいて、もうすぐ帰って来る。

 ミツキちゃんは、私にそっくりだ。

 もし一緒に歩いていたら、間違いなく親子に見られるくらいに。

 ミツキちゃんはママ似みたいだから、きっとミツキちゃんのママは私によく似ているんだろう。

 それなら。

 私はミツキちゃんに目線を合わせて笑った。

「ミツキちゃんの本当のママが帰ってくるまで、私のこと、ママって呼んでもいいよ」

「本当⁉ やったあ!」

 ぱあっとミツキちゃんの表情が輝く。

 ああ、この子はなんて素直に喜びを表現するんだろう。

 あれ? ちょっと待って……

 私はあることに気づいて、カミさんを見た。

「あの、カミさん……ミツキちゃん、昨日と同じ服を着てるような気がするんですけど、気のせいですかね」

 確か、日中はおばあちゃん……つまりカミさんのお母さんが、ミツキちゃんの面倒を見ているはずなんだけど。

「あれえ? そう言われてみればそうですね……もしかしてうちの母親、ちょっとボケてるのかも」

 カミさんの笑顔が、なにかをごまかすような感じに変わった。

 嫌な予感がした。

「あの、着替えさせてないってことは、お風呂はどうしてるんでしょう?」

「えっと……お風呂……」

「お風呂、入ってないよ」

 歯切れの悪いカミさんに代わって、ミツキちゃんがはっきりと教えてくれた。

「やっぱり!」

 ということは、きっと肌着も同じものを着たままなんだろう。

 だめよ! もう寒いから夏ほど汗をかかないだろうけど!

「あの、余計なことかもしれませんが、ミツキちゃんに服と肌着、買ってあげてもいいですか? そうしたら、うちでお風呂に入れますから」

 うちの近所には、安価で子ども用品を買える店がある。

 その店なら、肌着も服も靴下も揃うはず。あ、パジャマも買おう。

「ああ、ほんとにすみません……あの、お金は出しますんで」

「そんなに高価なものは買いませんから、お金は大丈夫ですよ。お店近いですから、ちょっと今から行ってきますね。あ、そうだコート……ミツキちゃんのコートも持ってくるから、ちょっと待っててね」

 ミツキちゃんが昨日着ていた、淡いピンク色が可愛いコート。

 あのコートは、高そうに見えた。きっと、ミツキちゃんの本当のママが買ってくれたんだろう。

 ほんの数日……ほんの少しの間だけ。

 娘を持つ、お母さんの気分を味わいたい。

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