月はまだそこにあるか

鹿嶋 雲丹

第1話 真実を知った日

「というわけで、石山さんの場合はご主人の方に原因がありました」


 子どもなんて、望めばいつでも自然に授かるものだと思っていた。


 もちろん、子育ては生半可ではない体力、気力が削られる、大仕事だ。

 それでも、俺たちは。

 俺は、子どもが欲しかった。

 そうでなければ……あのいけ好かない両親と兄を見返すことができないからだ。

 兄貴には、既に子どもがいる。

 しかも、二人も……さらには、男子と女子が一人ずつ、ときている。

 もちろん兄貴びいきの両親は、二人の孫を猫可愛がりしている。

 そんな面白くない状況が、もう数年もの間続いていて、実家からは自然と足が遠のいていた。


 だけど妻のまひろが子どもを望むのは、そんな身勝手な俺とは違う理由だった。

『私はねぇ、お母さんが仲良し三人姉妹だったし、私も三人兄妹だから、子どもは三人産むって決めてるの!』

 結婚前、まひろがにこにこと笑いながら言った台詞。

 彼女の笑顔は、太陽のプリズムのように透明で、きらきらと輝いて見えた。

 眩しい。荒んだ俺とはあまりに違いすぎるまひろが。

『なに、その理由?』

『私の願い、一緒に叶えてね!』

 やっとそれだけ言って笑った俺の手を、まひろはぐいっと握りしめてきた。


 あの日のことは、今でも鮮明に思い出せる。


 その七年後に、俺にその能力がまったくないという、地獄のような現実が叩きつけられるなんてな。


 俺は、医者から事実を知らされた日、まひろを直視できなかった。

 どの道を走って家まで帰ってきたのか。

 ハンドルを切った記憶。アクセルを踏んだ記憶、ブレーキを踏んだ記憶。見ているはずの風景、信号……親子連れ。

 何一つ記憶にない。

 本当に、無事に家までたどり着いたのが奇跡のような帰り道だった。

「私……タケルを息子だと思うことにするよ。おっきい息子! それに、私にはかわいい姪っ子も甥っ子もいるし……だから、大丈夫だよ!」

 まひろの優しい声音が鮮やかに俺の胸を貫いて、急に目の前がはっきりと見えた。

 俺は無言のまま、助手席のまひろを見た。

 見つめた先のまひろの笑顔は、転んで血を流しながらも、痛くないと強がる子どものように見えた。

「ごめん」

 俺はまひろを抱きしめながら、ずっと言えずにいた言葉をようやく絞りだせた。


 あれから二年の月日が流れて……俺とまひろの間には、暗くて深い溝ができている。

 無意識に目を逸らせば逸らすほど、溝は深さを増してゆく。

 俺はそれを止めようともせずに、背を向けた。

 まひろも、同じように触れようともしない。

 なにかを誤魔化す毎日に、俺は慣れつつあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る