第35話 手紙
劇場に赴いたあの日から初めて迎えた休日のこと。買い物に出掛け、帰寮したカレンは寮監に呼び止められた。
「手紙が来てるよ。これから配達受けに入れに行くところだったんだ」
そう言って一通の封筒を差し出される。
手紙と聞いて以前リース院長から送られてきた白い封筒を思い浮かべたが、実際に手渡されたのは淡く爽やかな緑色の封筒。見覚えがなく、裏面を確認すると流暢な筆跡でドノヴァ・レグデンバーの署名があった。
「ありがとうございますっ」
思わず固まりかけたカレンだが、差出人を確認しているだろう寮監の目が好奇の色を浮かべている気がして慌てて頭を下げる。そして自室に逃げ帰った。
購入品の詰まったバスケットをテーブルに置いて、改めて封筒を確認する。
差出人はレグデンバーで間違いない。
(私宛て、よね)
宛名を検めればカレンの名。何とはなしに人差し指でなぞった文字は滑らかに綴られていた。
(わざわざ手紙なんて、何のご用かしら)
落ち着かない気持ちで椅子に腰掛け、意を決して開封してみた。
――カレン様
突然手紙を送り付けるご無礼、どうかお許し下さい。
先日は様々な事情の産物とは言え、共に観劇出来たことを光栄に思います。
あの日、お伝えした私の気持ちは嘘偽りない真実です。
しかしこれまでの私の振る舞いを振り返れば、信ずるに足りないものであることも理解しております。
つきましては、またあなたと過ごす機会を与えてはいただけないでしょうか。
五日後、もしご予定がないのでしたら、僅かな時間でも私のために割いていただければ恐悦の至りです。
――ドノヴァ・レグデンバー
最後のサインまで目を通しきったカレンは封筒と同じ色の便箋を手にしたまま、動けずにいた。
「お誘いの手紙だわ……」
かろうじて動く唇で独り言ちる。
五日後はカレンの次の休養日で、やはり仕事の割り当てはしっかりと把握されている。つまりレグデンバーの誘いを受けるか断るか、明確に答えを出さなければならない。
のろのろと書き物机に向かったカレンは引き出しから便箋と筆記用具を取り出す。
(どうお返事すれば……)
緩慢な動きで時間稼ぎをしてみたけれど、結局文面が思い付かずに便箋とにらめっこをしてしまう。
貴族であれば手紙による交流は当たり前のものだが、カレンにはそんな経験はない。ペンを握って熟考した結果、手紙を送られたことへの礼と『五日後、お受けいたします』という至って簡素な回答を封じた手紙を寮監に預けることになった。
◇◇◆◇◇
約束の日は見事な晴天に恵まれた。
レグデンバーから再び送られてきた手紙には感謝の言葉と二時に職員寮に迎えに行く旨が綴られていた。
また人目を引いてしまうことは必至だが、レグデンバーと関わりを持つならば付いて回る事象なのだと思う。彼を
「こんにちは、カレンさん」
「こんにちは、レグデンバー副団長。お待たせしてしまいましたか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
職員寮と通りを隔てる鉄門の傍ら、そこにレグデンバーはすでに到着していた。
灰色のジャケットと白いズボンを清潔に着こなしたレグデンバーはカレンを見つけるとパッと爽やかな笑みを浮かべる。
一方のカレンは図らずも濃灰色に同色の糸で小花が刺繍されたワンピースを選んでおり、二人の色合いが似通っていることは誰の目にも明らかだった。
「夜会のときにも着けていたリボンですね。とてもお似合いです」
国王陛下主催の夜会でマーリルが用意してくれた幅広の白いリボン。翌日に返却するつもりだったが『給金の一部だと思って受け取ってちょうだい』と譲り受けたものだ。
うなじの上でふんわりまとめた髪を結び上げるのに使っている。口では礼を伝えるが、あの日の数刻だけ着用したものを覚えていることに内心驚かされた。
「そろそろ移動しましょう」
青空の下ではレグデンバーの巨躯はとても目立つ。
職員寮に出入りする人々は、やはり興味ありげにこちらを見やっている。その視線を断ち切るようにカレンはレグデンバーの踏み出す方向へと足を動かした。
「あの、どうかされましたか?」
カレンの歩幅に合わせて隣を歩くレグデンバーがちらちらとこちらを見下ろしてくるので、つい気になって尋ねてみた。
「あぁ……失礼しました。リボンを拝見していたのですが」
「このリボンでしょうか?」
「えぇ。白色も大変お似合いなのですが、カレンさんにはもう少し黄味がかった色が良いかなと思っていたところです」
「そう、ですか?」
黄味がかった白色、ミルクやクリームのような淡色を連想する。
「柔らかく優しい色がカレンさんの印象と美しい黒髪に合うのではないかと」
いつだったか、レグデンバーからソフィアの髪飾りに対する褒め言葉を聞かされたことがあった。直後にカレンの髪留めも褒められたが、ついでに気遣われただけだと思っていた。
あのときも彼は本心からの賛辞を送ってくれていたのだろうか。
「そんな風に髪を褒めていただいたのは初めてです」
「もっと早く言葉にするべきでしたね」
「いえっ、そういう意味ではなく!」
ねだるつもりで言ったわけではない。
慌てるカレンを緩めた瞳で見下ろすレグデンバーは続ける。
「本当にそう反省しているのですよ。受け流していただいて構わないので、どうか言わせて下さい」
そう言われては反論の余地もなく、小さく礼を述べる。きっと赤らんだ顔に気付かれているだろうが、纏め上げた髪のせいで隠すことも出来ず、石畳に視線を落とす。
カツカツと鳴る靴音も、頭上から降る低音の声も、真横から微かに漂う爽やかな香りも。どれもが心地良いのに、彼の紡ぐ言葉は躊躇いもなくカレンの心の内を揺さぶってくる。
(いつか慣れる日は来るのかしら)
ぼんやりと浮かんだそんな思考にカレンははっとした。
彼の発露を何度も受け入れるつもりがある自分自身に驚いたからだ。
少なくとも現時点で彼の想いをはね除ける意思がないことをようやく自覚した。
◇◆◇
「カレンさん、ケーキはお好きですか?」
王城前広場まで来たところでレグデンバーが問い掛けてきた。
ソフィアの護衛をしていたのなら言わずもがなでは、と思いながらも「好きです」と素直に応じる。
「では、おすすめの店があるのでご案内します」
そうして広場から伸びる道の一本に足を向けるのでカレンも大人しく付いていく。
今日の予定は特にない。道中でそう言い切ったのはレグデンバーだった。あらかじめ行き先を決めるのではなく、その時々で思うままに行動しようと。
「私たちはお互いに知らないことが多いでしょう。ですからあなたの選ぶもの、ひとつひとつを知りたいのです」
何故かと問うたカレンにレグデンバーの差し出した答えはこんなものだった。
まさしく数日前、彼について知ることが少ないという考えに至ったばかりのカレンは彼の提案を受けることにした。自身もこの機会をレグデンバーを理解する日にしたいと考えたからだ。
「どんなケーキをお好みですか?」
「そうですね……クリームがたくさん使われているものが好きです」
「どのような味の?」
「今はソフィアと行くお店の栗のクリームがお気に入りですけれど、特にこだわりはなくて。何でも美味しくいただけます」
傍から見れば他愛もない会話かもしれないが、カレンたちには必要なやりとりのように思えた。
もし彼が極秘裏の護衛任務中にカレンのケーキ好きを知っていたとしても、栗のクリーム贔屓を知っていたとしても。自らの言葉で伝えることに意味があるような気がした。
そうですか、とレグデンバーは朗らかに笑っている。
「レグデンバー副団長は甘いものはお好きなのですか?」
「人並みに食べますよ。任務中に焼き菓子で腹を持たせるときもありますから、食べる頻度も少なくありません」
「そうなのですね、意外です」
「これからお連れする店も任務中によく世話になるのですよ」
食堂のカウンター越しでは知り得ない裏話は興味深く面白い。
心地良い声に耳を傾けながら目当ての店に向かった。
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