第34話 戸惑い
「昨夜第二騎士団の団長様たちと一緒だったわよね?」
ミラベルトの手引きで観劇をした翌朝、カレンが職員寮の食堂に着くやいなや、あっという間に女性職員たちに囲まれた。
寮まであんなにも堂々と迎えに来られては、やはり隠しようがなかったようだ。
「えぇ、ご一緒させていただきました」
当たり障りなく答えれば次の質問が容赦なく襲い掛かってくる。
「どうして団長様たちと? どこへ行ったの?」
「劇場です。その、お誘いいただきまして」
噂を助長させてしまう可能性は大いにあったが、この場を切り抜けるための嘘を口にする会話術をカレンは持ち合わせておらず。特にレグデンバーたちからも口裏合わせの指示はなかったので素直に白状した。
「えー、羨ましい!」
「やっぱり食堂勤めだと話す機会が多いのかしらねぇ」
「掃除担当だとせいぜいお礼を言われるくらいよ」
カレンの周囲をわっと姦しい声が飛び交う。幸いなことに非難めいた言葉は聞こえず、カレンは内心で胸を撫で下ろした。
(ソフィアは大丈夫かしら)
彼女は今日は休みなので、まだ食堂には顔を出していないようだ。同じように囲まれたとしても、ソフィアの話術なら上手くやり過ごせるのだろうけれど。
「何の劇を観てきたの?」
「『青い雨の向こうに』というお話を」
「あら、今一番人気のお話じゃない!」
「ねぇねぇ、観劇中の騎士様はどんなご様子だった?」
「劇に夢中になってしまったので、どうしていらっしゃったかは覚えていなくて……」
「まぁ、もったいない! ちゃんと見ておかなきゃ駄目よ」
「じゃあどんなことをお話ししたりするの? やっぱり世間話とか?」
その問い掛けにぎくりとしたカレンは必死に考えを巡らせる。
「ええと……夜の街は人出が多いとか職人街は騒がしくないとか、そんなことを教えていただきました」
「やだ、やっぱり騎士様って真面目なのね!」
大勢の女性に囲まれるのは初めてのことで、矢継ぎ早の言葉に何とか笑顔で答えるのが今のカレンには精一杯だった。その後も彼女たちに律儀に付き合ったせいか、大急ぎで食事を済ませて仕事の支度をするはめになってしまった。
◇◆◇
今日も今日とて昼時の食堂は忙しない。それが自分の職務なのだから苦痛に感じることはないが、まさかこの慌ただしい時間に感謝する日が来るとは思ってもいなかった。
(余計なことを考えてはだめよ)
カウンターを拭いて、トレーを並べて、注文をこなして、使用済みの食器を洗い場に運ぶ。とにかく目の前のことにだけ集中して、昨晩の出来事を頭の中から追い払おうと努めた。
そうでもしないとカレンの顔はたちまち紅潮してしまう。帰寮後、自室に戻った瞬間に手で覆い隠した頬はレグデンバーの言葉を思い出すたびに熱く燃えていた。今この場でそんな事態は避けたい。
「ちょっと配達に行ってくるよ」
カレン以上に働き回っていた同僚のニコライが四人分の軽食が収まった籠を携えて食堂を出て行く。客を捌き、随分と食堂に落ち着きが戻りかけた頃合いだった。
そんな折に食堂の入り口から覗くチョコレート色の髪がカレンをどきりとさせる。
「こんにちは、カレンさん」
「こ、こんにちは、レグデンバー副団長」
これまでと変わりない優しい笑みを浮かべた彼は悠然とした足取りでカウンターへとやって来た。
「すぐに団長も来ますので、彼の分もお願いします」
「はい、少々お待ち下さい」
二人分を平らげることが基本のカッツェのため、大盛りのトレーをふたつ天板に滑らせるとレグデンバーはそれを難なく持ち上げて近くのテーブルへ置きに行く。
その間にパンをふたつ追加したトレーを用意すれば戻ってきたレグデンバーがにっこりと微笑んだ。
「クルミパンですね」
いつだったか美味しいと褒め言葉を口にしていたが彼の好物なのだろうか。
よくよく考えればレグデンバーの食の好みすらカレンは知らない。
第二騎士団の副団長で、レグデンバー侯爵家の令息で、士官学校の出で、槍の扱いを得手として。カレンが知るのはせいぜいこのくらいだ。
トレーを受け取ったレグデンバーはカウンター前に佇んだまま、小首を傾げるようにじっとカレンを見つめていた。
「今日の刺繍も美しいですね」
「あ、りがとうございます」
揺るがない視線と真っ直ぐな賛辞に少しどもってしまった。
「ソフィアさんが羨ましいです」
「え?」
「あなたの手製の刺繍をお持ちですから」
唐突な親友の名にこれまでのレグデンバーとのやりとりが蘇って胸がひやりとした。しかしソフィアと刺繍が結び付いて思い至る。あの青いリボンのことだ、と。
「初めての贈り物がソフィアさん宛てで安心もしましたけれど」
そういえば、そんな風に話したこともあった。カレンにとっては何気ない日常の会話だったのにレグデンバーは覚えていたらしい。
「男性への贈り物じゃなくて良かったです」
囁くような声音で告げられた言葉の意味を理解すると同時にじわじわとカレンの頬が朱に染まる。
「もう来ていたのか、ドノヴァ」
「えぇ、先程。団長、あなたの分はそちらに手配済みです」
そこにカッツェが現れてレグデンバーの意識がカレンから外れた。二人にばれないように小さく深呼吸をして心を落ち着ける。
「こんにちは、カッツェ団長」
「おう、カレン。昨日はご苦労だったな」
またぎくりとしてしまう。昨晩の一件を知られているはずはないだろうに、どこかカッツェの笑みが思わせぶりだったからだ。
「劇は楽しめたか?」
「はい、とても有意義な時間を過ごせました」
ごくごく当たり前の受け答えをしたつもりだったが、ふと周囲から視線を感じた。ちらりと食堂内に目線を向けると、まだテーブルに残っている騎士たちの幾人かがこちらを見ていた。その中には何度か言葉を交わしたフローラン・イグニの姿もあり、何故か複雑な表情を浮かべている。
「随分と見られてしまったようだな?」
にやりと笑うカッツェの言いたいことがわかってしまった。
今朝職員寮で囲んできた女性たちと同じく、昨晩のカレンたちを見掛けた騎士がいるのだろう。第二騎士団員に至っては警護の任務中にすれ違っている者もいるくらいだから、カレンとレグデンバーがソフィアたちと別行動したことも把握されているはずだ。たった今まで
「カッツェ団長の方は……?」
「どうだろうな、俺自身はわからんがドノヴァの方は団員が何やら問いたげな顔をしていたぞ」
「勤務時間外と明言したからでしょうね」
そう推察したレグデンバーにカッツェが眉を上下させる。
「なるほど、何かあったわけだな」
ボックス席での出来事を指しているわけではないはずなのに、見透かされているようで再びカレンの全身が羞恥で熱を帯びる。
上司の肩に副団長がポンと手を置いた。
「カレンさんの邪魔をしてはいけません」
「カレンの、ねぇ」
「お仕事中に失礼しました。では、また」
カッツェに向けるものとは温度の違う声音でにっこり微笑んだレグデンバーは上司を伴ってテーブルへ向かう。
その姿が騎士たちの注目を集めていることは一目瞭然なのに、彼は至って平然と振る舞っていた。
(本当にお困りにならないのだわ……)
彼の想いを裏付ける態度を見せられてしまったようで、結局終業までカレンの心はざわめき続けてしまった。
◇◆◇
その晩、自室にソフィアが訪れた。
「昨日はごめんなさい。私に付き合ってもらったのに先に帰してしまって」
「気にしないで。素晴らしい劇を堪能させてもらったもの」
ソフィアが手土産にと携えてきたチョコレートを味わっていると申し訳なさそうに謝られてしまう。
「ソフィアはどう? 楽しめた?」
「すごく楽しかったわ! 目にするものが初めてばかりで興奮しちゃった」
「ふふ、そうね」
カレンの淹れた紅茶で喉を潤したソフィアは下ろしたカップを指先で撫でながら言葉を継ぐ。
「
声色に不安が滲んでいる。
カレンも経験していない世界の話なので良い助言が浮かばない。
「なかなか劇場に行く機会もないものね」
「そう、そうなのよ。気軽に出掛けられる場所じゃないのよね」
ソフィアに護衛が付いていると知っていても夜の繁華街に繰り出すのは憚られる。もし騒ぎの種になってしまったら彼女の今後に響くかもしれないのだ。
「団長にまたお願い出来ないかしら……」
ぽそりと落とされた声に今朝思い浮かべた疑問が再燃した。
「ねぇ、ソフィア。今日誰かに昨夜のことを尋ねられたりした?」
「え、昨日のこと? えーと……団長たちと一緒だったとかどこに行ったとか、そんなことなら訊かれたわ」
「どう答えたの?」
「一緒に劇場に行った、くらいのことよ。羨ましがられたわ」
大したことではないというようにからりと笑っている。職員寮での反応はカレンのときと同じようだ。
「どうして? 受け答えに問題でもあった?」
「いいえ、そうではなくて……」
カレンたちが劇場を出てから女性に声を掛けられたこと、そのときのレグデンバーの切り返し、今日食堂で集めた騎士たちの眼差し、それらを掻い摘まんで説明する。
「ソフィアは大丈夫そう?」
「そういうことなら大丈夫。帰りは馬車で送っていただいたから」
ミラベルトにソフィアの今後を聞かされて以降、カレンも彼女とポーリアム家の動向が気懸かりになっている。どうやら問題はなさそうで安心した。
「ごめんなさいね、カレンの方が
また眉を下げて謝罪を述べられたので緩く首を振った。けして迷惑だとは感じていないから。
「騎士様との仲なんて小説のように上手くはいかないのにね」
苦い笑みでソフィアが呟く。
レグデンバーに想いを告げられたことは、まだ口に出せない。
ポーリアム家のことを話せずに悪かったと項垂れていたソフィアの気持ちが理解出来た気がした。
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